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2005年05月20日

「日本の消費者の厳しい視線」を考える

当ブログを継続的にご覧いただいている方は(改めてありがとうございます)、恐らく本日の日経新聞から、私が何をとりあげたいのか、大方察しがついていると思います。そう、ビンゴです!本日は西友です。
西友が「スーパーセンター」なる大型店舗の本格展開に乗り出すとの報道ですが、NIKKEI NETには記事がなく、詳しい内容をお知りになりたい方は、NIKKEI ShopBizのこちらの記事をご覧下さい。
本日はマーケティングを正面きって考えるというよりは、もう少し深層の部分であると私が考えるところを、おつきあいいただいて一緒に考えてみたいと思います。私が本日の日経新聞の記事で引っかかったのは、以下の記述です。

(引用始)
『日本の消費者は品揃えの幅や品質、季節や流行に応じた変化に対する要求度が高く、低価格だけを優先すると、顧客が離れてしまう。』
(引用終)

グローバルなマーケティングにおいて、国ごとの習慣や国民性などといった違いを意識せねばならないのは、当然のことです。しかし、カルフールが失敗し、ウォルマートが苦戦しているときに、マスコミが使用する上記の常套句には疑問を覚える、というのを超えて嫌悪感すら覚えます。この文章はその裏で「ウォルマートの本国のアメリカ人は品揃えや品質を気にせず、価格が安ければ満足する」というニュアンスを嗅ぎ取ることができ、あの「日本的経営バンザイ!」の時代に蔓延していた、「根拠なき日本人としての優越」のような心理を読み取れることが、私が「嫌悪」というきつい言葉を使う理由です。
アメリカ人は消費者として繊細さに欠けるなどと考えるのは私は間違いだと思います。品質や品揃えに目をつぶって「低価格」で買い物をせねばならない背景には、極端に進んだ「所得の二極分化」があると私は考えます。「所得の二極分化」は日本では、ようやく始まりかけたばかりです。「所得の二極分化」が日本で10年も押し進めば、「日本の消費者の厳しい視線」などという表現はナンセンスになっているかもしれません。「とにかく安いものを買う」という購買行動があるのならば、それは明日の我が身なのではないでしょうか?
あるいは、「日本の消費者」が「厳しい視線」を持っているように見えるのは、地理的な問題や人口密度の密集度等を上げることができるかもしれません。私の事務所の近くには、生鮮食料品を扱うスーパーの隣に、個人商店の八百屋さんが頑張っています。こんな近くに競合店があるものだから、主婦はレタスを買うにも両方の店で、見て触って値段を確かめて、買うことができるわけですから、視線が厳しくなるのは当然です。
日本の株価が天井知らずで上昇していた80年代は、我々の多くはその答えを「日本民族の優越性」に求めていたのではないでしょうか?少なくとも学生の私は、そう思っていました。しかし、その自信はバブルの崩壊と、その後の「失われた10年」で跡形もなく消失してしまったはずです。それにも関わらず、こうした深堀りしない表現が、日本を代表する「経済新聞」で繰り返されるのは、残念なことだと思います。

Posted by Ken Kodama at 2005年05月20日 19:35
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