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2005年06月25日

「おんな」としての丹後局 ~50を超えて輝きを増す女優達~

昨日お休みしてしまったので、本日カバーのエントリーです。お休みなので、芸能ネタをお一つ。
みなさんはNHKの大河ドラマの『義経』はご覧になっていますか?私は日本史を恥ずかしいほど知らないので、大河はいつも敬遠していたのですが、今回はあの有名な義経と弁慶の出会いのシーンを見たくて、そのままはまってしまって、結構みています。驚かされるのが、テレビを最近あまり見ない私ですらほとんど知っている、超豪華俳優陣。そして、そのほとんどの配役が、我々がブラウン管を通して持つ「ステレオタイプのイメージ」とぴたりとはまったものとなっています。コミカルな南原清隆、熱血漢うじきつよし、理知的な中井貴一(ちなみに私同じ誕生日です。年は違うけど。)、元気がとりえの小池栄子、凛としてお美しい松坂慶子、そしてお人よしの蛭子能収・・・彼らはNHKプロデューサーの期待通りの仕事をこなし、また、演ずることにあまり経験のない俳優陣も、努力が伝わってきて、概ね、好感がもてます。
その中にあって、ひときわ別世界を作り出しているのが夏木マリが演ずる丹後局。ドラマを知らない人も「平幹二朗が演じる後白河法皇の奥さん役」といえば、なんらかのイメージを抱いていただけるかもしれません。でも、夏木マリの丹後局は凡人が思い描く丹後局像を完全に破壊して、つきぬけています。個人の方のブログを検索してみると、夏木マリの丹後局は「いっちゃってる」との表現をいくつか見かけ、私もまあ同感です。
なぜ、NHKが夏木マリを丹後局に配したかといえば、恐らく彼女が湯バーバの声を演じたという実績をかってのものだと思いますが、湯バーバと丹後局の共通点は「婆」という以外何も見当たりません。NHKの社員にあの丹後局像を生み出せるクリエイティビティがあるはずもなく、夏木マリ自らが役作りに励んだ成果なのではないかと私はにらんでいます。その役作りが、撮影現場でこれまたある意味「異界の人」平幹二朗との掛け合いにより、花開いたのではないかと思います。
日本の女優がこうした人間の本質に迫る名演技を見せ始めるのは、50を超えてからといった気がします。古くは、楢山節考の坂本スミ子、そして、近い将来では桃井かおりが「SAYURI」で演ずる芸者の置屋のおかみ等が、それに該当するといえます。
なぜ、50を超えて名演技が花開くかといえば、私は「彼女達が女を捨てることにためらいがなくなったから」と思っていたのですが、最近はどうも、この考えは人生を知らないションベン臭いガキンチョの考えではないかと思うようになってきました。異様なメークをし、甲高い声でしゃべるという点を捉えて「女を捨てた」というのは容易ではあるけれども、あの時代であの立場に置かれたならば、後白河法皇から寵愛を受けるための究極の媚態が、あのような形で結実したのではないかと思っています。ですから、50を超えて女優の演技に円熟味が増すのは、決して「女を捨てた」からではなく、自らの長い人生経験で色々な「おんな」のあり方が分かってきたからこそなのではないか、と最近は思うようになりました。
とはいうものの、日本のお若くお美しい女優の演技に面白みが欠けるのは、「女を捨てきれない」からという面が多分に影響していると思います。アメリカでは、「ゴシカ」でプライベートではトム・クルーズの恋人でありながら、ノーメークに近い状態で狂女を演じたペネロペ・クルズ、そしてブリジット・ジョーンズを演じるために太るというレニー・ゼルウィガー・・・日本の女優からこうした「武勇伝」を聞いたためしがありません。
夏木マリの公式HPはこんなにかっこよくしあがっており(長いフラッシュが邪魔ですが)、これが夏木マリの自分らしさなのでしょう。世間から「いっちゃってる」と評される丹後局を演じたところで、彼女の女としてのブランドバリューは少しも揺るぐことなないのです。若い女優の方、そして恐らくはより大きな責任のある彼女達をとりまく事務所のスタッフは、夏木マリを見習い、演技の幅を広げる努力をしてもらえば、我々がテレビや映画を見る楽しみが増えるのではないかと思います。

Posted by Ken Kodama at 2005年06月25日 13:17
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