本日の日経新聞の一番最後の文化欄はお読みになったでしょうか?佐藤康光さんという将棋棋士が、『王座戦で14連覇した羽生善治さんの強さの秘訣』と題して、簡単に言えば、羽生四冠を讃える内容の文章を書いています。恐らく将棋ファンの方はあまりいないと思われるために、簡単にこの文章のバックグラウンドを紹介しておきましょう。
王座戦とは日経新聞が主催するタイトル戦で、今月の1日に羽生四冠は14年連続その王座を防衛するという偉業を成し遂げたのです。それまでは、故大山名人が名人戦を13連覇したのが記録だったので、この記録の重みがご理解いただけると思います。そして、14連覇の影で敗れたのがこの佐藤康光棋聖なのです。
将棋とは勝ち負けが全ての世界。そして、この大舞台で敗れて2週間とたっていない時点で、相手の勝利を讃える内容の文章を書かされるというのは、かなりツラく屈辱的であるはずです。加えて、佐藤康光棋聖は①棋界のナンバーツー的な実力者であり、かつ②それなりにプライドが高いということを知っている人には、こうした文章を書く佐藤棋聖がいかにつらいかが身にしみて分かります。たとえて言うならば、故升田幸三氏に故大山名人を讃える文章を書いて下さいというようなものです。それにも関わらず、こうした文章を書く仕事を引き受けるのは、③佐藤康光棋聖の人格が成熟しているからに他ならないからなのですが、この①②③と番号をふったあたりを、エピソードを交えて「将棋オタ」の私が皆さんにお伝えしたいと思います。
まず、現在の将棋界の力関係ですが、羽生氏が7大タイトルのうちの4つを保持し、残りの3つのうち2つを羽生氏と同年代であるため「羽生世代」と呼ばれる森内名人と佐藤棋聖が保持し、20歳そこそこの若手の渡辺竜王が残りの1つを保持し、突出した羽生氏を残りの3人がナンバーツーとして追う展開と申し上げてよいでしょう。加えて佐藤棋聖は、今年棋聖のタイトルを羽生氏の挑戦を受けて防衛に成功しています。佐藤棋聖もかなり強いわけなのです。
そして、佐藤棋聖のプライドの高さを伝えるエピソードとして、こんな話があります。大きなタイトル戦などは、プロ棋士や新聞記者が数人集まってリアルタイムで「検討」をすることがよくあります。佐藤棋聖もその検討に加わっていたいたときに、ある局面を検討していたとき、佐藤棋聖はその局面には「詰みがない(王様が助かるということ)」ことを発見して、周りの新聞記者に伝えました。すると、その新聞記者は「そうですね、でも一応ソフトで調べてみましょう」と言って、将棋のソフトを使って、本当に「詰みがない」のかどうか検証を始めました。それを見て、佐藤棋聖は「(将棋界ナンバーツーの)私が詰みがないといっているのに、(私の言うことを信用しないでソフトで検証するとは)なんたることか」と嘆いたそうです。
佐藤棋聖の人格の成熟度合いを伝えるエピソードには、次のようなものがあります。現将棋連盟会長の米長氏は昨年、現役棋士から引退したのですが、その引退表明直後の対局相手が、この佐藤棋聖でした。米長氏が対局室に来てみると、佐藤棋聖がなんと和服で待っていたのです!一般的には、和服を着て対局に臨むのは大きなタイトル戦などの場合だけです。その対局はタイトル戦ではなかったにも関わらず、佐藤棋聖が和服で臨んだのは、「これが米長先生に教えてもらえる最後の対局だから」と考えたからに他なりません。感動した米長氏は、自宅に電話をかけて自らも和服を家族の方に届けてもらい、午後からは両者和服で真剣勝負に臨んだとのことです。
と、これだけエピソードをお伝えすれば、本日の日経新聞を読んで、こうした文章を今の佐藤棋聖に依頼すること自体が、いかに対人的な配慮に欠ける行為であるか、分かっていただけるはずです。昨日のエントリーと無理やり結びつけてしまえば、確かに「理」にはかなっている村上ファンドですが、連日あのような形で新聞紙面をにぎわすのを見るにつけ、村上氏の対人的な配慮の無さが浮き彫りになります。大河ドラマも同じテーマを扱っていますが、やはり「理」だけではダメで「情」への斟酌も重要であるということです。みなさんも、上司や部下などのビジネス上で重要な相手の日常の言動を観察しその価値観を受け入れた上で接するよう心がければ、相互依存関係に立脚した成熟した人間関係が構築できるはずです。