朝電車に乗ったとき、腹の中で決めていた今日のネタは日経新聞33ページの『コンビニ宅配中』であった。かつて「御用聞き」をしてくれた酒屋さんや米屋さんを蹴散らしてきた張本人であり、あるいは蹴散らせれそうになった彼等が業態転換してできたコンビニであったが、「無料宅配」という名の下に「御用聞き」ビジネスを主にシニア層向けに開始するという。価格競争に巻き込まれるコンビニの新たな活路として、非常に興味深いニュースだったのだが、今パソコンの前に座るまでに、また頭の中は東証のことで一杯になったしまった。やはり、なんだかんだいって、私のルーツは株屋なのかもしれない。ダーマン氏の著作を読むふけるのも、証券会社出身ゆえなのだろう。
東証のことはあまりにこのブログで扱いすぎてきた感が否めないが、しかし単に「書き散らかした」と言われても否定できない面もある。そこで、パソコンに向かわず、紙とペンというアナログなアイテムを使って30分ほど、私の東証に対する思いを整理してみた。その結果が本日のエントリーである。
私は先日のエントリーで東証の意思決定には、一貫した理念が感じられないと批判したが、冷静に考えてみると、確かに東証を一般企業と同列に並べて批判するのは酷な気がする。それは東証とそのステークホルダーの関係が直感的に理解しにくいことに起因するのであろう。トヨタであれば、ユーザーであるお客様がいて、ベンダーがいて、そして取り巻く環境や地域社会があり、そして内部で働く従業員がいて、株主がいる。それらのステークホルダーの利害関係は実に分かりやすい。が、東証の場合、①証券会社②株式の発行体である企業③投資家の3つのステークホルダーの利害関係を調整するのは、ちょっと見るだけでも難しい。しかも、投資家とて機関投資家と個人投資家という全く異なる2グループに分けられる。そして前者はさらに、年金基金、ファンド、そしてあえて別に括れば「村上ファンド」などのアクティビスト・ファンドまであり、実に多彩である。後者は長期投資を志向するものもいればデイトレーダーもいる。
【①VS証券会社】
まず、個別に3者のステークホルダーに対する東証の態度を検証してみると、証券会社に対しては、恐らく彼らを「顧客」として今以上に尊重すべきなのではないかと思う。「証券会社って奴はうちの庭で小金を稼ぐ卑しい存在だ」みたいな潜在意識が東証にあるのではないか?そこまで言わなくとも「証券会社はプロなんだから自分のケツは自分で拭きなさい」的な深層心理が、みずほ証券誤発注問題でのマニュアル的な対応を招いたのだと思う。この「マニュアル的な対応」は二つの観点から実に大きな問題である。第一には、これほど大きな問題になることを予兆させていながら、「マニュアル的に」切り捨てたという点において。第二には、そもそもそんなカスタマー・アンフレンドリーなマニュアルが存在していたという点において。なんだかんだいっても、東証にとっては証券会社とは直接的にお金を落としてくれるお客様なのである。この意識を忘れてシステムの改変に務めたところで何の意味もない。
【②VS発行体】
次に株式の発行体である企業に対してだが、彼等に対しては今後「合理的に」に対応するという程度でよいのかと思う。もともと彼等は声の大きな存在である。また、その発言の動機も経営陣自らの保身に基づくことが多い。さらには、放っておけばMSCBや株式の100分割で個人投資家を愚弄する企業まで現れる始末である。彼等の声はあまり真に受けすぎない方が恐らくは社会全体にとってはプラスであり、その意味で先日のエントリーに書いた黄金株での英断を改めて評価したい。
【③VS投資家】
そして、投資家に対してであるが、「保護」と「平等」というスタンスで臨むのがよいと思う。特に「平等」であるが、村上ファンドなどを頭に浮かべると、どうしても変な規制を導入する方向にいってしまうであろう。あくまでも抽象的に「株主」というものを想念して、その観念的な株主を保護するという立場をとるのが正解だと思う。かなり感覚的な所見ではあるが。
【「イチバの管理者」というビジョン・理念】
と、各ステークホルダーに対する東証の姿勢を断片的に検討してみたが、これらを統合して東証が持つべき哲学・理念とは、自らが「イチバ」の管理人であるという自覚であろう。「株式市場(しじょう)」と音読みしてしまうと、どうも本質から離れてしまう傾向がある。「イチバ」にとって必要なのは、「活気」と「快適さ」と、そして必要なときには「悪行を取り締まる」ことである。東証社長の辞任を「システム運営の重視」と解説する論調もみかけた気がするが、自らのアイデンティティを忘れたシステム重視戦略は恐らく別種の問題を生み出すだけである。「イチバ」に集う人の顔をつぶさに眺め、彼等が満足するようなシステムを整備しなおすことが、東証の次期社長の使命であると私は考える。