久しぶりに私の心に燃料投下してくれる報道。まずNIKKEI NETからの記事を引用しておきたい。
(引用始)
「民間企業が日本的経営の根幹である『人間尊重』と『長期的視野に立った経営』の理念を堅持し、雇用維持に配慮しながらグローバル化に適切に対応した成果だ」。日本経団連の奥田碩会長は12日午前、都内で開いた経団連主催の労使フォーラムで講演し、日本経済が長期低迷を抜け出した理由として日本的経営を貫いたことが大きかったとする見解を示した。
(引用終)
本日のエントリーを執筆する前に一言断っておくと、私は奥田氏を名経営者としてかなり尊敬している。しかし、名経営者だからといって、その発言の全てを神聖化するのは、全く健全ではない。上記の如くの発言は、私の信念の根幹と全く相容れないものであり、したがって一言物申させていただきたい。
「日本的経営」なる言葉がもてはやされていたのは1980年代頃ではなかったか。その裏返しとしてもてはやされていたキーワードは「国際」であった気がする。そして、後者の「国際」というキーワードに魅惑されたDQN高校生だった私は、「上智外英」という「チョー国際な感じ」の大学への進学を決意するに至ったのである。もちろん、国が違えば文化は違う。しかし、異国との交流が少なく、かつ表層的であったからこそ、1980年代は「日本」と「その他外国」の違いがことさらに強調されていたのではないか、というのが私が当時を振り返った率直の感想である。
♪あれから20年たちました~(by小林幸子)
20年を経て日本と異国の交流の機会は格段に増した。少なくとも、外資系企業の日本拠点で勤務し続けてきた私個人としては、様々な外人との交流の機会を得ることができた。そこで、「○○人ってのは、~~だ。」というステレオタイプの外人像を語ることの愚かさを知ることになる。親切で穏やかな口調で話し、おっとりしている香港人。物腰が柔らかく細やかな気配りにこちらが恐縮してしまうようなアメリカ人。自分の主張をもたないフランス人。そんな人々に出会う度に私の「偏見」は修正を重ねた。また、人間を分類するタイポロジーの一つであるエニアグラムも、9つのタイプへの分布状況は国によってそれほど大差はない、と説く。同様に、思考タイプを4分類したハーマン・モデルも、4つのタイプへの分布状況は国によって異なるものではないと説いている。私の個人的な体験も、学究的な研究も、ステレオタイプの国民性というものに疑問を投げかけている。だから、多少の海外駐在経験を鼻にかけて「中国人ってのはね~、こういう奴らなんだよ」という話を披瀝する人を、私は心の中で軽蔑する。なぜなら、彼が国民性のステレオタイプを語るというのは、現地で深い人間関係を構築できなかったことの裏返しであるのだから。
人それぞれに焦点をあてれば、国境を越えて「個」がオンリーワンな輝きを放っている。そんな「個」が集合した「企業」というものに、「日本的」という形容詞を冠することに意味があるのであろうか?折しも私はジャック・ウェルチ著の『ウィニング』を昨日購入し読み始めていた。奥田氏は、日本的経営の一つの特徴として、『長期的に視野に立った経営』を挙げている。しかし、ウェルチの内面においては、長期的視野に対しての考えは以下のように、はるかに深化を遂げている。
(引用始)
私はよく、「四半期ごとに成果を出しつつ、五年先のことを考えて行動するにはどうしたらいいのですか」という質問を受ける。
私の回答は「それに悩むようなら、あなたも経営者の仲間入りだ!」
そう、短期の業績を上げるのは誰にだったできる。ギリギリと絞り上げればいいのだから。長期経営だった簡単だ。夢をみつづければいいのだから。あなたがリーダーに選ばれたのは、ギリギリやりながら同時に夢を見られる人だと上司が見込んだからだ。
(引用終)
本日の日経新聞にはウェルチが日本から学んだ点が指摘されており、「ウェルチの思想も日本的経営のおかげ」と言う人もいるかもしれない。もちろん、そういう面も否定できないであろう。しかし、独自の試行錯誤により、長期的経営と人間尊重の大切さに気付きを得た、海外の企業は少なくない。
奥田氏が「人間尊重」を日本的経営の根幹であると主張するのは、主に終身雇用の慣行を念頭においたものと思われる。マズローの欲求5段階説に従って考えれば、終身雇用によって実現される欲求は比較的低次元の「(1)生理的欲求(2)安全の欲求(3)親和の欲求」あたりであろう。しかし、現代人が真に欲しているのは、より高次元の(4)自我の欲求や(5)自己実現の欲求あたりであろう。トヨタの内部の事情は全く知らないが、「奥田氏に異論あり」と声高に発言する風土は存在するのであろうか?そうでないならば、より高次元の欲求を満たすべく、人事制度に再考を迫る必要があるといえよう。また、その「手厚い人への待遇」が仇となって現在瀕死の状況にあるのは、日本的経営の対極に位置すると我々が幻想を抱いていた、かのアメリカのGMである。このように少ない事例を見ただけでも、『人間尊重』と『長期的視野に立った経営』に「日本的」という形容詞を冠することに違和感を覚えないであろうか?
人口減少が進行する日本に基盤を置く企業が更なる成長を遂げるためには、現状に輪をかけて海外への進出に取り組まねばならない。その際に、こうした時代錯誤的な考えを経営者が抱いたままでは、成功の確率は極めて低くなるといわざるを得ないであろう。