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2006年01月25日

ライブドアとオウム真理教の異同を述べよ

こんなタイトルを掲げると、何度か当サイトにご訪問いただいている方は、「また児玉は・・・」みたいに眉をひそめていることであろう。でもこの手の視点こそが「私」というアイデンティティーなのだ。昨晩は缶ビールを飲みながらではあるが、結構大真面目にこの二者を頭の中で比較してみた。・・・「大」真面目はちょっといいすぎかな、アルコール入っていたわけだし。「ちょっと真剣」に二者を比較検討した結果をお披露目させていただきたい。なお、今後の議論を展開する前に一言述べておくと、もちろん違法行為の重さでいえば、オウム真理教の罪の重さはライブドア犯した罪と比べ物にならないほど重い。しかしながら、両者をあえて比較することに「カリスマ」というものを実例に照らして考える上で意義があると考えるからこそ行うのであり、決してライブドアを今以上に失墜させる意図は毛頭ないことをはっきりさせておきたい。一昨日のエントリーでも書いたように、ホリエモンが改心さえすれば、私は誰よりも彼の味方になる用意がある。(もちろん、私の心の中での話ですけどね。)
さて、もちろん、両者の相似を私に感じさせたのは、マスコミの取り上げ方に他ならない。小菅の拘置所に移送される映像があれほど大々的に報じられたのは、ホリエモンの他には麻原彰晃しかいないのではなかろうか?特捜部がヒルズに入る映像も、カナリアこそ携えていなかったものの、サティアンに突入する情景をフラッシュバックさせた。なぜか「ダーティーワーク」には手を染めず温存された熊谷CFO。かつての「村岡達子代表代行」を思わせるような年配者の社長就任。そして、昨日の日経新聞の夕刊のこんな表現。

(引用始)
● 集団指導体制をとると見られる。
● ライブドアファイナンスが「実行部隊」となり宮内容疑者が直接指揮したとされる。
(引用終)

これらの表現は、我々がかつてのオウム真理教の報道で見た懐かしき表現である。どうして、こうした表現を記者が用いたのか?①私のような読者の潜在意識を操作して、オウム真理教とライブドアを結びつけさせようとしたのか、②あるいは記者の潜在意識が知らず知らず両者を結びつけているのか、③あるいは単に刑事事件を描写するときに多用される用語なのか、私には分からない。記者の意図がいずれであるにせよ、両事件に似た「匂い」を我々が感じるのは、それは取りも直さずカリスマの失墜という共通項があるからである。Gary YuklのLeadership in Organizationsにおいて、カリスマ的なリーダーの特性の一つとして、「現状とはかなりかけ離れたビジョンを掲げている」という点が指摘されている。ライブドアもまたオウム真理教も、既存秩序の転覆を企図していたという点では一致している。しかし、オウム真理教がライブドアほどの大多数の支持を集められなかったのは、そのビジョンが現状からあまりにもかけ離れすぎていたがためである。
カリスマリーダーとは、「フォロワー」があってこそのリーダーである。かつて、我々は事件発覚後も麻原彰晃を信じる発言をする信者達をあざ笑うか気味悪がって退けた経験があるはずである。今回、逮捕という事実を目の当たりにしながらも、「これは『出る杭は打たれる』的な現象だ」、あるいは「なにがあってもホリエモンを信じます」というホリエモン信者達も、サリン事件の当時はニュースを理解できるほどの年齢には達していたはずであり、かつてのオウム信者の不自然さを指摘し得るほどの健全さを備えていたはずである。それがなぜ、今回は「目を覚ます」ことができないのであろうか?正直なところ、これが私にとっての最大の謎であり、いくつかの仮説を試みたい。
まずは「信仰」という側面から考えた仮説。オウム真理教に入信した多くのものは自らの全財産を寄進した上で、出家したものが多かった。このように自らの退路を断つことにより、信仰心は強まる。ホリエモン信者がライブドア株を保有していた場合、恐らくは取り返しのつかない損失を抱えているはずである。当初はそんなつもりがなかったものの、今回の事件により「投資」のつもりだったものが「お布施」へと変貌を遂げてしまい、退路が断たれてしまい、ホリエモンを信じ続ける以外に道がなくなってしまった。
もう一つの説明は社会学的なもの。小泉圧勝を支えたのも、ホリエモンファンの多くも、いわゆる所得二極分化の「負け組」に分類されるもの達であるとの指摘が多くなされている。彼等にとってホリエモンとは、自分だっていつかは勝ち組になれる可能性を示す、いわば「生きた証」であったはずだ。ホリエモンを否定することは、現状の秩序の肯定に加担するような気がして、それはニートとしての自分の地位を永続化させるような空恐ろしさがある。ホリエモンを否定することは、自らの夢をつぶすことであり、それは断じてできない、というもの。
一連の事件は極めて経済的なものであるが、その背景にある人間心理の理解なくしては、真の構造の解明には至らないであろう。

Posted by Ken Kodama at 2006年01月25日 09:53
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