冒頭にタイトルとは無関連の話題を紹介しておくと(実はスピリチュアリティも同著で取り上げられており、全く無関連ともいえないのだが・・・)、本日の日経新聞2ページ下には、私がこのブログで何回か取り上げてきた、ダニエル・ピンクの"A Whole New Mind"の邦訳本の出版の広告が掲載されている。大前研一氏自らが翻訳者としてクレジットされているが、タイトルは『ハイ・コンセプト』に落ち着いたようである(『プレジデント』ではトフラーにならって『第四の波』と邦題をつけたいと意気込んでらっしゃったが、出版社に却下されたのか?)。全く難解な内容の本ではないので、「右脳」というキーワードに敏感な方には是非ご一読をお勧めする。私が執筆した関連エントリーは以下のとおり。
さて本題だが、本日は当ブログで私が持ち上げてきた『オーラの泉』に対する批判である。昨日の『オーラの泉』などは出演者(私がよく知らない俳優さん)が霊体験を披露する「オカルト大会」の様相を帯びていた。「日本人の一般大衆」のようなカテゴリーを想定するならば、彼等の頭の中では「スピリチュアリティ=オーラの泉=江原&美輪」みたいな構図が出来上がっているはずである。であるから、昨日のようなコンセプトでオーラの泉が今後も続くとなると、「スピリチュアリティとは透視術を兼ね備えた江原さんみたいな人に前世や守護霊を見てもらうこと」みたいな固定観念ができてしまいそうで、それが私にはたまらなく嫌なのだ。スピリチュアリティの統一的な定義は存在しないと思うが、私は「人間として高い精神性を目指すこと」ととらえている。だから、私は前世も、視覚的に見えるものとしての「オーラ」も、守護霊も全て信じちゃいないが、それでもスピリチュアリティには大いに関心がある。
自分と同様な考えを持つ人が主流派と思いきや、mixiの『オーラの泉』コミュニティの書き込みを見ると、「前世は事実として存在するもの」という共通認識のもと、書き込みが進行している様相に唖然とした。
「前世なんて知覚できるはずもないのに、どうしてみんな前世を信じているの?」こんな突っ込みをいれたくなるところだが、学生時代の私の内面にダイブしていけば、彼等の書き込みの深層も分からないではない。バブル全盛期の頃、私は中沢新一氏の著作に傾倒した。その真意を告白すれば「分かりにくかった」から。高校生までは「偏差値」という数値が存在するがゆえに、他者に対する自分の圧倒的優位が保たれるが、大学に入るとその優位は消滅する。そんなときにポストモダン哲学やチベット密教の神秘主義という、「一般大衆」に理解できないものを論じ合えるということは、自分を再び「絶対優位」に引き上げてくれる。こんなたまらなく愚劣な動機から神秘的なものに傾倒する人は今でも存在するはずだし、多くの東大卒業生がオウム真理教に傾倒した所以もその辺りだろう、おそらくは。(もちろん、今の私はかつての私を「たまらなく愚劣」と客観視できるだけの健全性を備えているつもりなので誤解のないように!)
あと上記のようなスノッブに加えて、「今はしがないフリーターだけど、前世の自分はヨーロッパの貴族の出であり、今世は貧しさを知ることが課題であるのだから、フリーターとして生まれた」みたいな現実逃避的な慰めとして前世を信じる若者も多くいるように見受けられる。その気持ちは分からなくもないまでも、健全であるとは思いがたい。
また、江原氏が「芸能人のお宅に訪問する」という透視術だが、マクモニーグルとかいう特殊能力をもつFBI捜査官シリーズでも透視術は登場するし、他の多くの関連テレビ番組を見ていても、恐らくは彼等の能力はホンモノなのであろう。私が問題視したいのは、スピリチュアリティ(精神性)を考える上において、透視術などというものが必要であるのかということ。私は学生時代、「宗教的な奇跡」というものについて思いをはべらせていた時期があった。宗教的に高いマインドを持った人々は、奇跡・神秘的な体験等を「意味がない」と切り捨てる。ならば、なぜ「意味がない」はずの奇跡は語られるのか?それは恐らく「信」の弱いものの「信」を強固にするためであり、江原氏も恐らくは同様の意図で番組中で「奇跡の実践」を行っているのであろう。
江原氏が芸能人の家の間取りをズバリ言い当てる度に、「前世」や「オーラ」に対して「信」の度合いを強めていく人々は多いのだろうが、彼等は論理的な誤謬に気がついていない。透視術がホンモノであるということは、「前世」や「守護霊」や「オーラ」がホンモノであることの証明にはならない。だって、誰も「前世」や「守護霊」や「オーラ」なんて知覚できないのだから。
と、ここまで批判的なことを書いても、『オーラの泉』は多くの回において良い番組であることには変わりない。「前世」「オーラ」「守護霊」というメタファーを提示されることにより、気付きを得る人々は存在する。であるから、私自身にとっては意味のないこれらのキーワードも、他の人々のスピリチュアリティの向上に資するならば、大槻教授(火の玉)のように偏執的に論駁しようという意図も毛頭ない。
中島啓江氏が登場した回は圧巻であった。「ありがとう」という言葉の持つパワー、そしてその大切さ。母親のありがたさ・・・私の心も大きく揺さぶられた。スピリチュアリティをテーマとする「番組自体のスピリット」を忘れることなく、『オーラの泉』を継続していってほしいものである。