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2006年06月06日

「信」とは何なのか? 「Web2.0」と「バフェット」と「オーラの泉」を結ぶもの

突然私の脳内で稲妻が走った。「そうだ、キーワードは『信』だ!何を手がかり人は信じるのだろう?そして、『信』を深めるプロセスとは何なのか?どうすれば、『信』のパワーを利用することができるのか?」
6月6日という誠に不吉な日の書き出しがぶっ飛んだもので誠に恐縮だが、私の書き溜めてきたエントリーが『信』というキーワードで水平的に連携するような気がして、その思うところをばーっと紙に書き出してみた。例えば昨日書いた村上氏とバフェットを分かつものとしての『信』、あるいはオーラの泉を批判したときに書いた、宗教的な奇跡と信仰の関係等々・・・しかし、本日このエントリーを書く直接的な触媒となったのは、非常に遅まきながら最近読んだ、梅田望夫氏の『ウェブ進化論』である。同氏は"My Life Between Silicon Valley and Japan"という人気ブログも運営しており、将棋オタでもある私が羽生現三冠の「インターネット高速道路論」に関するエントリーから着目し始めた方である。同テーマに関しては、私の過去エントリーがあるので、下記をご参照のほどを。

知の高速道路化

何から書いたらよいのだろう?どのようにまとまるのか、あるいはまとまらないのか?とりあえず、梅田氏の著作に取り上げられているネット上の『信』に関して思うところを書いてみようと思う。

【Web2.0とリナックス】
梅田氏は前掲の著作の223ページにおいて以下のように語っている。

(引用始)
『本書で詳述したネット上での新事象群を理解するカギが「不特定多数無限大への信頼」である。』
(引用終)

不特定多数無限大を信頼した新事象群の代表例として、梅田氏はリナックスとWeb2.0の概念を取り上げている。今さら私ごときが解説するまでもなくリナックスとは、オープンソースという思想のもと、全世界のボランティアにより構築されたOSである。このような壮大なプロジェクトを実施するにあたっては、性善説にたってプロジェクトへの参加者を信頼する他はない。Web2.0については私の中で消化しきれてない面もあり、下記の梅田氏の記述が参考になるであろう。

(引用始)
『サービス提供者の立場でいけば、アマゾン・ウェブサービスのように、自社が持つデータやサービスを開放し、不特定多数の人々がその周辺で自由に新しいサービスを構築できる構造を用意することがWeb2.0の本質だ。』
(引用終)

梅田氏はリナックスとWeb2.0を「不特定多数無限大への信頼に基づくネット上の事象」とした上で、その対極にあるものとして(つまり不特定多数を信頼していないものとして)、大組織の情報システムやヤフー・ジャパン及び楽天の方向性を挙げている。

【玉石混交問題への対処】
我々はリアルに対面している人々を信頼することにすら難しさを感じているのに、ネット上で顔も知らない人々を信頼し、かつそうして出来た仕組みが機能しているという点に唖然とするのである。本筋からずれる気はするが、例えば2ch。あそこの書き込みを見ていて、ネット上の顔も知らない人々を、どうして信じられるようになるのかというのか?
ネット上には極めて貴重な情報もある一方で、クズとしか表現のしようのない情報もそれを凌駕し、これを梅田氏は玉石混交問題と表現する。この玉石混交問題に対するシステム的な仕組みとして、一つにグーグルのページランクの概念がある。リンクの数やアクセス数という厳密に定量化できるデータに基づき、信頼に足る情報とそうでない情報を選別するのがグーグルの検索エンジンである。また、皆さんも使っているかもしれないRSSリーダー。これは一人一人の興味というフィルターにより、見るべきエントリーを選別する仕組みであり、本日のテーマの『信』とは趣が異なるかもしれない。
では、玉石混交問題に定性的に立ち向かうにはどうすればよいのか?ここまでは梅田氏の著作に基づく内容で、ここから私の個人的な体験談をご披露したい。昨年、私は腹腔鏡下胆嚢摘出術というオペを受けたのだが、このオペを受けるにあたって大いに参考にしたのが実は2chの病気板である。どこが信頼に足る病院であるか知っておきたかったし、またオペで経験すること、たとえば鼻からチューブを突っ込まれるだとか、尿道にカテーテルを突っ込まれるだとか、そういったリアルな情報でかつ信頼できる情報が欲しく、そのような情報は当然ながらページランクで高く表示されるはずもなく、2chの中から「石」をより分けて「玉」を選び取るしか手立ては無かったのである。しかし、私は「便所の落書き」が混在する中、顔の知らない人々が書いた情報を信頼するに足るか否かという極めて難しい判断を、かなり的確に実践することができ、問題なくオペを終わらせることができた。
その判断のプロセスを記述してみると、まず「私は作為が感じられる」書き込みをドロップした。そう、極めて感覚的に、右脳で判断していたのだ。しかし、作為があるか否かの判断を、もう少し言語化してみようとするならば「仮にこのような書き込みをフィクションで創作したとして、誰かを極端におとしめたり逆に持ち上げたりすることができない」ような情報を信頼していたのだ。あるいは、文章から漂う知的な水準といったものも、選別の基準として機能していたことも否定できない。
対面すらしていない人を信頼するというのは、一見極めてリスキーで、かつ、馬鹿げた行為に思われる。しかし、確かにその情報を提供し、掲示板に書き込みをしているのは、一人の人格を持った人間であることは否定できない。我々は顔の表情や身振りや声のトーンといった視覚・聴覚を取り去ったネット上においてこそ、裸のメッセージが持つ信頼性と正面から対峙できるようになるのかもしれない。

【オーラの泉の信の構造】
江原氏が芸能人のお宅に「訪問」して間取りをぴたりと言い当てて芸能人を驚かせ、前世の「物語」を聞かせることにより、数多くの芸能人が涙をこぼす。あの番組は一体何なのか?
後段の「前世の物語」についていえば、諸富祥彦氏著の『トランスパーソナル心理学』(講談社現代新書)によれば、あれは一種のトラウマ理論に基づくセラピーなのかもしれない。

(引用始)
『自分の苦しみの意味と原因を解き明かしてくれる「説明の物語」を手に入れることで、わけもわからずただ苦しい (中略) 、といった状態から抜け出すことができるわけです。』
(引用終)

が、例えば東野幸治のような現世的な人に、いきなり前世の物語を切り出したところで、効果があるはずがない。しかし、東野幸治は江原氏の「物語」を受け入れる心の準備ができていた。なぜなら、過去の出演者に事前に連絡をとり(いかにも「らしい」やり方だが)、江原氏の部屋の透視術がホンモノであると信ずるにいたっていたから。だから「前世の物語」を受け入れることができた。まさしく、信ずるものは救われるのであり、これが信の持つパワーの効果的な使用法の一つなのであろう。

【ビジネスと「信」】
そして、振り出しに戻って、ビジネスと「信」の関係。村上氏は失敗にぶつかる度に「人間不信」を高め、そして最後は魔の手にかかってしまった。対照的に信頼関係をベースとするバフェットは、尊敬を集めながら、かつ大富豪であるという、「成功」を手中にした。
リーダーシップ、エンパワーメント、コーチング。これらのカタカナ用語を実践できるか否かの最大の鍵は、他人を信頼できるか否かにかかっている。と同時に、他人を信頼するということは、コントロールを放棄することでもなく、チェックを怠るということでもない。

結局まとまらなかったが、ぼんやりと私の考えるべきことが見えてきた気がする。

Posted by Ken Kodama at 2006年06月06日 09:48
Comments

>sakura様

お久しぶりです。sakura様も相変わらず「守備範囲」が広いですね!

>「トランスパーソナル心理学」も含めてスピリチュアルなものを21世紀的に再編集して自分の個性として打ち出してゆくことは圧倒的な強みになるんでしょうか。

上記のご指摘は「強み」という言葉を「重要」とかに置き換えれば、私は全く同感です。「強み」としてそれを何かに「使っていく」みたいな意図があったら、駄目な世界のような気がします、どうやら(笑)。私もまだまだ、この世界は新参者なので分かりませんが(笑)

>もうちょっと頭がよかったら形にできるかもしれないんだけど・・・ふぅ~。

私もそうですが、「形にしよう」とか気張らずにアクションするのがよい気がします。何年後かに振り返ってみると形ができてるんだと思いますよ!またお時間がありますときに、当サイトにお立ち寄りいただけると嬉しいです。

Posted by: 児玉 at 2006年06月07日 09:55

“村上”でも、“バッフェト”でもなく“オーラの泉”についつい指が反応してしまうsakuraです。(爆)
久しぶりにおじゃまさせていただきます。

頭の中にあったものを見事に言葉にして下さって勝手にすっきりしています。

D・ピンクの著作から得るものは本当に大きいですよね。
後は誰がこれを形にするか・・・。
“オーラの泉”などなどヒントはいっぱい放たれているような気がします。
「トランスパーソナル心理学」も含めてスピリチュアルなものを21世紀的に再編集して自分の個性として打ち出してゆくことは圧倒的な強みになるんでしょうか。
言葉にできないようなもの(情)をどう“オーラ”的に放ってゆくのか、そしてその基盤としての“信”とは何なのか・・・。
そしてスピリチュアルなコミュニケーションツールとしてのインターネット・・・。
ただし、手法としてじゃなく自分の生き方と一体となってないといけないんですよね~。たぶん。
私も本当に面白いものがいっぱいつまっているような気がします。
もうちょっと頭がよかったら形にできるかもしれないんだけど・・・ふぅ~。


児玉様頑張って下さい(笑)。
ではでは。


Posted by: sakura at 2006年06月07日 09:28
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