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2006年06月29日

21世紀の企業経営はなぜスピリチュアリティを必要とするのか(その3)

さて、本日は3連作の締めくくりとして、スピリチュアリティが「なぜ」企業経営にとって必要であり、そうであるならばどのような形で取り込まれるべきかという点に関する私見を述べさせていただいた上で、締めくくりたいと思います。

【個人のレベルの必要性】
企業経営におけるスピリチュアリティの必要性は個人のレベルと組織全体のレベルの2つに分けて考えることができると思います。まず、個人のレベルでなぜ必要かといえば、自己超越の域を覚醒しつつあるビジネスマンが増えつつあるからです。物質的に豊かになった帰結として、こうしたより高次の欲求を持つビジネスマンが増えるのは当然のことであり、企業側としてはこうした欲求を持つ個が組織内にいるかもしれないという可能性に、少なくとも気がつく必要があります。
こうした個人が、スピリチュアルの観点から自覚した使命と組織内の職責の違いがあまりにも大きすぎれば、その個人は退社という選択を余儀なくされてしまうでしょう。しかし、こうした個人の内的な価値観と職責を合致させようとする試みを企業側が支援することにより、とてつもないハイ・パフォーマーが誕生する可能性があります。なぜなら、より高次の欲求を満たされている人の方が、概して生産性が高くなるからです。
自己超越に目覚めた人々を組織からとりこぼしてしまわないためにも、部下を持つ上司は、こうした欲求が存在するのだということを、少なくとも理解しておく必要があるでしょう。また、人事全般を統括する人事部、人材開発部等においては、異動やキャリアマネジメントにスピリチュアリティの視点を徐々に加味していくことが賢明であると思われます。
自己超越の域に達した人々のパフォーマンスが高いとの仮説が成立するならば、自己超越の覚醒を促すような研修を行うべきだとの議論がでるかもしれません。しかし、その点については私は懐疑的です。このような欲求のシフトは、なんらかの個人的な体験と意味づけのための深い思索がなければ起こりえないはずであり、外圧的に覚醒を促すという思想自体に無理がある気がします。しかし、スピリチュアリティという多くの人々にとって受容しがたい概念を押し付けるスタンスをとらずに、自らのキャリアパスについての深い内的な振り返りのための時間を十分に与えることは、極めて有意義であると思われます。

【組織のレベルの必要性】
組織を一つの生命体とみなすならば、企業とて「全体」との繋がりを無視した存続はあり得ず、Win-Winを超えたMulti-Winを志向したビジョンを策定する必要があります。例えば、かつてナイキは、コスト削減に伴う負の部分をアジアでの児童労働に吸収させることを求めたため、手痛い不買運動に苦しめられた経緯があります。あるいは、昨今の環境問題。「顧客」と「株主」という、「上」だけを意識した経営は、いずれより大きなシステムの中で破綻に追い込まれます。こうした、地球規模の「全体」を意識しないことには、とくに規模の大きなマルチ・ナショナル企業の継続的な成長は難しい状況になってきているのです。
このような視点を意識した上で、コーポレート・ビジョンの策定を提唱しているコンサルタントなども特にアメリカには少なからず存在するようであり、例えば"Liberating the Corporate Soul : Building a Visionary Organization " のような著作を挙げることができます。同著作は、ケン・ウィルバーの勉強会にて主宰の鈴木さんから紹介していただきました。ケン・ウィルバーという人はスピリチュアリティを学問として昇華したトランスパーソナル心理学の中核的な人物とみなされている人なのですが、彼の著作へのリファレンスが豊富にある「経営学」の書物がアメリカでは出版されているという点は、我々も少なくとも気に留めておく必要はあるでしょう。

・・・とスピリチュアリティに関する私の想いはひとまずこれで終了です。予想通り、今週全般のアクセス数は少なかったです(笑)。今後はまた、ファイナンスを主体とする雑多なエントリーを書いていくこととなると思いますが、私の根っこにある部分はここなのだということをご了承いただければ幸いです。

Posted by Ken Kodama at 2006年06月29日 09:31
Comments

sakura様

毎度コメントいただきありがとうございます。今回はまた、「ずっしりとくる」とくるコメントいただき感無量です。様々な分野に深いご経験・洞察のある方から、ご意見をいただけるのがブログを運営する醍醐味です。

そうsakuraさんは、香港映画に大きな関心があったんですよね。そうした肌で香港を分かっている方が、下のようなコメントをされるのは、重みがある気がします。

>元々香港人の動向ウォッチが好きでネット上から観察してたのですが“西洋の合理性と東洋の精神性をうまく社会の中に取り込んで21世紀仕様に変えてるなー、これって結構スゴイ事かも

実は私はサラリーマン時代に、香港にいる人々との日々の「闘い」を繰り広げていたことがあるのですが(笑)、その頃は彼等の「東洋の精神性」に気がつくゆとりがありませんでした。でも昔の同僚も絶対こうした根っこがあるはずなのに、それに迫れなかった自分を残念に思います。

>ミクロコスモスの不調和が甚大な被害をもたらす
>マクロコスモスとしてのある地域がバーチャルの道である電子政府を導入するのであれば内なるミクロコスモス(公、企業、個人)同士のレゾナンスや「信」がなければ成立し得ない

おっしゃっていることはよく分かります。これを、「よりビジネスマンに受けいれられる表現」に置き換えるならば(笑)、「全体最適」と「部分最適」となるのかもしれません。センゲは「システム思考」がバックボーンにある人なので、思考対象とすべき「システム」を拡張し続けていった結果、「この辺りの領域」にたどり着いたのではないかと思います。

最後に、私のブログの不具合でsakuraさんのブログのURLが隠れてしまっているので、下記に掲載させていただきます。

http://sakuradayori.blogzine.jp/i/

これからもよろしくお願いします!

Posted by: 児玉 at 2006年07月02日 13:20

またお邪魔してしまいました。
どなたもまだレスされていないみたいなので・・・。
スミマセン。

P・センゲの「出現する未来」昨日、おとといと読んでみました。
実はこれ、香港で既に出現しちゃってるみたいです。
というのも、元々香港人の動向ウォッチが好きでネット上から観察してたのですが“西洋の合理性と東洋の精神性をうまく社会の中に取り込んで21世紀仕様に変えてるなー、これって結構スゴイ事かも。”と思っていたら、こういうものが出てきてしまいました。

東洋に何があるのか本格的に彼らが気づいてしまったのかもしれません。
で、こういったことが21世紀を生きるのに必要なものだということにも・・・。

“流動化する世界”では、あるミクロコスモスの不調和が甚大な被害をもたらすことはJR西日本の事故や耐震偽造問題などで明らかです。そして自然と人間との不調和に関しても・・・。
そしてそれを克服するには社会の中にある種の価値観の共有や忘れている本能を取り戻す必要があること。(ダマシオは“感じる脳”の中でセマティック・マーカー仮説って言ってるようですが。)
それから、マクロコスモスとしてのある地域がバーチャルの道である電子政府を導入するのであれば内なるミクロコスモス(公、企業、個人)同士のレゾナンスや「信」がなければ成立し得ないこと。

「出現する未来」の原題は“Presence”のようですがその意図するところの人間の“存在”、“ありよう”そして“スピリット”が未来を規定するということで意識革命の提示のようですね。

(特に)ここ一年暇だったんで(笑)センゲの本の内容はマイブームになってました。
“国家の品格”よりもセンゲの本のほうに東洋思想の根源があるようです。“品格”からではセンゲのほうはイメージできないと思います。

参考にしてたのは、
「茶の本」岡倉覚三  岩波文庫
「科学とスピチュアリティの時代」人体科学会 ビイング・ネット・プレス
「感性の哲学」桑子敏雄 NHKブックス
「理想と決断」桑子敏雄 NHKライブラリー
などなどです。

先日児玉様が“「『日本』経済新聞」という閉塞感”の中で指摘しておられたことと日本人のスピリチュアリティの問題は「フラット化する世界」の中での大きなネックになるような気がします。
中国は香港からヒントを得ているみたいですし、アメリカはセンゲが本を出してますし、ブッシュ後はどうなんでしょう?(笑)って笑ってる場合じゃないんでしょうが。

とりとめもなく書きまくってしまいました。

スピリチュアル系の話題は私が来てしまいますのでおやめになった方がよろしいかと・・・。(笑)

ではでは。


Posted by: sakura at 2006年06月30日 10:55
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