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2006年11月04日

第五水準のリーダーシップ ~見分けられるのか、育てられるのか~

私は一番最近で、丸一日休んだのはいつのことだったかと、手帳を見返してみたのですが、よく分かりませんでした(笑)。10月の9日か10日あたりに、多分全休をとったと思うのですが、休んだという記憶があまり定かではないのです。これというのも、一重に仕事に慣れていない部分があり、準備に多くの時間がとられるからに他ならないのですが、6つくらいの案件の準備のための時間をどうやってつくろうかと思案したスケジュール帳を見返すと、今でもあのときの「あたふた感」が蘇り、背筋が凍る想いが再現されます。この忙しさも来週の木曜で一区切りがつく予定で11月の10日から15日は6連続で予定が空いているので、今度こそ本当に「ふらり旅」を決行しようともくろんでます。

【第五水準のリーダーシップとは】
さて、本日のお題は『ビジョナリー・カンパニー②』から採ったものです。こちらも前作におとらず「児玉好み」の本で、なぜ今まで読む機会にめぐまれなかったのか思えば不思議で仕方がありません。その中でも、私の心をとらえて離さないのが第五水準のリーダーシップという概念です。ビジョナリーカンパニーを築いた経営トップは皆、この第五水準のリーダーシップのレベルの持ち主であるというのが、本の言わんとするところなのですが、ここで第五水準のリーダーシップと第四水準のリーダーシップの定義を引用しておきましょう。

(引用始)
第五水準 第五水準の経営者

個人としての謙虚と職業人としての意思の強さという矛盾した性格の組み合わせによって、偉大さを持続できる企業を作り上げる

第四水準 有能な経営者

明確で説得力のあるビジョンへの支持と、ビジョンの実現に向けた努力を生み出し、これまでより高い水準の業績を達成するよう組織に刺激を与える
(引用終)

この定義を見て、まず私が感じたことは、日本で第五水準のリーダーシップを持つ人々を具体的にイメージしにくい、ということです。確実に挙げられるとすれば、松下幸之助氏や本田宗一郎氏は、この域の方々でしょう。しかし、現役で活躍中の方となると、第五水準のリーダーシップを持つ方というのは、なかなか思い浮かびません。例えば、ソフトバンクを率いる孫正義氏は、おそらくほぼ確実に第四水準のリーダー止まりの方といえるでしょう。第五水準に「謙虚」という形容詞つくことからして、そもそもそういう人々は目立たないから、私が想像できないのも当然のことであるのかもしれません。
あと、余談ですが、両者の違いを見て思い出されたのが、渡辺和博氏著作の「昭和の名著」、『金魂巻』です。

確か、「成金はやたらと派手な時計やら身なりを見せびらかしたがるけど、本当の金持ちは質素で地味だ」みたいな記述があったと思います。もちろん、「金持ち」と「リーダーシップ」は全然異なるのですが、渡辺氏なりの直観と観察力で、鋭いところをついていたのだな、という気が改めてしました。

【見分けられるのか?】
さて、人材アセスメントというものを生業の一つとしている私にとっての関心は、

第五水準のリーダーシップを持っている人というのは見分けられるのか

という点にあります。私が主に担当させていただくのは、管理職登用前の30代から40代の方がメインであり、CEOクラスの選抜には関わったことはないのですが、この段階で第五水準のリーダーシップを持つ人々がはじかれてしまうようなアセスメントであれば、企業にとって与える損失は甚大です。
アセスメントのプロセスを詳細に公開するわけにはいかないので、漠然とした結論だけ申し上げておけば以下のようになります。
「多くの管理職の選抜において、『第五水準のリーダーシップ』という切り口は当然ながら使用されていないが、第五水準のリーダーシップをはじくような仕組みにはなっていない。」
難しいのが「謙虚さ」をいかに見るかという点ですが、「組織、チームへの献身」と読み替えれば、このような切り口を欠いたアセスメントは、まずないと思います。しかし、これはあくまでも「よきマネージャーを選ぶに際して、第五水準のリーダーシップを持つ者ははじかれていない」というだけの話であって、例えば取締役会がCEOを選出するに際しては、第五水準のリーダーシップを持つものを明確に見分けられないと、その企業にとっての長期的な死活問題にもなりかねません。
ここで、インテグラル・ジャパンを主催されている鈴木規夫さんのミクシー日記より教えていただいた、面白い記事を下記にご紹介いたします。

Incompetent People Really Have No Clue, Studies Find: They're blind to own failings, others' skills

その要旨をかいつまんで申し上げれば「自分の能力を正確に把握するためには、その分野においてある程度の能力がなければできない」ということです。例えば、自分の論理的思考能力の高低を正確に自己認識しうるためには、ある程度の論理的思考能力がなければならず、論理的思考能力に乏しい方は、自己の論理的思考能力を過大評価しがちであるとのことです。
これはあくまでの「自己認識」の話なのですが、他者を評価・認識するに際しても、おそらくは評価しようとする分野の能力がある程度は必要とされるということがいえるのではないでしょうか?これは一つの仮説です。
そして、もう一つ別の仮説ですが、「第五水準のリーダーシップ」って高いスピリチュアリティーと言い換えてもいいのではないでしょうか?こちらの仮説の方は、前者の仮説に比べて、かなり詰めが甘い感がします(笑)。で、両者を合わせて私が何を言いたいかといえば、

第五水準のリーダーシップを見分けるためには、ある程度の高いスピリチュアリティーを見分ける側も保持することが必要であろう

ということです。
これを裏付ける実証例に好例として、バフェットとタワー投資顧問の清原さんが挙げられるのかもしれません。バフェット自身のスピリチュアリティーの高さは、私が言うまでもありません。彼が投資にあたっての判断材料として、恐らく財務情報は広範な投資対象からのスクリーニングくらいの意味しか持たず、最終的には経営者のスピリチュアリティーを見極められていたからこそ、投資において成功を遂げられたのではないでしょうか?また、日本では恐らくタワー投資顧問の清原さんも、あれほど世間一般的には騒がれながら(私も騒いだ一人ですが(笑))一切表舞台に登場しなかったことから、少なくとも「謙虚」であることには間違いないでしょう。そして、過去の週刊誌の記事では、「投資対象の企業の社長ととりとめもない世間話をして帰っていく」とあったことから、人を見極めることが、彼の投資哲学の根幹を据えていたことが推測できます。
私の推論が正しいのであれば、ジム・コリンズがいうところの「第五水準のリーダーシップ」は株式投資において見極められていた実例があるということになり、なんだか恐ろしいような気もします。

【育てられるのか?】
さて、恐らく読者の方の関心は、「見分ける」よりも「育てられるのか?」にあることでしょう。これに関しては、「育てられる側の資質」と「育てる側の資質」に分けて、私の意見を述べておきたいと思います。ちなみに、論理的な根拠はほぼゼロの意見であることをご了承下さい(笑)。
まず、「育てられる側の資質」としては、これはビジョナリーカンパニー②の2章のタイトルにもなっているように、「野心は会社のために」、つまり自己の功名心が動機の根源にある状態では、恐らくは第五水準のリーダーシップなどは、到底手に届かないシロモノなのでしょう。逆説的ですが、第五水準へのリーダーシップというものに対する執着がなくなってはじめて、それは手に入れられるものなのではないか、という気がします。
そして「育てる側の資質」としては、当然、第五水準のリーダーシップを育成するものは、相応の高い精神性を有していることが不可欠となるのでしょう。頭の悪い人からロジカルシンキングを教わりたくないのと、同じ理由です。高価な時計をこれ見よがしに身につけ、高級外車で颯爽と現れるエグゼクティブコーチから、「スピリチュアリティーとは」みたいな説教は、誰も聞きたくないということです。

・・・とこう考えてくると、現在私のメインの生業となりつつある、人材アセスメントを核とした人材育成というのは、かなりタフな仕事であるということです。もちろん、生涯マネジャークラスを相手にするということであれば、現状の延長線に努力を続けていけばよいわけですが、より高いクラスを相手にしたいのであれば、自分も知識のみでなく精神面においても相当の研鑽を積まないことには無理であるということなのでしょう。当たり前といえば当たり前のことなのですが(笑)。

Posted by Ken Kodama at 2006年11月04日 13:56
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