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2006年12月02日

私のモチベーションの源泉を探る

雲間から覗いた青い空のごとく、突然ぽっかりと空き時間ができてしまった。最近はこういう事態が生じると、「何かすべきことを忘れているのでは?」という不安な心境に陥るが、どうやらそういうことはないらしい。ということで、久々に多少手間をかけたエントリーを執筆の予定。といっても、基本的には本日のエントリーの趣旨は私の内面への旅である。というのも下記の素晴らしい本に触発されたからだ。

私は研修の案件を引き受けるにあたって、仮に馴染みの深い分野であっても、必ず関連分野の著作を新規に1冊は読もうと心がけている。約10日後に目標設定がらみの研修が予定されており、何か得るところはないかと本屋をウロウロしていたら、この本に出会ったのだ。毎度ながら、金井先生の本は素晴らしい。私もモチベーションについてはそれなりの知識は既に有しているのだが、この本の素晴らしさは、広範なモチベーション論を①緊張系②希望系③持論系の3つの類型にすっきりと整理したところにある。このフレームワークのお陰で、私の頭の中の整理が進行した感がある。また、金井先生の本の素晴らしさのもう一つは、「読ませる」あるいは「読んでて楽しい」点にある。ここで私がいう楽しさは、あたかも文学作品を読むかのごとくの味わい深さのことであり、どこぞのMBAシリーズの類のような無機質で平板な文体を使用して、「チャート式」(死語?)っぽく整理された書物をお求めならば、金井先生の本は選択されない方がいいであろう。あと以前のエントリーで私が絶賛した、デシの下記の著作に登場する内発的動機付けに関する記述も多かったため、そちらに関心がある方もご一読をお勧めする。

金井先生はこの著作の中で、読者が自分のモチベーションの源泉を探るようなエクササイズを行うことを推奨されている。ちょうどいい機会であるので、ブログ上で私のモチベーションの源泉を公開しつつ、自己認識を深めてみたい。

①意味
なんといっても私のモチベーションの最大の源泉は「意味」の存在に帰着する。恐らく6割くらいか?意味のない仕事をやるほど、私にとっての苦痛はない。では、私にとって「意味」とは何か?
一つは私ではないと代替できない、機械では代替できない、という私自身というエゴの尊厳に関わるもの。もう一つは、「誰かのためになっているか」という利他的な意味。金融機関で働いているときは、特に後者で悩んだ覚えがある。粗野で羽振りのいいトレーダーの儲け・リスクを計算する仕事に、一体なんの意味があるのだろう?そんな根源的な悩みが、私を「経済学的な市場倫理」へと導いた。

『村上ファンド』を通して証券市場のモラルを考える

上記のエントリーにおいて、私は「アービトラージャーの社会的役割」という概念を使って村上ファンドを「擁護」したが、こうした市場のモラルに関する考察は、私が金融機関に勤務していた際の内面的な慰めの探索に遡れるのかもしれない。「私は社会的意義を持つアービトラージャーの損益・リスク管理を行うことにより、『意味のある』仕事、社会のためになる仕事に携わっている。」この考えを信奉することが当時の私のモチベーション向上に寄与していたはずである。
現在の研修講師としての私は、このような一般的には理解しにくい理論体系を持ち出さなくとも、胸を張って「他者のために」仕事をしていると断言できる。各研修を通じて、受講生のコンピテンシーを高めることに貢献することは、確実に意味がある。また、これとは別に、私は秘めたる野望を胸に抱きつつ仕事をしている。それは、受講生を将来のビジョナリーカンパニーの担い手となるべく、第五水準のリーダーシップを発揮できるリーダーへと育成することだ。研修の大目的を逸脱しない範囲で、彼らの心に灯をともそうと、日夜奮闘しているのである。これほど崇高な意味を持つ職業に出会ったのは、生まれて初めての経験である。・・・あるいは、自分が職業に崇高な意味を見出さすことができるほどに成長した、というべきなのかもしれない。

②適切な額の報酬
報酬の額が低すぎるとやる気がでないというのは分かりやすい。独立直後の私の報酬は、それは惨憺たるものだった。当時からこのブログを継続的に読んでいただいている方はごくごく少ないと思うので、今「カミングアウト」をしても問題ないと思うが、「あの仕事」にかなり真面目に取り組むと、時給換算でコンビニ店員の方よりも少なくなってしまう。「従業員として企業に帰属する」というブランドを引っぺがされると、私の自尊心がズタズタに引き裂かれるのほどの報酬しか手に出来なかったのである。これでモチベーションが湧くわけがない。
しかし、「高すぎる報酬」というのは、実は他者の尊厳の軽視の上に成り立っている、という事実に気づくと、報酬が高すぎるのも、モチベーションの向上にはつながらない。外資系企業で経営トップに近いポジションで管理会計的な仕事を行っていると、そこそこの水準の給与が手にできる。しかし、それはコストリダクションという統制に加担したことによる報酬であり、コストリダクションの多くは人件費の削減によりもたらされる。ヘッドカウントの削減にまで踏み込まなくとも、売上の増減に応じてパートタイマーの労働時間を調整することは不可欠であり、私はその時間調整にかけては天性の才能を持っていた。その報酬としてかなりの固定給を手にしていたが、そのお陰で膨大な数のパートタイマーの労働時間が奪われていたのである。この辺りを意識しだすと、そのポジションに居座ることは精神的にかなりつらい。
現在は基本的には出来高払いであり、単価はマーケットの相場に照らして適正である。頑張れば頑張っただけの報酬が得られ、それは他の誰の犠牲の上に成り立っているのではない。こうした状態にいれば、私は動機付けられるのである。

③専門的な知識が必要とされる
専門的な知識を必要とする仕事に携わっていれば、スペシャリストとしての自尊心が満たされる。また同時に知的好奇心も満たされる。外資系企業に勤務している時代は、ファイナンスとアカウンティングの分野において知識を象のごとくためこむことが、私の生きがいの最大の源泉であったような気がする。今は「ヒト」の分野でその欲求は満たされている。

④達成感
これも外資系企業勤務時代には、担当した職種にもよるが、満たされぬ達成感で悩んだこともあった。経理等の事務作業というのは、悪い言い方をすれば、賽の河原で石を積むようなものである。毎月鬼がやってきてはせっかく積んだ石を崩し、その作業は果てしなく続く。また、機械化等の合理化により石積みが終焉するようなことがあれば、それは自らの雇用の不安を意味するという側面もある。
こんな中でモチベーションを高めるには、石の積み上げ方に独創性を取り入れてみたりだとか、鬼が石を崩す様に恍惚を覚えるといった具合の倒錯的な喜びを見出す、くらいに手立てはない(笑)。ま、私に事務仕事は本質的に合わなかったということである。この種の事務作業に従事されている読者の方もいるであろうから、そういう方にはその仕事にいかに意味を見出し、達成感を見出すかというチャレンジングな課題が課されていると捉えていただきたい。
今の仕事では、各研修案件が終了するごとに小さな達成感を連続的に積み上げることができる。そしてその良し悪しはアンケートや先方の担当者からのフィードバックという形で、即座に確認できる。そして良好なフィードバックの報償として、リピートの案件がいただける。こんなに達成感を日々確認できる幸せな仕事は、そうはあるまい。

⑤自由度の高さ
サラリーマンとして雇用されれば、安定を獲得する代償に自由を手放すこととなる。実質的な固定給のもとで、長時間にわたるサービス残業を強いられ、心身に変調をきたすことすら覚悟せねばならない。
独立すれば、当然安定を手放すことになるが、その代償に高い自由度を確保することができる。肉体的に限界を感じれば、それ以上案件を引き受けることをお断りすればよいまでだ。また、どうしても自分の信念と相違する仕事も、断る自由は確保している。まあ、ただ実際のところは、そこまでは「売れっ子」になっているわけではないので断る局面が多々あるわけではないので(笑)、心の底で「俺は自由だーッ!」って叫べるメリットがあるくらいにすぎないというのが、現状ですけどね。

⑥適度な人的な交流
私は、例えば「毎年の忘年会で恒例の社長の女装独演ショー」みたいな奴に10年間黙ってお付き合いするみたいなことが、死ぬほど嫌いな人間である。職業上の人間関係は近すぎず深すぎずが良いとの信条から、外資系企業に入社したのである。とはいえ、ドライすぎるのも考えものである。なにかレポート上に計算ミスを犯したときに、私の直属の上司やそのまた上司や支店長クラスを「CCリスト」に入れた上で、クレームメールを送りつけるといったカルチャーも、心の荒廃を招くばかりである。ものには限度というものがあるのだ。
現在もまだ独身であり(とかブログに書くと結婚斡旋所みたいなところからメールが途絶えなくなるので困るんだが(笑))、プライベートの友人もそれほど多いわけではないため、やっぱり仕事を通して人と触れ合えるというのは、ほっとする。講師仲間や営業担当の方や、そして何よりも受講生の方と心が通い合ったと感じるとき、自分が人間であることの喜びを感じると言っても過言ではない。

さて、以上6つが小一時間考えた上での私のモチベーションの源泉だが、多くのものは私がフリーエージェント的な雇用形態を選択したことによってエンハンスされていることが、我ながら興味深い。こうした雇用形態を選択する人々は21世紀中頃には主流を占めるのではないかという気が漠然とする。
また、金井先生は浮上したキーワードを列挙することに留まらず、それらを結びつけるようなストーリーを考えることを奨励している。が、今日はもう疲れたし、あまりコピーライト的なことは得意ではないので、今日はこれまでとしたい。

Posted by Ken Kodama at 2006年12月02日 15:03
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