『発達とは、実際のところ、自我中心性が次第に減少することと定義できる。(引用)』
「目から鱗が落ちる」というのは、あまりにも陳腐な表現で、私はこのブログで使ったことはほとんどないと信じているが、上記に引用した表現に出会って、私は他に口にすべき言葉を知らない。だから、陳腐と言われようと、なんと言われようと、胸を張って「目から鱗が落ちた」と言いたい。
上記の深遠な表現が含まれている著作は、ケン・ウィルバーの下記の著作である。
「ケン・ウィルバー勉強会」などと題された勉強会に、もう4回も参加させていただきながら、彼の著作は『無境界』の1冊を読んだだけである。『無境界』を読んだ感想は、古今東西の思想が非常に「すっきりと」まとめられている、という印象が大きかった。しかし、文体や扱っている内容が決して平易ではなかったこともあり、私の心に響くような言葉や文章は少なく、それが彼の著作をこれ以上読むことに対して、私の心的なバリアーを形成していたのであった。
一昨日、新宿の紀伊国屋に立ち寄ったときに、本当に「なんとなく」彼の著作で読みやすそうに思えたこの著作を手にとって、そしてもう本日、ざっとではあるが読み終えてしまった。ケン・ウィルバーという人は確かに偉大な思想家ということは分かっていたが、小難しいことばっかいう、みたいな印象もあったのだが、私のような凡人の心を打つ文章を書くこともできる人なのである。
【第五水準のリーダーシップと「発達」】
3ヶ月前に『ビジョナリー・カンパニー②』の中の第五水準のリーダーシップという用語に出会った私は、多少の当惑も交えつつ、こんなエントリーを書いている。
第五水準のリーダーシップ ~見分けられるのか、育てられるのか~
ここで、第五水準のリーダーシップの定義を、再び下記に引用しておきたい。
『個人としての謙虚と職業人としての意思の強さという矛盾した性格の組み合わせによって、偉大さを持続できる企業を作り上げる(引用)』
ここで、私が戸惑いを覚えたのは、「謙虚さ」という用語に対してであり、それを私なりに「組織、チームへの献身」と読み替えていたが、それは決して間違ってはいないが、冒頭のウィルバーの引用に比べれば「エレガントさ」という点では、数段劣る解釈といえよう。第五水準のリーダーシップを身に付けた人物とは、第四水準のリーダーシップを身に付けた人物に比べ、一言でいえば、「より人格的に発達している」、ということなのだ。
【自我中心性は螺旋的(スパイラル)に減少する】
さて、第五水準のリーダーシップを獲得するために必要なのが「自我中心性の減少」であるとするならば、組織の階段を駆け上ろうとする大志を抱いた若き読者の方は、「それでは、座禅でも組むか」という短絡的な結論に至るかもしれない(笑)。しかし、発達とは恐らくはそのような直線的な営みではない。それ故に、発達のプロセスは螺旋的(スパイラル)に図式的に表現される。あっちの極へ行ったかと思えば、またこちらの極へ戻り、あたかも箱根登山電車の如く、ぐるぐる回りながら頂上を目指すのである。(しかし、「頂上」が本当に実在するのかは、私には疑問だが)
また、「螺旋的に上昇する」という点に加えて、発達は「段階的に」示されることが多い。発達を「螺旋+段階」という分かりやすい図式で示したのがスパイラル・ダイナミクスであり、ウィルバーの著作の前半部で詳細に紹介されている。また、ウェブ上のサイトでは、下記のサイトが実に分かりやすく日本語でまとめてくれている。
ここで、「螺旋(スパイラル)」という点について、私の体験談をご紹介しておきたい。ヒューマン・アセスメント形式の研修において、「自己を強く主張すると、他者の意見を柔軟に取り入れられなくなってしまう。逆に、他者の意見を汲み取ろうとすると、自分の基軸が骨抜きになってしまう。そのバランスで悩んでいる。」との悩みを私にぶつけて下さった方がいた。その方の悩みを解決するには、螺旋状にぐるぐる回りながら、もう一段階高いところに立つしか解決策はなく、その道も最終的には自分で探し出すしかない。しかし、そのような悩みを抱いているということ自体、「発達」という階段を着実に上っている証拠であるといえよう。私は20分という限られた時間で、可能な限りの助言をさせていただいたが、果たして本当に「助け」になったか否かは、「神のみぞ知る」である。
【「発達」は段階的に階層を登る】
また、「段階」ということでいえば、この点が私がすっきりしていなかった点である。一見、段階的に見える事項は、単なる「価値観の相違」であり、そうであるならば、上下に並べず、並列的に認識すべき問題なのではないか?このような私の悩みに対しては、下記のウィルバーの言葉がなんらかのヒントになった気がする。ただし下記に引用する文章は「なぜさまざま世界観の統合まで試みるのか」という、異なる質問に対する答えであることはご留意されたい。
(引用始)
『しかしもし私たちが、単に多様性を祝福する段階にとどまるだけなら、本質的に断片化、疎外、分離、そして絶望を促進しているのである。
私たちがみんな異なっているということを示す多くの道を認識するだけでは十分ではない。私たちはさらに進んで、その多くの道で、私たちはまた似てもいるということを認識しはじめる必要がある。』
(引用終)
加えて、「発達の段階性」というテーマにからめて、故ナンシー関女史の鋭い洞察をご紹介しておきたい。かなりうろ覚えではあるが、彼女は「日本人の何割かは、常に潜在的に銀蝿的なものを求めている」と指摘されたことがあった。「銀蝿的」とは、恐らく皆様の忘却の彼方にある横浜銀蝿のことである。彼女の直観は、その後の氣志團のブレーク(あるいはDJ OZMAの紅白での暴走(笑))で裏付けられる格好となった。
さて、ここで彼女の残した名言、「銀蝿的」の意味する本質って何なのだろう?先にリンク先を示したスパイラル・ダイナミクスのサイトでいえば、発達段階のパープルとレッドに相当するものである、と言えよう。両者の人口比を足せば3割になる。ナンシー氏が正確に何割と書いていたかは思い出せないが、鋭い洞察である。
【なぜ私がこんなことに興味を持っているのか?(笑)】
実は私は、当初明日からアメリカに行って6日間のスパイラル・ダイナミクスの研修を受講してくるつもりであった。実は「(有)エイムハイ・コンサルティング」の決算は12月であり、年末に支払をすませて節税もしようとの思惑だったのだが、「去年支払って翌年の研修に出るって、経理上は前払費用として資産計上すべきなのではないか?」という落とし穴に気づいてしまったため(笑)、もう少し落ち着いてから受講しようと思いとどまったという経緯がある。
で、なぜ金払って渡米してまで、私の関心を惹くかといえば、一つにはキャリア理論の中で注目されている分野であるからである。
まず、我々にとって手に入りやすい、キャリア関連の良書として下記の著作がある。
そして、上記の著作が引用する、なかなか「読ませる」英語のキャリアの教科書として下記の著作がある。
そして、この本の中で発達心理学のアプローチに関して、下記の記述がある。
(引用始)
『Another developmental model, which is becoming increasingly important in organizational behavior, is that of Robert Kegan (1982, 1994). In his view, developmental occurs not so much in an age-driven manner but, rather, as a result of the person encountering new situations that contain increasingly greather complexity.』
(引用終)
金井先生の本でも紹介されている発達心理学のモデルはレビンソンのものであり、上記で「age-driven」と紹介されている通り、「20代にはかくかくしかじかの発達課題があり、30代にはまた別の発達課題がある」といった具合のまさしく「age-driven」なアプローチである。
が、Hall氏はそれとは別のロバート・キーガンの発達モデルが近年より重要になっていると指摘しており、そのロバート・キーガンのモデルを(どちらが先かはよく分からないが)分かりやすい形でまとめた一つがスパイラル・ダイナミクスの色別の段階理論なのである。そして、ケン・ウィルバー、ロバート・キーガン、(スパイラル・ダイナミクスを作った)ドン・ベックという人々は、みんな(強弱の差はあれ)繋がっている一派に属する人々である。
別に流行を追っているわけではないが、彼らのアプローチはアメリカだけでなく日本でも十分通用すると思うし、そのビジネス分野(特にキャリア・リーダーシップ)への重要性・応用性を直観的に認識したため、時間が許す限り、現在習得に努めている、といったところです。
長くなったので本日はここまで。