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2007年05月14日

意外や意外! 北尾氏と私の職業観は一致していた!

来月のことですが、30代の方をメイン対象としたキャリア研修という、今私が一番心躍るタイプのお仕事をいただいたのです。もちろん大枠でのお客様からのオーダーは外せないのですが、今回は講師は私一人のため自由度が高く、今からテキストや演習をどうしようかと、楽しい準備作業に追われています。
で、最近「働く」というテーマでいえばこの本が売れているようです。

実は先月からこの本を読もうかと書店で手にとってみたりしていたのですが、まず帯からして、私が抵抗感を示す要素が満載でした。

『古典が授けた五つの人生観』

「この方の言う古典って何なの?」と中身をぱらぱら見ると、「孔子」やら「後漢書」やら、中国古典が漢文調で引用されており、これはまー大学時代に竜馬や三国志を読んで涙した、みたいな人にはピタリと来るんでしょうが、このブログの読者の方はお分かりのように、私はバタ臭い西洋物でないと駄目な訳なのです(笑)。
で、一度は読むことを断念したわけですが、本日参加させて頂いた勉強会の終了時間が大幅に前倒しされ、本屋にいって「よし、いっちょ読んでやるか」という気になったのです。字が大きいので2~3時間で読めるかなと判断し、研修のときには「こんな持論をもっている方もいますよ」程度に話のネタになりさえすればよい、と小さな期待で購入したのです。
・・・今、3分の2近くを読み終えたところなのですが、もうまさしく私が研修のテーマとして強調したかったことがずばり書かれていたことに驚愕しました。どういう点かというと、この本の29ページに「日本に伝統的に根付いている仕事観」として以下の二つが太字で書かれていたので、引用しておきます。

(引用始)
『①仕事とは公のためにするものである。
②仕事とは天命に従って行うものである。』

(引用終)

まず、上記に引用した文章は、実は私の個人的な体験に基づく仕事観とほぼ完全に一致しています。で、その考えに至る私の「茨の道」をこのブログ上で語ってしまうと、理解のない方が読んでしまった場合、下手をすると私の研修講師としての価値が下落しかねないため、この場で語ることはやめておきます(笑)。私の研修に臨むポリシーとして、まだ青二才の私の人生論はしたくないわけです。で、こうした職業観に合致する、学問的な文献はないかと探していたところ出会ったのがマズロー、フランクルなのです。
例えば、下記の著作におけるマズローの自己実現観を引用しておきましょう。

(引用始)
『自己実現は、利己-利他の二項対立を解消するとともに、内的-外的という対立をも解消する。なぜなら、自己実現をもたらす仕事に取り組む場合、仕事の大義名分は自己の一部として取り込まれており、もはや世界と自己との区別は存在しなくなるからである。』
(引用終)

あるいは、フランクルは同様のことを以下のように表現しています。(私は先日ご紹介した山田さんの著作からこの文章に気付かされました。フランクルの同著や読んではいたのですが、その重要性には気付かなんだ・・・)

(引用始)
『ここで必要なのは人生の意味についての問いの観点の転回である。すなわち人生から何をわれわれはまだ期待できるかが問題なのではなくて、むしろ人生が何をわれわれから期待しているかが問題なのである。』
(引用終、強調は児玉)

おそらく現在のサラリーマンの方々のほとんどは「利他的」「奉仕」「公(おおやけ)」といったことはほとんど意識されていないと思います。しかし、ここにこそ本当の自己実現があり、ハッピーさがあるというのが、私の実感でもあり、マズロー、フランクル、そして北尾氏が口を揃えて言うことなのです。(ただ、北尾氏の場合、明確な記述はないものの、若干「滅私」のトーンが漂っており、また「自己実現」という言葉を「自己中心的」とほぼ同義にとらえているようです。ここがマズローやフランクルと異なるところです。)
興味深いのは、北尾氏がこの考え方を、儒教を中心とした中国・日本の古典をベースに形成し、それが西洋のマズロー、フランクルの思想と呼応しているという点です。やっぱり、究極的には東洋と西洋の違いを消滅するのではないかというのが、私の考えです。
また、二点目の「天命」という考えは、最近私が考えを巡らせる「スピリチュアリティ」に関連する事項です。(ちなみにこの話題が研修の現場では抵抗感を招くことは現実的な感覚を持つ私としては理解しており、従って冒頭に述べた来月の研修でも、また今後数年間はこの話題は企業研修の場では封印する所存です。)まず、ビジネスの場においてスピリチュアリティを語る点について、私はジェイムズの『プラグマティズム』を読み、以下のような結論に至りました。

①ビジネスに何らかの有用性をもたらすのであれば、ビジネスにスピリチュアリティを取り入れるべきである。
②蓄積されてきたビジネスの知識体系と矛盾がなければ、ビジネスにスピリチュアリティを取り入れるべきである。

だから、『オーラの泉』的な前世・守護霊・オーラの超常現象三点セットは仮に癒しをもたらしたとしても、上記②によりビジネスの現場には採用すべきではないと私は考えます。
でも、「人間存在を超えた大きな存在があると仮定すること」程度では、SWOTだの3Cだのはびくともしないでしょう(笑)。で、北尾氏は松下幸之助氏の「天は必ず何かの形で啓示を与えてくれるから、それに備えて日々努力していくことだ」という興味深い言葉を引用しています。
私が今研修講師という仕事に情熱が費やせるのは、実はこの「啓示」が大きな役割を果たしています。といっても、枕元に神々しい存在が立ち現れたとかいう派手な啓示ではなく、自分の人生を振り返ってみて、「啓示」を見出したという感覚です。私の人生が全て偶然により形作られていたのであれば、それはそれで「結構まー大変な人生だったね」で終わってしまうわけです(笑)。でもその数々の試練が、もしなにか「大いなる存在」によってもたらされたと仮定して考えるとどうなるか?・・・そうすると、もう私の天命は「研修講師を通じてサラリーマンの生きがいを取り戻す手伝いをする」ということ以外にはあり得ないのです!
妄想ですって?そう、妄想と言われれば妄想、でもその妄想で私がコスト度外視で仕事に情熱を傾けられるのであれば、それでいいじゃないですか。私もハッピーだし、恐らくお客様も満足していただけるはず。
この北尾さんという方は実は、約2年前に下記のタイトルのエントリーで取り上げていました。

『村上ファンド』を通して証券市場のモラルを考える

このときも私は彼の倫理観に親しみを抱いているようですし、証券市場を「地下水」と表現する、そのよく訳の分からないメタファー(笑)にもなんか惹かれていました。人間学、金融、英語等の本を並行して読むという読書スタイルも私と同じで親しみが湧きました。
今回この本を読んでのもう一つの収穫は、「私ももっと頑張れねば!」という元気をもらったことです。北尾さんは一日に4時間しか寝ないそうですが、その理由を下記のごとく記しています。

(引用始)
『なぜ4時間しか寝ないのかというと、そうせざるを得ないからです。迫りくるものは自分の衰えであり、死です。私にあとどのくらい時間が残されているのかはわかりませんが、いずれにしろ永遠に生きられるわけではありません。限られた時間しか私には与えられていないのです。』
(引用終)

50を超えたオッサンがこんなことを言っているのに、私が弱音を吐いてどうする!・・・といっても一日6時間の睡眠は譲れないですけどね(笑)

Posted by Ken Kodama at 2007年05月14日 21:30
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