今日これから書こうとしていることを考えると、正直自分のブログがどこに行こうとしているのか分からない(笑)。いまだに私のサイトには「のれん代」だとか「包括利益」みたいな検索ワードでのアクセスが多くある。で、関心をもっていただいた方が簡単にトップページにアクセスできるよう、個々のページにリンクが張ってあるのだが、トップに来てみると、自我中心性がどうだとかスピリチュアリティだとか、そんなエントリーが並んでいたりする。もしかしたら、新手の新興宗教の勧誘と思われているかもしれない(笑)。恐がることはありませんよ、新しい読者の皆様。
で、本題に入り、『影』について自分の頭の中で漠然と考えることを、いくつか書き出してみると、こんな具合だ。
①大きな『影』を持つ人ほど、大きな成長へのポテンシャルを持っているのではないか?
まず、こんな考えを抱くようになった第一のきっかけは、個人的な体験である。私には実に多くの『影』がある。決して隠れて法に触れる類のことをしている、とかいうことではない。しかし、慎重に語らねば、誤解を招く危険性が大であり、その詳細をここで明らかにするつもりはない。しかし、そんな私の暗部が私の人としての成長の源になったことも否定できない。自分に対してうがった見方をすれば、自分の人生を自己正当化するために、こんなことを考えついた、という側面があるのかもしれない。
私の後にイエス・キリストを並べるというのは全く不遜なことであるというのは重々承知だが、荒野の誘惑のエピソードも興味深い。悪魔からの誘惑を敢然と断ち切るカッコよさばかりが強調される感があるが、もしイエス・キリストに『影』がなければ、悪魔からの誘惑は、そもそも「誘惑」たりえなかったはずである。究極の利他的な愛を説くイエス。しかし、イエスにとっても、「世界を征服させてやる」という悪魔の囁きは、「誘惑」として彼を惑わせたはずである。その誘惑を克服したからこそ、彼は偉大なのであろう。
転じて、ビジネスの場面から『影』について真正面に向き合った書物というのは、ほとんどない。というか、私は出会っていない。例えば、コービーの下記の著作。
私自身この本は大好きであり、研修で出会った受講生の方も、この本にインスピレーションを受け、「自分も他の人々の模範となりたい」とおっしゃる方もいる。そのような志をくじくつもりもないし、実際にくじいたこともないが、コービーを読んでいて私が感じるのは「白々しさ」である。こんな清廉潔白で完璧な人間なんているはずもない。コービーの精神がビジネスの場にもちこまれることは素晴らしいと私は思う反面、こうした思想により『影』を抑圧する方向に働きはしないかというのが懸念である。
②『影』は全ての人間に等しい大きさで存在するのではないか?
これは①と論理矛盾しているが、すぐあとに統合の落としどころがあるのでご安心を。
ビデオ等のフィードバックを主体とする企業研修の場において、時々ジョハリの窓というフレームを使用した説明を行うことがある。このフレームを使用して、「さあ、今日は自分の行動をビデオで振り返り、『自分は知らなかったけど他人は知っている自分』を発見しましょう」みたいなことを言うわけだが、この図を黒板に描いておきながら、いつも我ながら首をかしげるのは『未知の窓』という「自分にも他人にも分からない自己」という領域である。「この象限って何なんでしょうね?」と研修の場では軽い笑いをとるネタとして活用させていただいているが、もしかしたら、全てのポジティブな可能性と、そして『影』が含まれているのがこの領域なのではないかという気が最近している。
前述の①の考え方に比べると影の大きさが全て等しいというのは、救いである。なぜなら、人類は等しく偉大な成長を遂げる機会を有していることになるのだから。しかし、成長の可能性と同時に破滅への可能性も包含していると考えるのが妥当であろう。「性善説」「性悪説」という二分法がなぜ流行るのか、私にはよく分からない。どちらにも転びうる全ての可能性を秘めているのが人間なのであろう。
③全ての人間の『影』の大きさは等しく、自己の『影』を多く認識する人ほど大きな成長への途上にある。
恐らくこの辺りに真理があるのではないか?苦悩こそが人間の成長の源であるというのは、多くの賢者が語ることである。そして、私が思うに、その苦悩とは『影』からもたらされ、『影』をいかに統合していくかこそが、まさしく苦悩なのであろう。
私は本を何度も読み返すタイプの人間ではないが、上記の村上春樹の著作は3回は読み返した記憶がある。当時はあまりこうした側面を理解していなかったが、これは主人公が失われた『影』を取り戻す物語であった。「夢読み」としての静寂で安定して生活を捨て、「北のたまり(だったっけ)」に決死のダイブをしてまでして、『影』と共に生きていく決意をして物語は終わる。
同様の『影』にまつわる小説、文化人類学的な研究を集積して考察しているのが下記の名著(遠藤周作氏がそう評していました)である。
こんなエントリーを書いたからといって、こうしたテーマに基づいた研修を開発できるという話ではないが、そのうち人材開発の一つのテーマとして取り上げられてもよい気がする。