「シンクロニシティ」だとか「スピリチュアル」だとか、そういうことばっか書いててもどうかなーと思い、『十牛図』の「牛を連れて村に帰ってくる」の精神で、再び我利我利亡者の集うファイナンス村を眺めたエントリーを書いてみたいと思います。とかいいつつ、「牛を連れて村に帰ってくる」段階にまで悟ったわけでは全然ないのですけど(笑)。
で、今日取り上げるのは、日経新聞社をご自身の「ワークライフバランス」を理由に退社され、フリーになってしまった牧野洋氏の下記の著作。
また、本日のエントリーではあまり触れないが、この本は恐らく、下記の本と合わせて読むと視点が偏らなくてよいと思う。
【スピンオフの効用】
なぜスピンオフの方が子会社上場に比べて望ましいのか?確か過去のエントリーでは、この点について「バシッ」と書けていなかった気がするのだが、牧野氏の著作の「富創造のAT&Tと富破壊のNTT」という物議を醸しそうなタイトルの章を読んで、私の頭の中はクリアになった。
両社とも規制緩和の波の中で、自社の意志に反して分割を余儀なくされた、という点では同じである。異なるのは企業分割の過程で、AT&Tはスピンオフを選択し、NTTは子会社上場という手段を選んだということ。で、その結果AT&Tでは富が創造され、NTTでは富が破壊された???
もう少しこの点を明瞭に記述すると、こういうことだ。もし1984年時点のAT&Tの株主がスピンオフによって分割された企業の株式を全て2005年まで持ち続けていたとしたら、株主価値は4倍強に膨れ上がっていたはずだ。対して、1987年時点のNTTの株主は、NTTが分割に際して「子会社上場」という手法を選択したため、ドコモ株もNTTデータ株も割り当てられなかったため、2005年のNTT株の価値は3分の1近くにまで下落してしまった。
ここまでが牧野氏の著作に書いてあることで、ここからは私なりの理解を書くが、要は子会社上場という手法は株主の再投資リスクを2つの過程で旧株主に負わせる手法なのだ。上場される子会社というのは、大抵の場合成長の途上にある企業であり、それが企業の外に出されれば、旧株主へのリターンは当然のことながら減少してしまう。
スピンオフによれば、旧株主は外出しする企業の株式を割り当てられるのだから、その企業の株式を売るも保有するも自由である。再投資リスクを考えたくなければ、保有し続ければよい。
ところが子会社上場の場合、2つのケースが考えられる。まず、株式売却益を記念配当という形で株主に返却した場合、単純な株主はその記念配当に大喜びし、経営陣に感謝してしまう。(残念ながらこのような株主がほとんどだが)しかし、上場された子会社並のリターンを今後も確保しようとすれば、また結構たくさんな時間を使って、掘り出しものの株式を発掘せねばならない。つまり、記念配当分の再投資リスクを株主が負うことになってしまうのだ。スピンオフの場合には手札としてあった、「成長株を売却して保持する」という選択肢は、株主には当然のことながらない。
加えて、記念配当に回る前段階で法人税と所得税課税のダブルパンチをくらうし、しかも売却益全額が記念配当に回ることはあまりない。
しかし、記念配当という選択をする経営陣というのは稀であり、多くの場合、子会社株の売却で得られたキャッシュは企業の現金預金として溜め込まれる。で、その場合は再投資リスクは経営陣が負うこととなる。この場合3つの方向性が考えられ、①得られたキャッシュで全く別の新規事業を創出する、か②本業に資源を集中投資する、か③M&Aにより成長企業を買収する、のいずれかである。まず、前者であるが、これは少しでもビジネスを学習・経験された方は理解できるように、ゼロから新規事業を立ち上げて成長軌道に乗せるのは容易ではない。新規事業の創出だけで、再投資リスクを回避するのは容易ではない。
また、次の本業への資源集中だが、一見至極真っ当で手堅く聞こえるが、この場合、売却した事業と本業とのリターンの大小が問題となる。もし、売却した事業の収益率が本業に比して圧倒的に高いのであれば、なんのための子会社上場か分からない。
また、最後のM&Aによる買収は、この牧野氏の著作のメインテーマでもある、被買収企業のプレミアムが問題となる。べらぼうなプレミアムを回収するほどのシナジーを発現する企業を発掘するのは、これまた容易ではない。
と、このように子会社上場によって、株主は結構な再投資リスクを負ってしまうわけだが、個人投資家は子会社上場に対しては寛容なのである。株式を保有する企業が巨額の「株式売却益」を計上し、おまけに記念配当までもらえたら、もうホクホク顔で、文句を言うどころか大満足である。なぜ?個人投資家に長期投資のマインドが根付いていないからである。
日本企業がなぜスピンオフを実施しないかと言うと、牧野氏の著作でも触れられているように、税制の大きな壁があるからである。株式分割によって新株を交付されても、当然のことながら投資家が課税されることはないが、スピンオフで交付された株式は課税されてしまう。この税制のロジックは本当に「不思議」としか言う他はない。
牧野氏の著作の中で、経団連の小畑氏の言葉として「日本企業にスピンオフへの需要はありません。(引用)」とある。失礼ではあるが、「詭弁」というのが第一印象であったが、上記で見た個人投資家のマインドや税制の壁を考えると、「スピンオフへの需要がない」という意見も、情けないながら一理あるといわざるを得ない。
しかし、こんな低次元で日本の株式市場が留まっていていいはずがない。「貯蓄から投資」などという大それたスローガンを掲げるならば、こうした事項を正していかねばならない。具体的には、個人投資家に対して十分な投資教育がなされるべきだし、税制も当然改正されるべきだし、経団連も「経営者は株主に受託責任を負っている」との基本に立ち返れば、制約を株主のために改善する努力をしなければならない。
我々は、本当に「不思議の国」の投資家であることを、肝に命じておかねばならない。
【2つの「不思議」】
さて、牧野氏の著作を批判的に読むならば、それは彼が「不思議」と称するのはすなわち「経済原理に反する行為」に他ならない。しかし、経済原理に反する行為を全て「不思議」と称して揶揄するのも、いかがなものかと思う。私が思うに、牧野氏の言う「不思議」は2つに大別できると思う。一つは「低レベルの不思議」。経営者が自己保身のために敵対的M&Aに反対したり、自らは外国企業を積極的に買っておきながら海外からの買収に対して異常な反対をする、等の行為は、私に言わせれば「低レベルの不思議」であり、これは戒められねばならない。
次に「高レベルの不思議」だが、例えば最初に掲げた上村教授の対談では、「企業がミッションの実現に向けて活動することこそが、企業価値である」といったようなご意見が登場する。ここで教授の言う「企業価値」はファイナンス理論の「企業価値」の定義とは反するが、上村教授の意見は傾聴に値すると思う。
この私が言うレベルの「高低」は決して「知的なレベル」の高低ではなく、言わばスピリチュアルな次元(またここに来ちゃったよw)の高低である。したがって、自己保身しか考えていない経営陣であっても、彼らのIQをもってすれば、「自らのロジックがなんかしょぼいな~」とは感づいているはずであり、従って上村教授な説くような高邁な理論に触れれば、それを「高邁」であると判断する嗅覚は鋭敏で、したがって「高邁な理論で武装する」ということをやってくれるわけである。本気で高邁な企業と、高貴な衣をまとっただけの企業を見分けることは可能か?
根気はいるが可能であると思う、というのが私の意見。しかも、公開されている情報のみで、見分けることは可能だと思う。例えば、ライブドアの「悪意」はかなり初期から私は気づいていたつもりだが、その根拠は「有価証券報告書」という誰でも見ることができる公開情報である。バフェットが年間何百冊というアニュアルレポートを読んで見極めようとしているのも、多分この辺りだと私は推測する。
で、「そんな時間はありません」というサラリーマン諸氏は、ファイナンス理論を信じて大人しくインデックスファンドを買っていなさい、というのが私の意見です。今日は随分書いたな~、知恵熱出そうw