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2008年02月08日

餃子問題で考える「因果関係」

【因果関係究明のプロセス】

今回の餃子問題に関する報道で、ビジネスの場に直接役立つと感じたのは、因果関係究明のプロセスである。
当初の報道では、毒物が検出されたパッケージには穴があいており、そのため毒物混入が中国国内において行われたのか、日本国内において行われたのかさえ特定できないでいた。その際、私が見たNHKのニュース番組では、「全体像の図示」と「消去法」の二段構えで、「中国国内で混入された可能性が高い」と結論づけていた。具体的には「中国工場で製造 → 輸送(中国内、洋上、日本国内) → 小売店」のような経路を示し、例えば洋上においてはコンテナ内に密閉されており、専門家から「密閉されたコンテナを開封して再度密閉したことを他者に悟られないことは、かなり難しい」との証言を引き出しており、洋上での混入の可能性は極めて低いとして、消去していた。恐らく重要であるのは、最初に問題を取り巻く全体像を図式的に整理することである。これにより、どこにどのような可能性が潜んでいるかを網羅的に検証することができる。
また、後日、穴の空いていないパッケージの中から毒物が検出された事実等も合わせて、日本にいながらにして、中国の工場の「包装」に関わる工程で混入された可能性が高いことが明らかにされたことで、私は客観的なアプローチのパワーを感じた。で、それが故意なのか偶発的な事故なのかを探るにあたって、メタミドホスは当該工場では通常使用されていない、との工場長の証言により、故意による可能性が高い、というところまで絞り込まれるに至った。「故意」「偶発事故」という仮説を示し、その一方を事実をベースに消去する、というアプローチも、企業内の問題の原因の所在を探る上で、大いに参考になると思われる。

【「真因」を探る】
先日、他の研修講師の方々と雑談する中で、「真因はどこまでたどれば真因と呼べるのか、難しい」という話になった。トヨタでは、「5WHY」なる標語のもと、5回くらい「なぜ」を問い続けることにより、問題の真因の所在を探求することが習慣付けられていると言われる。この「なぜ」を自問するプロセスが浅すぎても、また深すぎても有効な対策案は立案しえない。
たとえば、今回の餃子問題でマスコミがたてた仮説が正しく、中国の工場内に経営陣及び日本に不満を持つ従業員が存在し、彼あるいは彼女が包装工程で毒物を混入したということが特定できたとしよう。この場合、人物を特定できただけでは、抜本的な問題解決とは呼べない。そのような行動の背景に、例えば「労使関係の悪化」等の真因が存在するならば、「労使間の対話の場を設ける」「労働者への処遇を改善する」等の改善策が有用となる。
あるいは、ナイキの生産委託先が小児を労働者として使用していたことが明らかになった際に、ナイキ製品の不買運動が発生し、CSRを考える契機となったことを考えると、生産を委託した日本のJTも加わった上で抜本策を講ずることが必要であるのかもしれない。
いずれにせよ、ビジネスマンとしての問題解決は、このレベルまで対処できれば、「合格」と呼べるであろう。

【更にたまねぎの皮をむく効用】

さて、ではこの餃子問題に対して、更に「WHY」を自問するとどうなるか?そもそも、日本で消費される餃子がなぜ中国で作られているのか?そう考えていくと、「安くておいしいものを食べたい」と考える、消費者としての我々自身の内にある、貪欲な欲望につきあたる。
「餃子問題の真因は、日本の消費者の欲望にある」とする解答は、ビジネスマンとしては0点である。しかし、一人の日本国民としては、自身の中にもこの問題への遠因があると考えることは、重要であると考える。「自分自身も加害者である」と自覚できることによる、直接的な効用は、日中関係の極端な悪化を抑制できる、というものがある。
また、マスコミをにぎわす様々な問題を自身が当事者であると考えて行動を起こすことは、その人の人間的な成長を促す。我々は凶悪な事件の被害者に共感に意を示し、加害者が特定され、断罪されることで、胸がすーっとする感覚を味わう。しかし、見えぬ因果の循環の中で、背後から犯罪者の背中を押しているのは我々自身であることに気づくかもしれない。あるいは、犯罪者をかりたてた衝動と同じ衝動を、自らの内に見出すかもしれない。こうして考えることの方が、誰かが裁きにあう様を見て快感を覚えて安眠に落ちるよりは、はるかに人間的ではないか。
もちろん、「内なる悪」に対して更に「なぜ」を問いかけ、「社会システムの悪」を見出す人もいるだろう。たとえば、安い冷凍餃子に食の楽しみを見出さねばならない状況を作り出した、「日本国内の貧富の格差」に気づく等。そうした認識に基づいて、社会を変革する運動に参画するのであればよい。しかし、「自分の非」「内なる悪」の真因を例えば「前世」等に見出して、「だったらしょうがない」という態度を決め込むのは私の好みに合わない。

で、本日のエントリーから得られた格言。

真因探求を適度なレベルで止め、有効な対策を打つのは有能なビジネスマンの証である。
真因探求を深め、自己が因果の連鎖の中にあることに気づきを得るのが「人間」の証である。


Posted by Ken Kodama at 2008年02月08日 13:43
Comments

またまたおじゃまします(笑)。

中国、2月上旬まで百年来の寒波で凍りつきとんでもないことになってらしくて日本国内との情報ギャップはなんだかナーと思いますね。ニラも不作でしょう。。。
完璧今回の“餃子”は当事者同士共通の利害の中にある問題でおっしゃるとうり一方を叩けばすむという問題じゃないような気がするんですが。

『十牛図』は読みました(爆)。
中年になると牛の存在が気になるようで(笑)。
現在の日本ではこのあたり「精神世界」と一緒くたに括られて徹底的にビジネスの現場では忌避されていると思うのですが、
例のピーター・センゲやその関連のオットー・シャーマーとかいうヒトたちは東洋思想の本質を読みきってるらしくてオットー・シャーマーの“U Theory”あたりでその理論を展開してます。“U Theory”、実は東洋というか日本にもともとあるものをご丁寧に理論的に説明しており(掛軸の前とかでやってたらしいこと)、それが21世紀の世界に(ビジネスにも)必要なものであると明言してます。

児玉様の最近の三つのエントリ、『国家の共感能力』『十牛図(自己認識)』『餃子(見えないシステムを見抜く力)』に共通するものの解決方法があるようです。

ながながとお邪魔しました(笑)。
では。

Posted by: sakura at 2008年02月11日 09:46

>sakura様

お久しぶりです!「ニュース・レビュー」とかタイトルで銘打っておきながら『十牛図』みたいなエントリーを書くのもどうよ、と少し反省して、時事ネタで書いてみました。内容はやっぱりニュース・レビューにはなっていませんが・・・

「アウトソース」って表現が鋭いと感じたのですが、元をたどればミクロな行動ではあるものの、国の単位で見れば、「日本は食の生産・加工を中国にアウトソースしている」と表現しても過言ではないなと。

であるならば、一般的に企業のアウトソーシングで問題が発生したならば、アウトソーシング先と元が一体となって問題に対処せねばならないのに、今回の餃子問題の責任追及の論調は、ちと自己中心的すぎる気もしました。

Posted by: 児玉 at 2008年02月10日 12:28

久しぶりにおじゃまします。

『十牛図』に反応してしまいそうになったのですがやはり“餃子”で・・・(笑)。

ウチ、実は零細な山口の農家だったんですが、父が倒れてそこまで手が回らなくなってしまいました。で、実質的な廃業です。こんなうちは日本のいたるところにあるんでしょう。
おまけに最近は農薬散布の基準がが厳しくなってるんで零細なところは栽培は手が出せなくなってます。基準値に一時でも上回ってるとJA○○の責任になって隣組打ちそろって責任を負わされます。
そう考えると農薬散布のリスキーさは(農薬なしに商品となる農作物は無理)極端に言えば中国に間接的にアウトソースしてるともいえるわけで、ここら辺もコンプライアンス問題-医とか金融の分野との共通項ありやと・・・。“立ち去りがた”っていうんでしょうか。

極端な“安全・安心狩り”の先には日本人が“日本人を相手にするのはめんどう”という究極のパラドックスが待ってるような気がしますが。

Posted by: sakura at 2008年02月09日 09:08
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