テレビで手術室のドキュメンタリーが放映されていれば即座にチャンネルを変え、病院でベッドで移送される患者に遭遇すると即座に目をそらせる・・・そんなビビリの私が、先週オペを受けるという体験を致しました。ある臓器を丸ごと摘出してしまったのですが、本日退院後になじみのうどん屋で、お気に入りの味噌煮込みうどんを食したりと、なんだかあっけないオペ体験でした。これでまた一つ、恐いものがなくなりました。病院の待合室のジジババが病気自慢をしたくなる心境が分かった気がします。(笑)私もその道にかけては日本で有数の名医を手こずらせるほどの、容易ではないオペだったのですが、どんなにすごいオペだったのか、語りたくてうずうずしています。
とはいえ、さすがに本日は疲れているので、また新たな機会に、オペ体験を詳述してみたいと思います。
本当は昨日で打ち止めにして、更新を一週間から10日間休もうと思っていたのですが、本日の新聞を読んでいたら、ムラムラしてきたので・・・(笑)
村上氏は、阪神タイガースを阪神電鉄からスピンオフさせて上場し、ファンが株主になればよいと言う。ファンが株主になるとどのようなことが起こるのであろうか?以下に考えられる点を書き連ねてみたい。
①株価が本質的な価値よりも割高になる。
ファンが株主である上場企業は、実は既に存在する。その名はライブドア。「ホリエモンファンだからライブドア株主」という人は少なくない。ライブドアの株価はMSCBの発行を受けて希薄化のインパクトを織り込む水準まで急降下したものの、その後の株価はほぼMSCB発行前の水準までに回復している。そして、これほどまでの水準に株価が回復する材料を私は聞いていない。ファンにとっては、「バリュエーション」などは意味を持たない。だってファンなのだから。それがファンというものなのだから。ライブドアという前例を見ると、ファンが株主になれば、本質的な価値以上に株が買い進まれることが予想される。
②大株主が少なくなり「モノ言う株主」の割合が低下し、ガバナンス機能が低下する。
商品の割引券を配布したり、プレミア商品を株主に提供することにより、個人投資家の増加を企業の大半の思惑は、実はこれだったりする。自社の商品の熱烈なファンを株主としてしまうことで、大株主からの圧力は緩和され、敵対的買収がアナウンスされても味方についてくれるかもしれない。その結果、株主による経営陣に対するチェック機能は著しく減退することが予想される。
③経営の非効率が温存される。
私は、実は全く野球を見ない人なので、空気を読んでない発言になってしまっているかもしれないが、もし巨人の株も上場されていて巨人ファンが株主となっていたならば、株主の声により清原が巨人から出ていくことはなかったのではないか?清原を「非効率」呼ばわりしては巨人ファンの反感を買ってしまうが、同様の非効率がファンの声によって温存されてしまう事態は覚悟せねばなるまい。
ここまで書いて②と③は自己矛盾しているように思われるかもしれない。しかし、こう考えていただければ整合性がとれているといえるだろう。「ファンである株主は数値上から経営陣にプレッシャーをかけることはないが、ファンゆえに『情』から経営陣にプレッシャーをかけることは大いに予測される。」
④ステークホルダー間の緊張関係が減退する。
「ファン」という言葉を「顧客」と置き換えて一般化するならば、思うに「顧客」というステークホルダーと「株主」というステークホルダーは、本来緊張関係にあるべきで、一体化してしまってはいけないのではないのかという気がする。「顧客」はできるだけ安い価格で商品を手に入れることを欲する。しかしこの欲求は、できるだけたくさんの配当が欲しい「株主」の利害と真っ向から対立する。両者の利害の調整を図るのが、マーケットメカニズムであり、経営陣の仕事でもある。本来ありうべきこうした緊張関係が消失してしまっては、「神の見えざる手」が機能しなくなってしまうのではないかとの危惧がされる。
こう書いている一方で、「ファンが株主」というユートピアもあり得るのではないか、という気も少々ある。ファンが株主であっても株式会社経営は成り立つのかどうか、阪神タイガースを舞台に実証研究がなされるのも面白いかもしれない。
こうして、一応常識を積み上げて考えていくと、ファンが株主になれば、ガバナンスの欠如や非効率の温存により企業業績は下向くが、株価は上昇し、結果割高となることが予測される。阪神タイガースをスピンオフすることで割安な阪神電鉄株が顕在化して、村上ファンドが利益を手にすることには異論をさしはさむつもりはない。しかし、熱狂的な阪神タイガースファンに株をつかませて、割高となる状況を作り出した上で売り抜けることを目論んでいるようであれば、それは見逃せまい。昨日報道ステーションではじめてナマ村上を見たが、あれは相当な狸だ。だまされてはいけない、阪神ファン!
ハァ、とすっきりしたところで、来週は更新をお休みいたします。
ドーキンスの手のよる『利己的な遺伝子』という著作の概要を知ったのは私が大学に入った頃。我々人間とは、実はDNAが複製を続けるための乗り物にすぎず、人間ではなくDNAこそが実は主役だと考え方が存在するということを知ったとき、私は興奮したものだった。
それから、期を前後して知ることとなる「テレビ局の儲かる仕組み」。『8時だよ全員集合!』も『笑っていいとも』も、実はテレビ局の広告収入を高めるための手段にすぎないということを知ったときも、随分驚いたものだった。番組ではなく広告が主役だったとは!
『利己的な遺伝子』のアイデアも「テレビ局の儲かる仕組み」も、「一見主役に見えるものが脇役であり、実は脇役に見えるものが主役である」という点で、両者は感覚的に似ている。感覚的に似ている以上でも、それ以下でもなく、ただ似ている、それだけ。
そして、「ネット関連企業の儲かる仕組み」。アンダーセン在籍時代に同僚と「どうしてヤフーって儲かるんだろうね」と雑談していた昔が懐かしい。しばしの沈黙を経て二人がたどり着いた答えは「そうか、広告収入か!」ヤフーとグーグルは検索エンジンの技術を向上させることに熾烈な競争を展開させるが、その目的は広告収入を高めるという、ただそれだけの目的のためである。
『利己的な遺伝子』のアイデアと「テレビ局の儲かる仕組み」は感覚的に似ている域を脱し得ないが、「テレビ局の儲かる仕組み」と「ネット関連企業の儲かる仕組み」は「似ている」のではなく、両者は「全く同じ」ではないか!なんで「同じ」ものの「融合」が、いまさら、神妙な面持ちで新聞紙面で論じられねばならないのか?
これに一つの解を与えるのがハーバード大学教授クリステンセン著の『イノベーションのジレンマ』である。彼の説に従えば、テレビ局がネットビジネスに乗り出さなかったのは、テレビ局の経営者が優秀だったからということになる。
ネットの黎明期を思い出せば、ネット広告市場はテレビ広告市場に比べて①はるかに市場が小さく②利益率も低かった。市場も小さく利益率も小さく、かつ不確実性も高いビジネスに乗り出す決断は、短期的にではあるが、確実に企業価値の毀損を招く。こんな馬鹿げた決断を下す経営者は無能である。クリステンセンに従えば、「TBSの経営陣は、ネットビジネスへの参入という経済的には馬鹿げた決断を下し得ないほど優秀であったため、今楽天に株式を取得されて悩む事態になっている」ということになる。
もちろん、上記はアイロニーである。TBSの経営陣が優秀だと思われる痕跡は、新聞紙面からは一つも見出せない。「甘いかもしれないが、お互いにある種の信頼関係があると思っている(10月14日日経新聞朝刊より引用)」こんな発言をする経営者を「優秀」とみなすようでは、私のコンサルタントとしての生命線が危うくなってしまう。彼等はアメリカで繰り返されているメディア関連の買収劇を十分に傍観できる時間的猶予を与えられていた。しかし、インターネット関連ビジネスへの布石を何も打たなかった。残念ながら、TBSが楽天に株式を取得されてオロオロしているのは、フツーに経営陣が無能であったからと断じざるを得ない。
ここで筆を止めるのが去年までの私であったが、今年から新しくはじめた「ある仕事」により、今の私の最大の関心事は、ビジネスの仕組ではなく、その中にいる「ヒト」となった。ホリエモン騒動のときは少しもホリエモンの肩を持つ気にはなれなかったが、今回は三木谷氏を応援したい。その理由は両者の人格のレベルの相違。人格的に未成熟なヒトが世間を震撼とさせるのを傍観するのは耐え難いが、優れた人物が夢を追うのは応援したい。あるいはフィルターを何枚も通して三木谷氏を見ているため、私の目が欺かれているのかもしれないが。これは私よりも年下の者に対するやっかみなどでないことは、昨日私が同じく私よりも年下の佐藤棋聖に対する賛辞を述べたことからご理解いただけると思う。
【ご連絡】
来週は都合により、当ブログそしてもう一方のブログの更新をお休みします。「どこへ行くのか」ですって?もしかしたら、川を渡ってきれいなお花畑の回りをウロウロしているのかもしれません。洒落にならんが(笑)。
本日の日経新聞の一番最後の文化欄はお読みになったでしょうか?佐藤康光さんという将棋棋士が、『王座戦で14連覇した羽生善治さんの強さの秘訣』と題して、簡単に言えば、羽生四冠を讃える内容の文章を書いています。恐らく将棋ファンの方はあまりいないと思われるために、簡単にこの文章のバックグラウンドを紹介しておきましょう。
王座戦とは日経新聞が主催するタイトル戦で、今月の1日に羽生四冠は14年連続その王座を防衛するという偉業を成し遂げたのです。それまでは、故大山名人が名人戦を13連覇したのが記録だったので、この記録の重みがご理解いただけると思います。そして、14連覇の影で敗れたのがこの佐藤康光棋聖なのです。
将棋とは勝ち負けが全ての世界。そして、この大舞台で敗れて2週間とたっていない時点で、相手の勝利を讃える内容の文章を書かされるというのは、かなりツラく屈辱的であるはずです。加えて、佐藤康光棋聖は①棋界のナンバーツー的な実力者であり、かつ②それなりにプライドが高いということを知っている人には、こうした文章を書く佐藤棋聖がいかにつらいかが身にしみて分かります。たとえて言うならば、故升田幸三氏に故大山名人を讃える文章を書いて下さいというようなものです。それにも関わらず、こうした文章を書く仕事を引き受けるのは、③佐藤康光棋聖の人格が成熟しているからに他ならないからなのですが、この①②③と番号をふったあたりを、エピソードを交えて「将棋オタ」の私が皆さんにお伝えしたいと思います。
まず、現在の将棋界の力関係ですが、羽生氏が7大タイトルのうちの4つを保持し、残りの3つのうち2つを羽生氏と同年代であるため「羽生世代」と呼ばれる森内名人と佐藤棋聖が保持し、20歳そこそこの若手の渡辺竜王が残りの1つを保持し、突出した羽生氏を残りの3人がナンバーツーとして追う展開と申し上げてよいでしょう。加えて佐藤棋聖は、今年棋聖のタイトルを羽生氏の挑戦を受けて防衛に成功しています。佐藤棋聖もかなり強いわけなのです。
そして、佐藤棋聖のプライドの高さを伝えるエピソードとして、こんな話があります。大きなタイトル戦などは、プロ棋士や新聞記者が数人集まってリアルタイムで「検討」をすることがよくあります。佐藤棋聖もその検討に加わっていたいたときに、ある局面を検討していたとき、佐藤棋聖はその局面には「詰みがない(王様が助かるということ)」ことを発見して、周りの新聞記者に伝えました。すると、その新聞記者は「そうですね、でも一応ソフトで調べてみましょう」と言って、将棋のソフトを使って、本当に「詰みがない」のかどうか検証を始めました。それを見て、佐藤棋聖は「(将棋界ナンバーツーの)私が詰みがないといっているのに、(私の言うことを信用しないでソフトで検証するとは)なんたることか」と嘆いたそうです。
佐藤棋聖の人格の成熟度合いを伝えるエピソードには、次のようなものがあります。現将棋連盟会長の米長氏は昨年、現役棋士から引退したのですが、その引退表明直後の対局相手が、この佐藤棋聖でした。米長氏が対局室に来てみると、佐藤棋聖がなんと和服で待っていたのです!一般的には、和服を着て対局に臨むのは大きなタイトル戦などの場合だけです。その対局はタイトル戦ではなかったにも関わらず、佐藤棋聖が和服で臨んだのは、「これが米長先生に教えてもらえる最後の対局だから」と考えたからに他なりません。感動した米長氏は、自宅に電話をかけて自らも和服を家族の方に届けてもらい、午後からは両者和服で真剣勝負に臨んだとのことです。
と、これだけエピソードをお伝えすれば、本日の日経新聞を読んで、こうした文章を今の佐藤棋聖に依頼すること自体が、いかに対人的な配慮に欠ける行為であるか、分かっていただけるはずです。昨日のエントリーと無理やり結びつけてしまえば、確かに「理」にはかなっている村上ファンドですが、連日あのような形で新聞紙面をにぎわすのを見るにつけ、村上氏の対人的な配慮の無さが浮き彫りになります。大河ドラマも同じテーマを扱っていますが、やはり「理」だけではダメで「情」への斟酌も重要であるということです。みなさんも、上司や部下などのビジネス上で重要な相手の日常の言動を観察しその価値観を受け入れた上で接するよう心がければ、相互依存関係に立脚した成熟した人間関係が構築できるはずです。
本題に入る前ですが、以下の私のもう一つのブログで、郵便局の投信販売について検討を続けています。10月8日付けの日経新聞で掲載された『財産三分法ファンド』のメリットと限界についても考察していますので、興味のある方は是非ご覧になってみて下さい。
さて、本題の村上ファンドですが、正直なところかなり漫然と新聞を読み流していたため、村上氏がなぜ阪神タイガースを上場するというのか、全く理解できていませんでした。というのも、子会社上場というのは、村上氏が一貫して批判してきたことであり、子会社上場の生み出すネジレ現象がホリエモン騒動や西武問題の根幹にあったことはいまさら指摘するまでもないからです。私はこのブログで村上ファンドの動きについては、経済的に理にかなっているため、例えば下記のエントリーなどにおいて支持してきました。
この村上氏が、子会社上場を阪神側に提案するなどという事態になってしまったのは、彼の内面にどのような変質が生じたのだろうかといった興味で新聞を流し読みしていたのですが、本日の日経新聞の社説の以下の一文が手がかりとなって、ようやく彼の意図が分かった気がしてきました。
(引用始)
『ファンド代表の村上世彰氏は日本的な親子上場を批判しており、子会社株を親会社の株主に割り当てる米国型の子会社上場を考えているといわれる。』
(引用終)
ここで「米国型の子会社上場」について若干説明しておくと、これはいわゆるスピンオフのことです。今回のケースが実現するとどうなるのかといえば、今阪神電鉄の株を持っている人は、ある時点で現行の阪神電鉄株が没収されるかわりに、新阪神電鉄株と阪神タイガース株の二種類の株を手にすることとなります。株式の交換があった時点では下記の等式が成立しているはずです。
旧阪神電鉄株 = 新阪神電鉄株 + 阪神タイガース株
しかし、阪神タイガース株を上場することにより、村上氏の目論見通りに阪神タイガースの「価値が顕在化」すれば、保有株式の時価が増えることとなります。このようなタイプの「子会社上場」であるならば、親会社は子会社株を保有していないため、一連の騒動のもととなった「資本のネジレ現象」が生じることはありません。
アメリカのスピンオフといえば、たとえば先日経営破綻してしまったアメリカの自動車部品最大手のデルファイは、もとをたどればGMからスピンオフして誕生した企業です。同じくビステオンもフォードからスピンオフして誕生した企業です。(もしデルファイが日本的な子会社上場により株式公開されていたのであれば、GMは今以上に深刻な事態に陥っていたことが想定されます。)スピンオフにより、両社の間の資本関係はなくなりますが、かといって喧嘩別れをするわけでもなく、デルファイにとっての最大の顧客はGMであり、ビステオンにとってはフォードであったわけで、両社の協働関係が消失してしまう訳ではありません。
スピンオフは、株主にとっては選択肢を増やすという点でメリットがあると思います。株主にとっては、一つの株式が二つに分解されるだけなので、二つとも保有し続けてもよし、要らない方だけ売却してもよし、と選択肢が増えるからです。GMのケースについても、もしスピンオフが実現していなければ、GM株全体が紙くずとなっていたかもしれませんが、スピンオフのおかげでデルファイ株だけが紙くずになっただけで済みました(少なくとも今の時点では)。
スピンオフのデメリットはといえば、これをデメリットと言ってよいのかどうか疑問は残りますが、元の親会社の経営陣が子会社の経営に関与できなくなることです。元の親会社の経営陣が優秀であればあるほど、これは痛手となりますが、そうでないのであれば、むしろ分離されたビジネスに特化した経営者を迎え入れることができるわけですから、歓迎すべきことともいえます。
阪神電鉄株の詳細な分析を行ったわけではないのではっきりとしたことは分かりませんが、もしバリュエーションの結果、阪神電鉄株が割安である場合、スピンオフというのは早期に価値を顕在化させるための一つ有効策であるといえます。村上氏の戦略は一貫して、①バリュー株を大量に保有し、②経営陣にモノを言うことにより、③短期的に価値を顕在化させるというものです。今回の騒動も、そのスタンスとなんら異なることはなく、したがって私は今回も村上氏の動きは、実に「理」にかなっていると思います。まあ、阪神ファンという特殊な人種(なんていうと怒られてしまうかな?)の感情を逆なでしてしまったことは否定できないですけどね(笑)。
本日の日経新聞の17ページには『原油高と変わる収益構造(上)』と題したコラムが掲載されています。原油高に対して各社がどのような対応策を打ち出しているかをまとめているコラムであり興味深い内容ですが、書いてある内容を私のメインフィールドである管理会計の視点から整理してみたいと思います。原油高に悩む企業にとっては、原油のコストは変動費であるはずです。そこでこの問題を、「変動費の上昇にいかにして対応するか」という問題に一般化すると、以下のような対応のタイプがあると考えることができます。
①変動比率の切り下げ
最も容易に思いつく対応策です。本日の日経新聞では、割安な代替原料に切り替えたり、中抜き注文を行う動きなどが、具体例として挙げられています。
②固定費の削減
日経新聞の具体例では、JALの希望退職者を募る動きや賃金体系の一元化が紹介されています。これらの人件費は原油高とは全く関連はありませんが、他に減らせるコストを減らしてとりあえずしのごう、という考え方です。
③変動比率の高い製品の販売中止
この例としては、JALが単価の安い団体旅行客が多く搭乗する便を運休したケースが紹介されています。このような対抗策を実施するにあたっては、商品別の売上高と変動費をマッチさせる管理会計の仕組が構築されていることが前提となります。このことからも、管理会計は利益を増やすための戦略的な仕組であるとの認識を新たにしていただけることと思います。
④変動費の固定費化
これはなかなか思いつかない視点かもしれません。具体例としてはペットボトルの内製化に踏み切る飲料メーカーの動きが紹介されています。もちろん、外注しようと内製化しようと、材料であるペット樹脂の価格に変わりはないのですが、まず、内製化することにより外注業者に流れていたマージンを取り戻すことができます。また、外注業者であれば、原油高に対抗してコスト削減に取り組むかどうかは定かではありませんが、内製化することによりコスト削減は自社の問題となり、製造コストに対してコントロールが及ぶようになるというメリットもあります。
反面、内製化することにより製造設備などへの投資が必要となるわけですから固定費が増加するわけで、これにより損益分岐点は上昇し、売上高の低下に対して抵抗力を失うというデメリットにも直面することとなります。
本題に入る前に、昨日から郵便局での投信販売が開始されました。3つのユニークな投信の内容を、下記の私のもう一つのブログで分かりやすくお伝えするつもりなので、よろしければご覧になってみて下さい。
さて、本題ですが、ハーバード・ビジネス・スクールのクリステンセン教授著の『イノベーションのジレンマ』では、新技術には持続的技術と破壊的技術の二種類が存在すると指摘されています。持続的技術とは「製品の性能を高めるもの(引用)」であり、破壊的技術とは「少なくとも短期的には、製品の性能を引き下げる効果を持つ(引用)」ものと定義しています。破壊的技術のイメージが湧きにくいことと思われるので同著の中の実例を引用すると、例えば「総合証券サービス」に対する「オンライン証券取引」、「外科的手術」に対する「関節鏡・内視鏡手術」、「ブリック・アンド・モルタル式の小売業」に対する「オンライン小売業」などが破壊的技術に相当するものです。
では、「製品の性能を高める」持続的技術はといえば、本日の新聞記事に限定したことではありませんが、新聞紙面はさながら持続的技術のオンパレードの様相です。以下に、NIKKEI NETの見出しを引用しておきましょう。
プラズマTV、消費電力半分に・松下など3社が開発
新日鉄と神鋼、鋼材量産コスト削減へ新型プラント導入
TDK、磁気ヘッド記録密度で新技術・世界最高水準に
そして、「大手企業を失敗に導いたのは破壊的技術(引用)」でありながらも、優良企業であればあるほど破壊的技術への投資を躊躇するものなのです。その理由をクリステンセン教授は、「(1)破壊的技術を用いた商品は利益率が低く、(2)市場も小規模であり、(3)優良企業にとっての収益性の高い優良顧客は破壊的技術を利用した商品を求めないから」と説明しています。
優良企業が破壊的技術への対応に苦慮する理由をマネジメントそのものに見出すのがクリステンセン教授の主張ですが、組織の構成員の持つ価値観も多少影響を与えているのではないか、というのが私の漠とした印象であり、持続的技術へのノスタルジーを現在5夜連続で放映されているNHKの『ハルとナツ』に見て取ったというのが、本日私が書きたかったことです。かなり無理のあるこじつけととられても仕方がありませんが(笑)。
『ハルとナツ』をご覧になっていない方も多いと思われるので簡単に説明しておくと、橋田壽賀子の手によるものといえば、粗筋の9割を説明したに等しいといっても過言ではありません。ブラジルと日本に2つの国に引き裂かれた姉妹が苦労を重ね、70年の歳月を経て再会するというのが大まかなストーリですが、その苦労の道は姉妹なので「おしん × 2」と考えていただければ、あらかた間違いありません。(子役も「女王の教室」でいじめられてた志田未来。なんだか小林綾子に似てますね(^o^)。こういう顔って脚本家がいじめてみたくなる顔なんでしょうか(笑))この2人の姉妹は筆舌に尽くしがたい困難に立ち向かうこととなりますが、2人は困難から逃げようとせず真正面から向き合い、運命を受け入れた上で克服しようともがくからこそ、お茶の間のギャラリーの涙腺を緩めるわけです。
破壊的技術そのもの、あるいはその技術の根底にある思考法は、こうした人生の意味や感動を無化させる効果すら持つものです。橋田ドラマを見て涙腺を緩める1億人の日本人は、無意識下において「持続的技術」的なものへのノスタルジーがあり、それが日本の優良企業が破壊的技術への取り組みをより一層難しくしているのではないか、というのがドラマを見て漠然と感じたことです。
とまあ、多少無理矢理、橋田壽賀子とクリステンセンを同じ土俵に持ち上げてみたわけですが、80近くの小柄な老婆に我々日本人1億人の涙腺をコントロールされているっていうのも、どうしたもんですかね(笑)
今、ジョン・P・コッター著の『リーダーシップ論』を読んでいます。この本の冒頭に、企業が組織変革を成功に導くために不可欠な八段階のプロセスが記述されているので引用しておきたいと思います。
(引用始め)
①危機感を醸成する
②変革プロセスを主導できるだけの強力なチームをつくる
③ふさわしいビジョンを構築する
④構築したビジョンを組織内に伝達する
⑤社員がビジョン実現に向けて行動するように、エンパワーメントを実施する
⑥信頼を勝ち取り、批判を鎮めるために、短期間に十分な成果を上げる
⑦活動に弾みをつけ、その余勢を駆って、変革を成し遂げるうえでのより困難な課題に挑む
⑧新しい行動様式を組織文化の一部として根づかせる
(引用終)
と、この8つを読んで、すぐに私に飛来したイメージは、トヨタの奥田でもなくジャック・ウェルチでもなく小泉首相でした。これは正しく彼が実践してきたことではないかと。私は今まで彼の改革路線については、例えば道路公団の民営化が骨抜きにされてしまった点などを取り上げて批判的な立場にあったわけですが、それは「木を見て森を見ず」的な考え方であったと反省せざるを得ないでしょう。
いまさら、「どの行動が上のどの段階にあてはまる」といったことを書く必要はないと思われますが、今は第七段階に彼が取り組もうとしている点は明白でしょう。そして、次の第八段階に着手できるか否かで、後世の小泉首相に対する評価は大きく変わってくるはずです。唯一、欠落していたのは、第五段階のエンパワーメントでしょうか。とはいえ、小泉首相がジョン・P・コッターを読むとは考えられず、こうしたシナリオを描く嗅覚を兼ね備えていた点は、素直に脱帽せざるを得ません。
こうしたアプローチは、企業のトップのみならず、業務改革を推進するプロジェクトリーダーなどにも大いに参考になるはずです。政治そのものをこのブログで論じるつもりは今後もありませんが、企業経営にとっても小泉流改革は学ぶべきところが多いように思われると気付いたので、書き留めておいてみました。