2005年12月30日

本田宗一郎の哲学、そして私がたどった軌跡

当ブログへのアクセス数から類推するに、28日が仕事納めの方が多かったようです。年内に当ブログに来訪される方はあまりいないことと思いますが、年末を締めくくるエントリーは、「リーダーシップ」がらみのものとしたいと思います。本日、私が取り上げるのは本田宗一郎氏の『私の手が語る』と題した著作です。以下の文章を読んだとき、私はハッとさせられました。

(引用始)
『人を動かすことができる人は、他人の気持ちになることができる人である。相手が少人数でも、あるいは多くの人びとであっても、その人たちの気持ちになりうる人でなければならない。
そのかわり、他人の気持ちになれる人というのは自分が悩む。自分が悩まない人は、他人を動かすことができない。私はそう思っている。自分が悩んだことのない人は、まず、人を動かすできない。』
(引用終)
(講談社文庫版、24ページより)

前段の文章はすんなりと受け容れられることと思いますが、後段の根拠は何なのでしょう?なぜ、「自分が悩んだことのない人は、まず、人を動かすできない。」とまで言い切れるのでしょうか?その理由は同著作の別の場所に記載されています。

(引用始)
『こちらが望んでいること、こうやりたいと欲していることをスムーズに受けいれてもらうためには、まず、先方の心を知らねばならない。相手の気持ちを知って、相手が理解しやすいようにもっていかなければ、心からの協力は求められないからである。
そのためには、相手の立場に自分を置き換えたものの見方、考え方をすることが大切だろう。
(引用終)
(講談社文庫版、43ページより、強調は私の判断)

①人を動かすためには、②相手の気持ちを知ることが必要であり、そのためには③自分自身が悩んで、相手の立場にたって物事を考えねばならない。実に深い人間の洞察に基づいた文章ですが、なぜ、私がこの文章を読んでハッとしたかと言うと、これは、EQの概念の提唱者として知られるダニエル・ゴールマン氏等が著した『EQリーダーシップ』の結論の一部と重なるからです。同著においては、リーダーシップに不可欠な感情面でのコンピテンシーを以下の4つ掲げています。

①自己認識
②自己管理
③社会認識
④人間関係の管理

それぞれのコンピテンシーについて、簡単に説明すると、①の自己認識とは文字通り、己の感情を読み取るということです。そして②の自己管理とは、己の感情や衝動をコントロールするということです。③の社会認識とは、他者の感情を察知したり、組織の政治力学を読み取るというこです。そして、最後の④の人間関係の管理とは、モチベーションを与えたり、説得により影響を与えたり、人材を育成したり、チームビルディングを行ったりすることです。
④の「人間関係の管理」には、「モチベーション」、「人材育成」、「チームビルディング」といった、ハーバード・ビジネス・レビューのテーマにもなったりする、きらびやかな用語が満載されています。ですから、「リーダーシップ」というテーマに少しでも関心がある人が、まず関心を持つのは④の「人間関係の管理」というコンピテンシーでしょう。
しかし、『EQリーダーシップ』においては、これらのコンピテンシーを身につけるには順番があると説いています。④の「人間関係の管理」を身につけるには、その前に②の「自己管理」と③の「社会認識」のコンピテンシーを身につける必要があり、その二つのコンピテンシーを身につけるには、①の「自己認識」のコンピテンシーが必要となるというのです。
これは本田氏の考えた結論と、全く同じではありませんか!!こんなお堅い文章に頼らずとも、リーダーシップの本質に、ダニエル・ゴールマンが脚光を浴びる何十年も前に到達していたという点に、私はハッとさせられたというのです。
ですから、「リーダーシップ」などという、カッコつけたことを言う前に、自分を認識するということが非常に大切なのです。簡単なようでいて、自己認識に優れる方にお目にかかった経験は、私はあまりありません。あなたは、本当にあなたの中の、目をそむけたくなるような醜い本質と対峙できているのか?そんな問題意識を持って書き上げたのが、以下のエントリーです。

構造計算書偽装問題と『静かなリーダーシップ』

こうしてみると、聖書という2千年近くも前に書かれた書物にも、自己認識の大切さは説かれていたわけなのですが、その後の2千年の間に我々の文明は知識面でこそ大きな進歩を遂げたものの、感情面では、全くといっていいほど進歩を遂げていないわけです。

私の個人的な軌跡を申し上げれば、こちらのエントリーで書いた20代半ばに、知識関連のみならず、ヒューマンな部分が仕事に与えるインパクトに目覚め、その後自己流で研鑽を積んできました。そして、昨年頃から、人材アセスメントやリーダーシップ研修という仕事をいただくようになり、その蓄積を他の方におすそ分けするにまで至るようになったのです。
私のプロフィールや他のブログのエントリーを見ればお分かりいただけるように、私は財務系のキャリアを10年近く積んできましたが、ヒューマンな部分に焦点を充てたお仕事をするにいたっても、この経験は少しもマイナスになど作用せず、むしろ大きくプラスに影響しています。
その理由は、ヒューマンな部分の大切さをただ説くのでは宗教家と変わらず、そのようなアプローチをとっても、インテリジェンスの高い大企業の従業員の方は聴く耳をもってくれないからです。もっと、ぶっちゃけて言えば「馬鹿(に見える人)の言うことはきいてもらえない」ということです。
そんな、学歴社会とブランド信奉の申し子のような「傲慢さ」だけの、昔の私の分身のような方に出会ったとき、私はこんな接し方をします。「私は企業価値の概念も重要さもわかっているし、リアル・オプションやポートフォリオ理論といった概念からも企業経営を斬ることもできる。そんな私が、ヒューマンな部分の重要性を説いているわけです。真剣に聴いてくれますか?」もちろん露骨にこのような言葉で接すれば嫌味なだけですが(笑)、こうした態度でアプローチすることにより、相手にする方の多くは、真剣に私の言葉を受け止めて下さっています。
かつて、ヒューマンな部分を軽視し、アンバランスなまでに知識に偏重した自分に対する、確たる自己認識がある。だからこそ、私は大企業の人材育成という重責をお手伝いできるのです。
思えば不思議なものです。こんなキャリアの軌跡をたどることになるとは、10年前は夢にも考えていませんでした。財務やシステム以外の領域で、お仕事をいただいている今の私。しかし、とはいっても、財務やシステムの領域で切磋琢磨した10年がなければ今の私がないのは、先ほど申し上げた通りです。私は特定の宗教に帰依などしてはおりませんが、こうした軌跡をたどってきたことを考えると、なにか神々しいものに導かれたのではないかと、考えたくもなります。
年末ということで長くなりましたが、私のブログのコンテンツが今後どのような傾向をたどるのかは、私にも予想がつきません。自己研鑽がこのブログの主目的ではありますが、これが他の方にもなにかしらの意味を持つと信じているから、私は書き続けるわけなのです。今までも当ブログを読んで何かしらの収穫があったという方は、来年も是非引き続き来訪していただければ大変幸いです。
本年は、ご愛読をいただき大変ありがとうございました。よいお年をお迎え下さい。

Posted by Ken Kodama at 12:05 | Comments (0)

2005年12月28日

87歳でなお「学習」し続けるピアニスト

本日は暮れも押し迫ってきたということで、みなさんも「年末モード」に入ってきて、あまり固い話題をどうのこうのという雰囲気ではないとお察し致します。そこで、個人の「学習」というテーマにそって書いてみたいと思うのですが、みなさんの関心を惹くために一点ご忠告しておくと、「学習」とはリーダーになるための重要な要素の一つであるといわれています。例えば、モーガン・マッコール著の『ハイ・フライヤー 次世代リーダーの育成法』には、以下のような記述さえあるほどです。

(引用始)
『リーダーシップに関する才能の最低必要条件は、経験から学ぶべきことを学ぶ能力であるといえる。』
(引用終)

最近のアクション・ラーニングなどによるリーダーシップ開発は、こうした理論的背景のもとに、リーダー候補者に必要な「経験」を与えるために実施されているのですが、しかし、そこから何を学びとるのかは、ほとんど「個人」に委ねられているというのが現在の状況です。そこで、老いても学び続ける良きロールモデルとして、本日は私の趣味の領域から二人をご紹介したいというのが、当エントリーの趣旨であります。
私が選ぶ「学習」の達人の一人目は、将棋の世界から青野照市九段です。現在52歳の青野九段。さすがに年齢の波には勝てず、今期の成績は今ひとつさえないのですが、今から2年前将棋棋士のトップ10が集まるA級リーグにおいて大健闘し、羽生世代の優秀な棋士をして、「青野九段は50歳に近づきつつも、なお強くなっている」とさえ言わしめたほどです。もちろん、外野にいる我々からは「強くなった」という「変化」が伴わないことには、「学習」を継続しているということが見えないわけで、そうした可視的な「変化」から「学習」の痕跡を私は類推しているわけです。
そして、二人目が標題に挙げた87歳のジャズ・ピアニストであるハンク・ジョーンズ氏です。ハンク・ジョーンズについては、以下の2つの参加アルバムがお気に入りでした。

Steal Away/Charlie Haden & Hank Jones
All My Tomorrows/Grover Washington, Jr.

これらの作品に共通するハンクの特徴は、そのタッチの柔らかさにあると思います。ハービー・ハンコック、チック・コリアという「バリバリ」引きまくる人は、それはそれで魅力的だけど、ハンクの柔らかさは他のどのピアニストにも出せない味わいです。ところが、そのハンク・ジョーンズ参加の以下の新作をCDショップで試聴して私は驚きました!

Speak Low/The Great Jazz Trio

何に驚いたかといえば、一言でいえば演奏が若々しいのです!「生きる喜び」みたいなのがみなぎっているのです。これは私の個人的な感覚なのかと思い、色々検索してみると、例えばこちらの日本語のブログでも、好意的なコメントが書かれていますし、英語のサイトでは以下のようなコメントが記載されています。

(引用始)
『Hank Jones, who celebrates his 87th birthday this month, is in the midst of one of the most productive periods of his long, distinguished career.
(今年87歳になったハンク・ジョーンズは彼の長く際立った音楽キャリアの中で、最も生産的な期間の一つの真っ只中にいる。)』
(引用終)

この二人は、それぞれのスタイルの「変化」から、老いても確実に何かを「学習」したと推測されるのですが、では何をどのようにして「学習」したかについては、二人が回想録でも書かないことには明確にはならないことでしょう。もちろん、青野九段の棋譜を詳細に分析したり、ハンクの新作を徹底的に聞き込めば何らかの手がかりは得られるのでしょうが、それは私の拙い文章では言語化する対象になりません。でも、細かいことは抜きにして、老いてもなお「学習」し続けて、魅力的な変貌を遂げる有名人が二人もいるというだけで十分ではありませんか!私もやはり87歳で「現役」でいたいものですが、ただの「現役」ではなく、いまだに「チャレンジ」し続けている「現役」でありたいものです。
ちなみにハンク・ジョーンズは来年ブルーノートに来日する予定です。最後の来日になるかもしれないので、私は見に行くつもりですが、ミシェル・ペトルチアーニのときも予約までして、その後に訃報を聞くという哀しい思い出があるため、来年3月までは、そしてその後も末永きに渡って、ハンクが健在であることを祈りたいです。

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2005年12月27日

改めて考える。「百貨店」とは何なのか?

改めてソースを引用するまでもない、セブン&アイ・ホールディングスとミレニアムリテイリングの経営統合の報道。本日の日経新聞朝刊では、両社の経営統合を以下のような文章で表現している。

(引用始)
『両社は業態の垣根を越え日本最大の流通グループとなる強みを生かし複合商業施設や商品を共同で開発する。』
(引用終)

まあ、こんなバラ色の未来を語る前に、そもそも「百貨店」とは何であるのかという地に足のついた視点から、両社の経営統合を考えようというのが本日のエントリーの趣旨。百貨店の特徴としては以下の6つが、とりあえず私が思いついたところ。

①豊富な品揃え
②アミューズメント ~買う楽しさ~
③中心市街地に立地している
④比較的長い歴史
⑤ブランドバリュー
⑥外商 ~富裕層へのパイプ~

まず、「百貨店」の語源でもある①と、デパートに連れていってもらえなかったときのカツオ君の怒りからも察することができる②に関してだが、もはや百貨店単体では、刺激に麻痺した消費者の満足し得る品揃えとアミューズメント機能を満たしえないのではないか、というのが私の印象である。百貨店をも一テナントとした大型SC(ショッピングセンター)には明らかにこの点ではかなわないし、百貨店は必ずしもSCにとって不可欠な要素であるとはいえない。
このように考えると、セブン&アイが西武とそごうを傘下に収める意味は、③から⑥にあるのであろう。つまり、③と④が⑤のブランドバリューの源泉になっているのであり、⑥の外商部隊によりはじめて、百貨店の高収益は維持されるのである。執筆時間に制約があるため、詳細なデータを把握できなかったが、例えばこちらのサイトによれば、高級時計の売上に関しては、外商での販売が店頭販売の実に9倍にも上るブランドも存在するとのことである。まあ、叶姉妹が三越本店で貴金属を買い漁る目撃情報が皆無であることからも、外商部隊が富裕層への販売ルートとして威力を発揮している実態を垣間見ることができるといえよう。
外商には金のかかる店舗は不要である。しかも利益率は、福袋に殺到する我々下流層が店舗で落とすものとは比較にならないほど高い。では、なぜ外商に特化する百貨店がいまだかつて出現しなかったのかといえば、そこが富裕層の心理であり、銀座や新宿といった場所に店舗すら持たぬ店の営業マンを家に上げる気になるだろうか?百貨店の支払う高い地代は、好立地での集客を目的としているというより、ブランドの維持費という側面が強いのかもしれない。
さて、セブン&アイは、残念ながら三越でなないものの、西武とそごうを手にいれた。イトーヨーカ堂のカード会員数は、本日の日経新聞によれば730万人ということであり、購買履歴をシステムにかけて分析すれば、新たな外商ルートを開拓できるかもしれない。イトーヨーカ堂の包装紙ではお中元を出したくなかった人も、西武百貨店の包装紙で配送されるというのであれば、考え直すかもしれない。
日経新聞の社説の下記の指摘は、一応うなずける。

(引用始)
『問題は肝心のセブン側にこの統合でどれほどの果実が期待されるのかがはっきりしないことである。』
(引用終)

確かに確たるプランのないままの、見切り発車の経営統合である感は否めないが、小売業界を知り尽くした鈴木敏文氏と和田繁明氏の直観にもとづく、このようなM&Aも「あり」かと思う。百貨店とスーパーが一緒になることで、様々な可能性が広がる。しかし、その可能性を成功につなげるのは、やはり冷静な現状分析が必要なのであろう。

Posted by Ken Kodama at 11:03 | Comments (0)

2005年12月22日

村上ファンドが社債市場を撹乱するのはいつの日か?

私が、このブログで目指しているスタイルは『隅の老人』だったりします。これはある推理小説のタイトルなのですが、こちらのサイトから一部分説明を引用させていただくこととします。

(引用始)
『女性記者のポリー・バートンから事件のあらましを聞いただけで真相を明らかにしてしまうという、いわゆる〈安楽椅子探偵〉の代表格として有名な探偵で』
(引用終)

私にとっての「女性記者のポリー・バートン」というのは日経新聞と日経金融新聞の2紙であり、したがって両紙が注目する動向には、私の関心も自ずと導かれ、そしてこのブログのエントリーとして形になるのです。そして最近の日経金融新聞が注目しているのは、アクティビスト・シェアホルダーによる社債市場への影響です。一体、なんのことでしょう?本日の日経金融新聞の9ページにはドイツ銀行のクレジット・ストラテジストのジョン・ティアニー氏のインタビューが掲載されていますが、同インタビューより一部分引用しておきましょう。

(引用始)
『例えば米石油会社カー・マギー。この会社もアイカーン氏が物言う株主として圧力をかけてきたが、それに対応して油田や化学工場の売却を通じて40億ドルに上る自社株買いの計画を今年4月に発表した。それをきっかけに同社債の信用スプレッドは0.85~0.90ポイントから一気に2.50ポイントまで拡大した』
(引用終)

まず、いくつか用語を確認しておきましょう。アクティビスト・シェアホルダーとは、一言でいえば村上ファンドのような株主のことです。大株主となって、モノをいう株主として、株主への利益還元を主張する人々のことです。そして、信用スプレッドとは、同じ年限の国債と社債の利回りの差のことです。ですから、信用スプレッドが拡大したということは、国債との利回り差が拡大したということであり、したがって信用リスクが高まったということを意味するのです。
これも日経金融新聞からの情報ですが、いつの日の記事であるかは忘れてしまいましたが、日本では、このようにアクティビスト・シェアホルダー(といっても村上ファンドくらいしか目だったのはありませんが)の動向が社債市場に影響を及ぼすというような事態はまだ確認されていないようです。しかし、金融の世界では我々日本は常に欧米世界の従順なるフォロワーであり、そういう意味では近い将来、アクティビスト・シェアホルダーが社債市場を撹乱する動きを警戒しておくことは賢明でしょう。その対応策の積極的なものは、常日頃から株主価値の増大を念頭におくというものであり、消極的なものは安定株主工作であるのでしょうが、株主への対策を怠ると負債コストにも跳ね返る可能性があるという点をしっかりと認識しておくべきでしょう。

Posted by Ken Kodama at 09:49 | Comments (0)

2005年12月21日

偽装の本質

日本は耐震強度計算問題に揺れ、そしてお隣の韓国は黄教授のES細胞捏造疑惑で揺れています。偽装と捏造はもちろん程度が異なりますが、「他人を欺く意図がある」という点では共通しており、両者の問題を比較すると偽装が生まれる共通条件というものが浮かび上がってきます。私の観察によれば、以下の3つが偽装の背景にあると考えます。

高度な専門性を有する分野であるため、外部からのチェックが働きにくい。
②偽装・捏造の当事者には強い「達成欲求」があった。
③偽装・捏造の当事者に対して強いプレッシャーがかけられていた。

ここで、解説をしておくべき用語は、「達成欲求」です。これはマクレランドの唱えた欲求理論の概念であり、他に「親和欲求」「支配欲求」と合わせて、人間の欲求を3つに分けて理論を展開していますが、もう少し詳しいことに興味がある方は、こちらのサイトをご参照下さい。
達成欲求とは、文字通り、「なにごとかを成し遂げたい」とする欲求のことです。急成長を遂げている企業の源をたどれば、必ず達成欲求の強い従業員による大きな業績への貢献につきあたるはずであり、達成欲求の強い人材は企業の成長にとって欠かすことができません。両事件の渦中の姉歯氏と黄教授も、報道から観察される細かい事実から達成欲求の強い人物であることが推察できます。
問題は、この達成欲求の強い人々に強いプレッシャーが課せられたときに起きるのです。両事件においては(黄教授においてはまだ真偽のほどは定かではありませんが)、「欺瞞」という最悪の形で、問題が表出してしまいました。達成欲求とプレッシャーの関係は学問的にも裏づけのある事実であり、たとえばマクレランドは『モチベーション―「達成・パワー・親和・回避」動機の理論と実際』という著書の中で、以下のような実験の結果を述べています。

(引用始)
『つまり生徒たちは、モチベーションへのプレッシャーがきわめて高い、またはきわめて低い状況ではなく、中程度のプレッシャーがかけられているときに、最もたくさん算数の問題を解いたのである。』
(引用終、同著98ページより)

では、このプレッシャーなるものはなんであるのかを突っ込んで考えてみると、それは結局はその上位者の達成欲求であるのではないかと私は思うのです。耐震強度計算問題においては姉歯氏に指示をしていた篠塚元支店長、そして黄教授の上には「国家としての達成欲求」が、両者に対してプレッシャーをかけていたのではないでしょうか?このような強度の達成欲求の連鎖が存在する組織の中で、業務が高度な専門性により外部からのチェックが働きにくくなったときに、偽装問題は発生するというのが私の考えです。そして、この「強度の達成欲求の連鎖」を後押しするのが、非現実的な業績目的を冠に掲げたMBO(Management By Objectives)であるのかもしれません。
東証のシステムの問題にしても、広い意味でいえば「偽装」の一種である可能性が高いとすらもいえます。私は10年以上も昔のプログラマー時代には、プログラムの全ての条件分岐に対してデータを流してテストして結果の記録を文書として残すよう、指示されてきました。しかし、「極めてタイトなスケジュール」という形でプレッシャーが課せられれば、プログラマーは実際にデータを流していないにも関わらず、「全ての条件に対してテストを実行した」と「偽装」するかもしれません。
これらの全ての「偽装」問題に対して発表される解決策は、チェック機能の強化につきるでしょう。しかし、いたずらにチェック機能を強化し、管理文書が膨大になれば、今度は「管理文書は適当に書いておこう」という「怠慢」を誘発しかねません。
過去10年以上にわたって財務系のキャリアを築いたときに私の中に芽生えた信念は、「どのような部署であっても、財務的なマインドを持つべき」というものでした。最近、ヒトに関わる仕事が増えてくると、「どのような部署であっても、ヒトに対して本質的な理解を持つべき」との信念が芽生えるようになってきました。偽装問題への対処においても、形式的なチェックのみ頼るのではなく、人間の本源的な欲求の鋭い洞察に根ざした解決策を目指さねば、根本的な解決策とはいえないのではないかと私は考えます。

Posted by Ken Kodama at 09:37 | Comments (0)

2005年12月20日

ネットと放送の融合は「マスの消失」を招くのか?

竹中氏が総務大臣に就任して、にわかに「通信と放送の融合」が近い将来の課題として浮上しつつある。実に哲学めいた抽象的な表現である「ネットと放送の融合」であるが、本日のソフトバンクとヤフーの動画配信の報道に見られるように、具体的には「テレビでやっているものをネットでも見れるようにする」という方向性で「融合」は具体化しつつあるようだ。しかし、これは単に「無線」が「有線」に、「テレビ」が「パソコン」へとハードが置換されることだけを意味しているのだろうか?私はそうは思わない。
ネットでの動画配信は、基本的には①有料サービス②オンデマンドがスタンダードになりつつあるようだ。まず、前者の「有料サービス」が意味するものは、広告主に代わって視聴者がコンテンツ制作費の対価を支払うことを意味するのであるから「CMが入る余地がなくなる」ということであり、これは広告主がマスマーケティングを実践する場が格段に減少することを意味するのではなかろうか?また、パソコンとテレビが併存するのであれば、テレビに固執する人々というのはパソコン操作に不慣れな高齢者層ということになる。一時は、水戸黄門と桃太郎侍くらいしか高齢者向けの番組がなくなってしまったテレビであるが、団塊世代のシニア化と合わせて、テレビ番組は高齢者向けに味付けがなされ、したがって広告主も彼等にターゲットを合わせたマスマーケティングを展開せざるを得ないであろう。加えて、もしNHKの民営化が実現されれば、熾烈なパイ争奪戦がくりひろげられることであろう。
意外なことに、この動きはラジオの復権をもたらすのかもしれない。ラジオに対しては、ドライバーや自宅で仕事をする人々に根強い需要があり、これが今以上に減退するとは考えにくい。マスマーケティングの主戦場として、ラジオが見直されるのかもしれない。
次に、「オンデマンド」がもたらすものであるが、「見たいときに見れる」わけであるのだから、「共時性」は今以上に希薄となり、これはマスカルチャーの凋落を招くのかもしれない。OLのランチ時の話題に、「昨晩のドラマ」は上らなくなり、代わって今以上に激辛な上司の悪口が延々と展開されるのであろうか?身震いさえおこるが(笑)。
ただし、もともとマスカルチャーには「質」の面では問題があり、良い面も期待できるのかもしれない。恐らくは地域社会との関わりが今以上に大切にされ、音楽や劇はライブで楽しむのが主流となる、そんな時代がくるのかもしれない。

・・・とまあ、色々書いてみましたが、もちろん未来のことなど私には断言できません。ネットと通信の融合はどんな未来をもたらすのでしょうか?お時間があって、かつ、思うところがある方はコメント欄に書いていただければ幸いです。

Posted by Ken Kodama at 11:43 | Comments (0)

2005年12月19日

私の10大ニュース

暮れも押し迫ってきたということもあり、本日は私が今年1年で書き溜めたエントリーの中から、後から自分で読み返しても「オモシロイ!」と思ったエントリーを10本選んでみました。

10位 みずほ証券誤発注問題を考える

このエントリーは文章が冗長でもあり、個人的には納得がいかない面もあるのですが、ブログ時評さんに取り上げていただき、当日は通常の1.5倍近くのアクセスを記録したため、新たな読者獲得に貢献したという意味で選びました。

9位 エニアグラムから見た姉歯氏

このブログを長きに渡って読んでいただいている方は、私のブログのある「変化」にきづかれたかもしれません。当初は「株」や「会計」等の数字モノばかりでしたが、最近リーダーシップ等のヒトをテーマにしたエントリーが増えていますが、これは最近の私が人材アセスメントという仕事に手を染め始めたためです。今年に入って私が読む本は、かつての財務モノから人事・リーダーシップ・心理学等に一変してしまいました。姉歯氏にまつわるこのエントリーが秀逸とは言いがたいですが、そのような領域を代表するエントリーとして一つ加えさせていただきました。

8位 「ネットと放送の融合」と「利己的な遺伝子」と「クリステンセンの破壊的技術」と

こんなトガッタものを3つ並べることができた、という点に満足しています(笑)。

7位 東証のことが頭から離れない・・・

東証も一企業とみなすのであれば、恐らく当ブログで触れた回数が最も多かった企業は東証であり、それを代表するという意味で選びました。私の個人的な趣味の問題ではなく、今年は東証のあり方を考えさせる「事件」が多く発生しました。

6位 「利益を出す」とどよめかれる会社

タイトルが面白いと思ったので。また、株式の理論価値を考える上で、基礎的な視点を提供していると思ったので。

5位 iPod考、そしてMac考

音楽は、私が全く左脳に頼ることなく、モノを書くことのできるジャンルです。なにか一つ音楽関連のエントリーを入れたかったので。

4位 クレジット・デリバティブと銀行の20年後

突っ込もうと思えば、細かい点でいくらでも突っ込めるエントリーであるとは思いますが、こうした未来を垣間見えるようなエントリーが書けたとき、私は満足するのです。

3位 GMに見る「製造業の金融進出」の隠れたリスク

これは自分で読み返してみても、なかなか鋭いのでは、と思っています(笑)。

2位 「良いMSCB」など存在するのか?

isologueにTBをさせていただいたため、執筆から10ヶ月ほど経過した今でも、isologue経由の来訪者が途絶えません。MSCBの本質を上手くまとめたのではないかと自負しています。
なお、TB(トラックバック)に関してですが、あまりのTBスパムの多さに、当ブログではTB機能を廃しました。こちらが機能がないのに、相手にTBするというのも失礼な気がするため、今年の6月頃以降は一切TBをしておりません。

1位 毎月分配型ファンドの注意点

毎月分配型ファンドについては、そのうち大きな社会問題になるのではないかという気がしています。警鐘を鳴らすという趣旨のエントリーです。また、このエントリーは某2chの掲示板で、好意的なコメントとともにリンクを貼っていただいたようで、訪問者数のアップにも貢献しました。
最近、このようなファイナンシャル・プランナーとしてのネタが減少しているのは、自らの関心が他にも広がりつつあるのと、某社にて会員向けのマンスリー・レポートを執筆させていただいているためです。

当ブログは無料のコンテンツであり、私がブログを運営する最大の目的は自己研鑽にあり、したがって統一したテーマ感が薄い点についてはご理解いただけると思います。しかし、リピーターの方も増加しているようであり、継続して訪問いただいている方には、テーマが散漫である点については申し訳ないと思っています。そこで、例えばはてなアンテナのようなサイトに当ブログを登録していただき、関心のある記事が更新されたときのみ、ご来訪いただければ、無駄なお時間を省くことができるのではないかと思います。

・・・なんて暮れの挨拶が続きそうな文章になってしまいましたが、まだ10日近く残っているので、書きますよ(笑)。挨拶はもう少しあとということで。

Posted by Ken Kodama at 10:40 | Comments (0)

2005年12月16日

構造計算書偽装問題と『静かなリーダーシップ』

そこへ、律法学者たちやファリサイ派の人々が、姦通の現場で捕らえられた女を連れて来て、真ん中に立たせ、イエスに言った。「先生、この女は姦通をしているときに捕まりました。こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。ところで、あなたはどうお考えになりますか。」イエスを試して、訴える口実を得るために、こう言ったのである。イエスはかがみ込み、指で地面に何か書き始められた。しかし、彼らがしつこく問い続けるので、イエスは身を起こして言われた。「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」
(ヨハネによる福音書より、直接的にはこちらのサイトより引用させていただきました)

構造計算書偽装問題で、証人喚問に立った4人を「極悪人」と見下し、「彼等にはモラルの片鱗もないのか」と憤慨して見せることは実に容易いし、ヒロイックな快感すら誘う。しかし、このブログを読むあなたには、本当に彼等に石を投げる資格があるのだろうか?
こんな例を考えてみよう。これはアメリカの話である。アメリカにおいては、未承認の用途で医薬品を販売することは、法により禁ぜられている。にも関わらず、ある鬱病薬としてのみ承認されている薬物が、禁煙や痩せ薬としての用途で売上を伸ばし始める、ある会社が存在した。会社としては、この薬品を禁煙や痩せ薬としての用途で販売せよと、積極的に営業マンに指示をしているのではなく、その意味では法令に違反していると明確に断ずることはできない。しかし、一方では禁煙や痩せ薬としての用途を医師から質問されたときの応対法を営業マンに伝授していた。また、これらの用途のために販売された売上に対しても、営業マンにインセンティブを与えていた。
厳しいビジネスの世界においては、法令違反と明確に断ずることができなくとも、ギリギリの線に立たされることが往々にしてある。そのような場合、人がとりうる態度は、おそらく以下の4つに大別できるのではないか?

①自らが鈍感、かつ知識不足であるため、そもそも自らの立たされている困難に気がつかない。
②良心の呵責を無視して仕事に従事する。
③「これがビジネスの厳しさなのだ」と悟り、「大人」になることで、自らの感覚を麻痺させる。
④内部告発等の手段に訴える。

おそらく、大半の優秀と称されるビジネスマンは②か③のオプションをとるのであろう。なぜならば、自らの昇進の機会を逃したくないなどの、極めて利己的な動機が背後に存在するからである。では、こうした卑しい動機を持つ人々は「石を投げられる」べき人々なのであろうか?彼らが、ヒロイックな動機に基づき内部告発をしたのであれば、昇進の機会はおろか自らの雇用すら失い、その評判から次の雇用主を見つけることすらままならない恐れもある。とするならば、②か③のオプションをとることは、やはり家庭を抱えたビジネスマンにとって必須の選択なのであろうか?
必ずしもそうではなく、第三の選択肢があると説くのが、『静かなるリーダーシップ(ジョセフ・L・バダラッコ著、翔泳社)』であり、同著の目的は「自分の価値観に基づいて生きながら、自分のキャリアや評判を危険にさらすことなく、困難で深刻な問題を引き受けたい人々に、有益で実践的な発想を提供する(同著より引用)」ことである。
先のアメリカの例も実は同著に記載のケースを、若干表現を変えて転載したものである。このケースの会社で働くコルテス氏の心の中では、会社の方針と自らの倫理観との間で葛藤が生じることとなる。そこでコルテス氏がとった現実的なアプローチとは以下のようなものであった。

①未承認である禁煙や痩せ薬としての用途について聞かれても、質問に答えないこととした。
②既に未承認の用途で使用していた医師に対しては、未承認用途で使用した場合のリスクと副作用について説明した。

コルテス氏はこのような極めて現実的なアプローチを採ることにより、自らのキャリアと価値観を両立させたのである。
冒頭に引用した聖書の一節のテーマは「赦し(ゆるし)」であるが、もちろん構造計算書偽装問題の4人衆を赦せなどということを言いたいのでは決してない。しかし、この一連の報道は、他山の石などではなく、みなさんのビジネスマンとしての日々の行いの縮図であると考えた方が、恐らく将来のリーダーとしての人格形成にとって大きくプラスになるのではないかと考え、僭越ながら意見を述べさせていただいた。
ビジネスの倫理は、私が個人的に関心のあるテーマである。下記のエントリーを今年3月に執筆したが、当時よりは自分の考えは一歩前進したのではないかという気がする。

日本では置き去りにされてしまった"And Ethics"の視点

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2005年12月15日

芸のないゲイ

今日は早朝から術後の経過を見てもらいに病院に行き、その後いくつかアポイントがあったので少々疲れてしまいました。なので、息抜きネタ。

去年の波田陽区のポジションを今年はレイザーラモンHGが占めている。それは流行語大賞の頃から薄々感づいてはいたことだが、先週のめちゃイケという俗悪番組を見て、私は確信するにいたった。警察官の扮装をしためちゃイケレギュラーとレイザーラモンHGが、フジテレビ社内の「要人」に突撃するという企画。去年も同じ企画が同低俗番組内で展開されたが、HGの代わりにいたのはギターを抱えた波田陽区であった。
私の両人に対する好みを率直にいえば、波田陽区はかなり好きだが、HGはキライ、というかくすりと笑う気すらおこらない。HGも確かに「フォー」をつける前の言葉を選ぶセンスは買えるものもあるが、波田陽区の足元にも及ばない。
そんな個人的な趣味はどうでもよいのだが、私が知りたいと熱望するのは、去年波田陽区でうなっていた人は、今年レイザーラモンHGで笑い転げているのかどうかということ。もし、両者を同列に笑えるのであれば、私はその人をよくいえば「多様性を受容する懐の深さがある」と評価するであろうし、悪くいえば「節操がない」と切り捨てたい。しかし、世間が波田派とHG派に明確に分断されうるものであるならば、そのいずれをも流行語大賞に持ち上げるほど、「お笑い」愛好者の層が広いと裏付けることができ、その事実に驚くばかりである。
と、ここまで読んで「チッチキチーはどうなっとるんじゃい!!」という方がいらっしゃるとすれば、恐らくその方と私は友達にはなれない。
まあ、今日は疲れているということでお許しを。実はただ単にタイトルのオヤジギャグを書いてみたかっただけという話も・・・

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2005年12月14日

東証のことが頭から離れない・・・

朝電車に乗ったとき、腹の中で決めていた今日のネタは日経新聞33ページの『コンビニ宅配中』であった。かつて「御用聞き」をしてくれた酒屋さんや米屋さんを蹴散らしてきた張本人であり、あるいは蹴散らせれそうになった彼等が業態転換してできたコンビニであったが、「無料宅配」という名の下に「御用聞き」ビジネスを主にシニア層向けに開始するという。価格競争に巻き込まれるコンビニの新たな活路として、非常に興味深いニュースだったのだが、今パソコンの前に座るまでに、また頭の中は東証のことで一杯になったしまった。やはり、なんだかんだいって、私のルーツは株屋なのかもしれない。ダーマン氏の著作を読むふけるのも、証券会社出身ゆえなのだろう。
東証のことはあまりにこのブログで扱いすぎてきた感が否めないが、しかし単に「書き散らかした」と言われても否定できない面もある。そこで、パソコンに向かわず、紙とペンというアナログなアイテムを使って30分ほど、私の東証に対する思いを整理してみた。その結果が本日のエントリーである。
私は先日のエントリーで東証の意思決定には、一貫した理念が感じられないと批判したが、冷静に考えてみると、確かに東証を一般企業と同列に並べて批判するのは酷な気がする。それは東証とそのステークホルダーの関係が直感的に理解しにくいことに起因するのであろう。トヨタであれば、ユーザーであるお客様がいて、ベンダーがいて、そして取り巻く環境や地域社会があり、そして内部で働く従業員がいて、株主がいる。それらのステークホルダーの利害関係は実に分かりやすい。が、東証の場合、①証券会社②株式の発行体である企業③投資家の3つのステークホルダーの利害関係を調整するのは、ちょっと見るだけでも難しい。しかも、投資家とて機関投資家と個人投資家という全く異なる2グループに分けられる。そして前者はさらに、年金基金、ファンド、そしてあえて別に括れば「村上ファンド」などのアクティビスト・ファンドまであり、実に多彩である。後者は長期投資を志向するものもいればデイトレーダーもいる。

【①VS証券会社】
まず、個別に3者のステークホルダーに対する東証の態度を検証してみると、証券会社に対しては、恐らく彼らを「顧客」として今以上に尊重すべきなのではないかと思う。「証券会社って奴はうちの庭で小金を稼ぐ卑しい存在だ」みたいな潜在意識が東証にあるのではないか?そこまで言わなくとも「証券会社はプロなんだから自分のケツは自分で拭きなさい」的な深層心理が、みずほ証券誤発注問題でのマニュアル的な対応を招いたのだと思う。この「マニュアル的な対応」は二つの観点から実に大きな問題である。第一には、これほど大きな問題になることを予兆させていながら、「マニュアル的に」切り捨てたという点において。第二には、そもそもそんなカスタマー・アンフレンドリーなマニュアルが存在していたという点において。なんだかんだいっても、東証にとっては証券会社とは直接的にお金を落としてくれるお客様なのである。この意識を忘れてシステムの改変に務めたところで何の意味もない。

【②VS発行体】
次に株式の発行体である企業に対してだが、彼等に対しては今後「合理的に」に対応するという程度でよいのかと思う。もともと彼等は声の大きな存在である。また、その発言の動機も経営陣自らの保身に基づくことが多い。さらには、放っておけばMSCBや株式の100分割で個人投資家を愚弄する企業まで現れる始末である。彼等の声はあまり真に受けすぎない方が恐らくは社会全体にとってはプラスであり、その意味で先日のエントリーに書いた黄金株での英断を改めて評価したい。

【③VS投資家】
そして、投資家に対してであるが、「保護」と「平等」というスタンスで臨むのがよいと思う。特に「平等」であるが、村上ファンドなどを頭に浮かべると、どうしても変な規制を導入する方向にいってしまうであろう。あくまでも抽象的に「株主」というものを想念して、その観念的な株主を保護するという立場をとるのが正解だと思う。かなり感覚的な所見ではあるが。

【「イチバの管理者」というビジョン・理念】
と、各ステークホルダーに対する東証の姿勢を断片的に検討してみたが、これらを統合して東証が持つべき哲学・理念とは、自らが「イチバ」の管理人であるという自覚であろう。「株式市場(しじょう)」と音読みしてしまうと、どうも本質から離れてしまう傾向がある。「イチバ」にとって必要なのは、「活気」と「快適さ」と、そして必要なときには「悪行を取り締まる」ことである。東証社長の辞任を「システム運営の重視」と解説する論調もみかけた気がするが、自らのアイデンティティを忘れたシステム重視戦略は恐らく別種の問題を生み出すだけである。「イチバ」に集う人の顔をつぶさに眺め、彼等が満足するようなシステムを整備しなおすことが、東証の次期社長の使命であると私は考える。

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2005年12月13日

年末年始にお勧めの本

今、『物理学者、ウォール街を往く』という本にはまっています。先日、書店に出かけ、仕事上必要な本とともに購入して、こちらはつまらないお正月番組のかわりに読もうと買っただけだったのですが、序文からしてオモシロすぎるので、仕事の本をほっぽらかして読んでいます。このはまり具合は、ハリポタ以来かも・・・
英語の原題は"My Life As A Quant"であり、「クオンツ」と呼ばれる金融ハイテクの第一人者の自伝となっています。著者のダーマン氏は、ハルの本でも紹介されているブラック・ダーマン・トイの金利モデルのあのダーマン氏です。前半は物理学者としての、後半はクオンツとしての生涯を振り返る内容となっています。
なにが面白いってユーモアのセンス!!大抵の本の『日本語版序文』はクソオモシロクもない美辞麗句が並べられているだけですが、この本は違う。例えば、こんなセンテンス。

(引用始)
『南アフリカ人の友人に、私はホテル・オークラでの心の平穏について話したことがある。彼は「良いホテルは現実を取り去るが、非人格化はしない」という誰かの言葉を引用した。』
(引用終)

あるいはこんなの。

(引用始)
『私は、東京で、ゴールドマン・サックスのクライアントに対して何度も金融モデルについて話をし、土岐大介が同時通訳した。彼はしばしば、私が10秒話した後に2分話し、私が1分話した後に10秒話し、私を驚かせた。』
(引用終)

物理学の素人の私でも、読み進む分には支障はないですが、デリバティブとかそういったものに一切興味がない人には、面白くないかもしれないです。ちなみにエニアグラムで言うと、この著者は4よりの5にマチガイナイ!!どうでもいいかもしれないけど(笑)

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みずほ証券誤発注問題を考える

【①東証のシステムエラーとはどのようなものだったのか】
今回のみずほ騒動の原因が東証のシステムの不具合にもあるということが発表されたわけですが、具体的にはどのような不具合だったのでしょうか?手がかりとなるのは、本日の日経新聞の以下の記載です。

(引用始)
『東証のシステムでは取引価格の制限を超える値の注文は制限値で受け付ける「みなし処理」になる。みずほ証券の一円注文はストップ安で受け付ける「みなし処理」が行われたが、システムがみなし処理の取り消しを受け付けないようになっており、「結局一円でも57万2千円でも取り消しが不能な状態」(天野常務)になっていた。』
(引用終)

「みなし処理」の取り消しを受け付けないというのは、「変なシステムだなー」という印象を持たれるかもしれませんが、以下のように推測すれば、どうしてこんなシステムができてしまったのかの説明がつくと思います。以下は、私のシステム構築経験に基づく推測にすぎないという点をご了解いただいた上で、読み進めていただければと思います。
一般的に、取引(トランザクション)の処理を扱うシステムにおいては、その取引の状態を表す「フラグ」なるものが1バイトのスペースに書き込まれるものです。例えば、今回の東証のシステムで言えば、データを「取り消した」からといってデータを「物理的に削除」してしまうと、後々追跡が不可能となってしまいます。このような場合、「フラグ」を「通常のデータ」から「取り消されたデータ」に換えてやることで、データが有効か否かをシステムに判断させるのです。私の推測では、東証のシステムでは、このフラグは少なくとも以下の3種類の値をとっていたはずです。

1.通常のデータ
2.みなし処理データ
3.取消済みのデータ

既に、取り消されたデータでも取消処理ができるようにしてしまうと、ユーザーは本当にデータの取り消しができたかどうか不安になってしまうため、フラグが「3」の値のデータは取消ができないようにシステムを作っておかねばなりません。この場合、

フラグが「3」ならば取消ができない
 フラグが「3」以外ならば取消ができる

というようなロジックを書くこととなります。しかし、なんらかのミスコミュニケーションにより、プログラマーが

フラグが「1」ならば取消ができる
 フラグが「1」以外ならば取消できない

というようなロジックを書いてしまう可能性は大いにあります。そのような場合、「2」のみなし取引は取消ができなくなってしまうのです!もちろん、システムの設計は様々であるので、私の推測通りである可能性はそれほど高くはないと思いますが、エッセンスはこんなところでしょう。つまり、今回の東証の不具合とは、逃れようのないロジックの書き間違えであったということです。

【②東証の責任は?】
前回のシステム問題と、今回の問題も含めて、私には非常に気がかりになった、新聞上でのある表現があります。それは以下のようなものです。

システムの不具合は一義的には東証に責任がある。

意地悪い見方をすれば、わざわざ「一義的には」とつけるのは、東証側が責任を感じていないからだともいえます。なぜ、ズバリ「システムの不具合は東証に責任がある」と言えないのでしょう?「本当は富士通のSEが悪いんだけど、マスコミがうるさいから一応謝っておくか」といった本心が「一義的には」とつけるあたりに見え隠れします。では、東証はどうすればよかったのでしょうか?富士通のSEが書いたプログラムを全て、東証の従業員がレビューすべきだったのでしょうか?これはコスト的に考えても明らかに「無駄」な話です。
恐らく現実的な選択肢は、東証がシステムテストのシナリオ策定に積極的に関わるということです。システムの検証はランダムにデータを流していただけではダメであり、あらゆる可能性を網羅するようなデータを計画的に流してみることにより、検証を行わねばなりません。恐らくは検証段階においても、東証の関わり方はかなり限定的であり、富士通にまかせっきりだったのではないでしょうか?
また、実ユーザーである会員証券会社もテストに積極的に参加させるなどしていたならば、こうした惨事が防げていた可能性はかなり高かったはずです。

【③富士通の問題は?】
富士通のSEの能力に問題があるなどとは、私には思えません。しかし、これも推測の域を出ませんが、プロジェクト管理には問題があったのではないでしょうか?もし、東証のシステムを担当する富士通の責任者に、必要となるリソースを主張する勇気があれば、十分な人員を割いて計画的なシステムテストを実行できていたはずです。
私が古巣のコンサルファームで経験した最初のプロジェクトは、総勘定元帳システムの構築でした。私は一人のプログラマーとしてプロジェクトに参加して、導入後の2ヶ月間もサポートに携わったのですが、その二ヶ月間一度もシステムが落ちたり、欠陥が発見されることがなかったというのが今でも誇りとなっています。しかし、ユーザーさんからの評価は「あれだけ時間をかけてテストをやっていれば当たり前」というあまり好ましくないものでした。もちろんお客様の声は真摯に受け止めなくてはならないですが、必要な手順を愚直に踏むことが、システム構築の王道であることは間違いありません。「コンサルタント」という肩書きがついていても、魔法使いであるわけなどないのですから、当たり前のことを当たり前にやっていいものを作るのがプロの仕事というものです。こうした考えが欠落してしまったために、構造計算書の偽装問題は発生したのであり、その意味では両者の問題は同根のものであるとすらいえるでしょう。必要な工数は決して省略してはならず、請け負う業者はそのために必要なコストを請求する「勇気」を持たねばなりません。


【④気になる証券会社トレーダーの倫理観】
本日の日経新聞7ページにはジェイコム株を大量保有する証券会社の名がリストアップされています。これらの証券会社がジェイコム株を保有している理由は、誤発注にいち早く気付きそこから利益を得ようとしたからに他なりません。証券会社のトレーダーというのは、四則演算に長けた人々であり、誤発注元の証券会社が被る損失額など、すぐ見当をつけることができるでしょう。また、受け渡しの株が不足するであろうことも、お見通しだったはずです。もちろん、金融の世界は食うか食われるかのゼロサムゲームという厳しい側面もありますが、彼等の行為がこの問題の傷口を広げたたことには間違いありません。こうしたトレーディングはいかがなものなのでしょうか?こうした行いは彼等のPrestigeに影響を与えることはないのでしょうか?

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2005年12月11日

老獪なのはマドンナかアップルか?

iPodにちまちまと私のCDコレクションを移行してきて、ようやく1,483曲になったのですが、まだ空き容量が21GBもあるという、恐るべし底なし沼・・・
iPodの長年のユーザーの方は当然ご存知のことでしょうが、先日iPodの致命的な欠点に気がついたんですね。エニグマのデビューCDは覚えていらっしゃるでしょうか?グレゴリオ聖歌とグランドビートを融合させたといえば、なんとなく思い出していただけるのではないでしょうか?あのアルバムは冒頭にこんな催眠術もどきの怪しい語りから始まるのです。

(引用始)
Good evening, this is the voice of Enigma
In the next hour, we will take you with us into another world
Into the world of music, spirit, and meditation
Turn off the light
Take a deep breath and relax
Start to move slowly, very slowly
Let the rhythm be your guiding light
(引用終)

と、奇妙なリラックスモードに入ったところで、グレゴリオ聖歌が流れ出し、そしてグランドビートが刻まれる。この一連の流れをはじめて聴いたときの興奮が今でも忘れることができないのですが、iPodで聴くと、グレゴリオ聖歌とグランドビートの間に「ブチッ」となんとも興ざめな音が入って、せっかくのトランス状態から目が覚めてしまうのです。なぜかというと、アルバム上で、曲が2曲にまたがって編成されているからで、CDやレコードプレーヤーではなかった問題なのですが、コアな音楽ファンにとってはこの「曲間の音飛び」はかなり深刻な問題であったりするわけです。こちらのサイトに紹介されているような回避策もあるのですが、かなりメンドイ。
そんな中、マドンナの新作がノンストップのダンスアルバムになっていると聞いて、「これはマドンナのアップルに対する挑戦か?」と思ったのです。なぜかって、12曲収録されていれば、iPodユーザーは11回の興ざめに付き合わされるのだから。こんな風に私が考えたのも、マドンナは著作権問題に関してかなり敏感であるというこちらのような報道を目にしたからです。以下に部分的に引用します。

(引用始)
『マドンナは11月14日の公式発売日までアルバム音源の流出を防ごうと、これまで必死に取り組んできた。レビュー用のプロモ盤さえも規制されていたほどである。というのも、彼女は近年、音楽の著作権侵害にとりわけ強く反対しているからである。かつてファンが前作『American Life』の楽曲を違法ダウンロードしようとした際には、マドンナ自身が違法ネットワークに偽のトラックをアップし、ファンの行為を阻もうとしたこともある。』
(引用終)

iPodユーザーとしては、「早く音飛び、なんとかして」といったところなのでしょうが、本当の音楽ファンであるならば、こうしたミュージシャン側の抵抗にも、配慮すべきなのではないでしょうか?違法なコピーは音楽の荒廃を招くだけなのですから。
と、こんな風に思ったので、アップルとマドンナの犬猿の仲を伝えるサイトはないかなーと思いつつ検索してみたら、全く逆の親密ぶりをつたえるサイトが引っかかってしまいました・・・マドンナがしたたかなのか、私のかんがえすぎか・・・というか、どんな場合であっても、マドンナがしたたかであることには間違いないですね(笑)

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2005年12月09日

誤発注 同じミスなら 「買い」がマシ

昨日のエントリーなどは、少しぶっ飛びすぎているのかなとも思っています。私のもう一つのブログに、外国為替証拠金取引に関する、かなりオーソドックスなエントリーを書きましたので、ご興味がある方は、ご参照してみて下さい。

金融ニュースの「行間」を読む

さて、ソースを改めて引用するまでもない、みずほ証券の誤発注ですが、実は私が古巣の某証券で働いているときに、同様の誤発注の処理を近くから傍観したことがあります。当時報道された範囲でお話すると、原因は今回のような誤「入力」ではなく、テストデータを誤って本番環境に流してしまったというものでした。
いかにしてこのような誤入力を防ぐシステムを構築するか、というスタンスで書いた方がはるかに社会的な意義が高いのでしょうが、私が今回の事件と過去の私の体験を比べて感じたことは、「売り」の誤発注は「買い」の誤発注に比べてはるかに怖いという点です。それは、「決済」という観点と、「損失額の大きさ」という観点の2つからいえることです。
まず、「決済」についてですが、株式の売買においては、売買の日から3営業日後に、お金と株券を実際に受け渡ししなければなりません。(もちろん電子的に行われますが。)この場合、お金の方は、色がついていないわけですから、極端な話、借りてくればどうとでもなります。しかし、株券の方は数が限られており、今回のような上場直後の株式についてはなおさらです。金融機関が決済できないというのは致命的なことです。その回避策の1つとして、本日の日経金融新聞では、こんなことまで書かれています。

(引用始)
『ジェイコムがみずほ証券を引受先とする第三者割当増資を実施して株を調達するというシナリオもあるという。ただこれは大幅な株式価値の希薄化を招き、ジェイコムの資本政策も混乱する。』
(引用終)

まあ、まさかこんな手段はとらないとは思いますが、みずほ側にここまで考えさせたくなるほど、「決済」ができないというのは重いことなのです。
また、「損失額の大きさ」という点についても、「売り」の誤発注の方が「買い」に比べて大きくなる可能性がある、といえるでしょう。もし、誤って買ってしまった場合、実際にそうする金融機関はないですが、腹をくくって、長期的に持ち高を少しずつ減らしていくという戦略をとることすらできます。しかし、空売りのポジションが形成されてしまった場合、理論的には損失額は無限大に膨らみむので、一刻も早くポジションを解消せねばなりません。買いポジションの理論的な損失は、購入金額に限定されるのと比べると対照的です。なお、「空売り」の仕組みについては、私が過去に書いたエントリーをご参照下さい。

空売りの仕組み

加えてネット・デイトレーダーという外野が増加した今日を考えると、みずほの足元をみて、今から買い向かう方も少なくないと思います。しかし、もしみずほの誤発注が「買い」であったならば、その状況下で儲けをえるためには空売りをせねばならず、空売りができる個人投資家となると、その数は格段に減少します。
最後に余談ですが、本日の日経新聞7ページに小さく顔が出ている方は、私の記憶が正しければ、「あのとき」日本にいた市場部門のヘッドのはずです。昨日の報道を聞き逃すはずはなく、「日本人不信」に陥っているかもしれません(笑)。

Posted by Ken Kodama at 09:42 | Comments (0)

2005年12月08日

『オーラの泉』が職場に進出??? 21世紀の人材育成と「スピリチュアル」

先日のエントリーで、私は『オーラの泉』の美和明宏氏と江原啓之氏を「金髪の魔女と得体の知れない落語家」などと書いてしまったが、実は両方とも、私は結構好きだったりする。で、昨日も中島啓江が母親の思い出を語り、アメージング・グレースを熱唱するのを食い入るようにみてしまったのだが、こうした精神世界を扱うテレビが深夜枠とはいえ、お茶の間に進出したことの意義は深いと思う。科学では説明できない領域を扱っているという点を強調して、『オーラの泉』を例えば『FBI心理捜査官シリーズ』や一連のUFOモノと同列で並べる方がいるかもしれない。しかし、『オーラの泉』がそれらと決定的に違うのは、登場するテレビタレントがなんらかの形で癒され、救われているという点であり、「オーラ」が見えようが見えまいが、前世がなんであろうかは、極論すればどうでもよい話なのである。私も、別に「オーラ」などというものを見ることができるわけでもないし、前世などは信じてすらいない。それでも『オーラの泉』を見続けるのは、出演者が救われる有様を見たいからである。
本日のエントリーの趣旨は、こうしたスピリチュアルな世界が、企業の人材育成の場に近い将来進出するのではないか、という私の直観をお伝えせんがためである。これは、少しも突飛なものであるとは考えていない。確かに給与を決定するという意味においての人事評価の領域では成果主義の勢力が依然として高まりつつあり、これはスピリチュアルなどという悠長なものとは相容れないものである。どんなに気高い精神の持ち主でも、数字を上げねば高給にありつけないのだから。
一方で、人材育成についてはどうかというと、みなさんの大半が一度は耳にしたことがあると思うが、コーチングの隆盛が著しい。コーチングの根底に流れる思想とは、なんであろうか?コーチング関係の書物の中で定評のある、『コーチング・バイブル』では、コーアクティブ・コーチングの4つの礎として以下を挙げている。

(引用始)
『①クライアントはもともと完全な存在であり、自ら答えを見つける力を持っている
②クライアントの人生全体を取り扱う
③クライアントが主題を決める
④クライアントと意図的な協働関係を築く』
(引用終)

近視眼的な視点から見れば、コーチングと成果主義は全く相容れないように見えるかもしれないが、長期的にはコーチングを通した人材育成は成果主義にも貢献するはずである。従来は上司が部下に正解を教え込むティーチングが主体であった人材育成が、近年はコーチングにその軸足を移しつつあるという点ではご賛同いただけると思う。
しかし、企業の人材育成においてコーチングを採用する場合において、注意を要するのが「①クライアントはもともと完全な存在であり、自ら答えを見つける力を持っている」という一番目の前提条件である。企業においては、将来のリーダーを育成していかねばならない。そのためには、ある方向感覚をもって人格を一定期間の間に高めていかねばならない。その際に大いに参考となると私が考えるのが、スピリチュアルな世界なのである。
その片鱗は既に見られている。例えば、先日姉歯氏の分析で紹介したエニアグラムなるものも、スーフィズムやカバラなどのスピリチュアルな領域に源流を持つものでありながら、既に多くの企業の人材育成に採用されている。ただ、現状ではエニアグラムを9つの性格の類型論としてしかとらえておらず、肝心の9つのレベルという点にまでは踏み込んで考えられていないようだ。つまり、エニアグラムにおいては人格の成長にもレベルがあると考えられており、9つの性格タイプそれぞれのやり方で、人格を成長させていくことこそが重要なのだが、そこまで踏み込んだ人材育成を考えている企業の実例を私は聞いたことがない。
リーダーシップの育成においては、IQ(Intelligence Quotient、知能指数)を文字ってEQ(Emotional Quotient、感情指数)なる考え方もある。EQとスピリチュアルの関連についていえば、私は後者の方がより広いと考えている。例えば、リーダーに求められる高い誠実性だが、誠実さは明らかに感情ではない。しかし、各企業のリーダーが誠実性を高めていく必要性は、構造計算書の偽造問題を見ても、あまりにも明白な形で我々は認識できたのではないか?不誠実なリーダーの振る舞いが、ある建設業界の企業を倒産においやった。だとすれば、誠実さ、そして更に広い意味でのリーダーの精神性を高めていくことが、各企業において不可欠なのではないであろうか?30代、40代を超えたいい年したオジサンに向かって「誠実な行いをしなさい」といって、通じるハズなどない。その気付きを与えるのに有効なフレームワークがスピリチュアルなのだと私は考えている。
もちろん、企業である以上合理的な意思決定をしなければならないのだから、江原啓之氏のような方を顧問にすえてすむ問題ではない。ダニエル・ゴールマンが感情の問題を大脳の構造と結びつけて「科学」として昇華したように、誰かがスピリチュアルを「科学」として昇華せねば、企業に受け容れられることは難しいであろう。誰がいつそれをやるのか?無論分かるはずなどないが、10年後くらいに、人材育成において新たな潮流が見られているのではないかという気がする。

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2005年12月06日

また東証ネタ、今度は黄金株

私が東証をこのブログで取り上げるのは、一体何度目のことであろうか?もちろん、私が証券会社出身であり、自らの関心に近いネタであるという原因もあるが、それにしても近年の経済環境の急速な変化は、東証の果たすべき社会的役割を、とてつもなく重要なものにしてしまっている。システム問題しかり、そして本日の買収防衛策もしかり。
黄金株については、馴染みの薄い方のために、本日の日経金融新聞の定義を下記に引用しておこう。

(引用始)
『特定の株主に合併決議などの拒否権を与える株式。友好的な株主に割り当てておけば、敵対的企業買収者の提案を否決してもらえる。2006年施行の会社法では黄金株に譲渡制限がつけられるようになり、より防衛効果が高まる。導入には株主総会の特別決議が必要。』
(引用終)

上記を読めば一目瞭然であるが、黄金株は、敵対的買収から身を守りたい動機をもつ現経営陣の保身のために有利に働く。その裏で犠牲にされるのは、株主の利益であるから、今回の東証の英断は個人投資家よりの私としては、高く評価したい。もちろん財界とて、この基本方針に面と向かっては反対できないため、争点は「例外的な」適用をどこまで認めさせるかに絞られているが、東証にとっては直接的なお客様である財界からの反発が容易に予測される中で、このような断固たる方針を打ち出せたことは素晴らしい。
と、黄金株の件については、投資家保護を貫いた東証の姿勢を高く評価するが、一方で東証自らの上場問題についてはどうであろうか?東証が上場すれば、当然のことながら、自らも一上場企業として、利益の拡大に努めねばならない。ここで、東証が自主規制機能を内部に有したまま上場すれば、東証が自らの収益拡大のために、自主規制機能を甘くして、その結果、投資家保護が実現できなくなる恐れがある。この問題に対する東証の回答は、こちらの記事にもあるような、委員会等設置会社という、自主規制機能の分離独立との比較において、中途半端なものであった。
私が気にするのは、東証の一連の意思決定に欠如している一貫した理念である。黄金株の一律禁止を打ち出すほど腹が据わっているのであれば、自らの上場問題においても、投資家保護を貫いて欲しかった。これらの問題を総合して考えると、東証の意思決定のよりどころの優先順位は「①自らの組織としての保身>②投資家保護>③財界への配慮」といったところであろうか?
東証にもこちらのような企業理念は存在するようだ。しかし、この理念は組織内に浸透されているのであろうか?特に東証の経営陣は、この理念に立ち返って意思決定を行っているのであろうか?その社会的な役割の大きさを、今一度認識していただければ幸いである。

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2005年12月05日

ネットビジネスも二極分化

本題に入る前にですが、昨日の教育テレビのN響アワーをご覧になった方はいらっしゃるでしょうか?小沢征爾指揮のもと、N響とマーカス・ロバーツトリオのコラボレーションが実現していたというのは、私にとって全く初耳でした。もはや、音楽の世界では盲目のハンディを口にすることはナンセンスなのかもしれませんが、全盲のマーカス・ロバーツがジャズのみならず、クラシックにも造詣が深く、かつ両者ともに弾きこなすというのは私にとってあまりにも大きな驚きでした。ちなみにマーカス・ロバーツは先日のエントリーで、私のモルト・ウィスキーのつまみとして紹介した、Wynton MarsalisのLive At Blues Alleyでも、正統派ジャズの真骨頂を聴かせてくれますので、ご興味のある方は是非聴いてみて下さい。
さて、本題ですが、本日の日経新聞には、実に対照的な2つのネットビジネスが紹介されていました。まず、11ページの企業欄に紹介されていたのが、ネットマイル。同社の事業を簡潔に説明すると、『ネットマイルは加盟サイトに対し、1ポイントあたり1円でポイントを販売。1ポイント=0.5円でポイントを景品に交換し、その差額で収益を得る。(本日の日経新聞より引用)』というもので、企業側にとってはポイント制度の運営から開放されるメリットがあり、ユーザー側から見れば、ネットマイル加盟サイトが増えるほどポイントが溜まりやすいというメリットがあり、加盟企業、ユーザー、ネットマイル三者のWin-Winを狙ったユニークなビジネスモデルと言えます。
また、17ページに掲載されていたのは、ソネット・エムスリーによるネット上のコンシエルジュビジネス。ユーザーである医師に対し、個々の興味に応じた情報を選別して提供しようというビジネスです。
両方とも拡大しつつあるネット上の情報に着目した点では同じですが、ネットマイルはポイント収集というどちらかといえば、三浦展氏の言う『下流社会』の行動に着目したのに対し、ソネット・エムスリーは医師という高所得層をターゲットとしている点が私には興味深かったです。マス・アフルーエント層に対するマーケティングに関しては、先日のエントリーでもご紹介したように、その方向性は見えつつありますが、低所得層にフォーカスしたマーケティングとなると、明確な方向性は未だ形成されていないように思われます。ネットマイルのビジネスが一つの参考になるのではないかという気がしました。

Posted by Ken Kodama at 11:41 | Comments (3)