本日の日経新聞朝刊でとりあげられた、ソフト技術者専門大学院の構想。(詳しくはこちらを)もし私がDaniel PinkのA Whole New Mindを読んでいなかったら、この報道を感慨深げに読むか、素通りするかのいずれかであっただろう。しかし、同著の読後にこの記事を目にした正直な感想は「なんて時代錯誤な!」といったところだろうか。
ここで簡単にDaniel Pinkの著作の内容を紹介しておくと、これからは右脳で勝負の時代に突入すると主張しているのだ。それを後押しする3つの要因として、「Abundance, Asia, Automation」の3つのAを紹介しているのだが、特に本日のエントリーとの関連で重要なのはAsia、とりわけインドである。みなさんもある程度の規模の企業で働いていれば、インド人のIT技術者のお世話になった経験は一度はあるのではないだろうか?インドの給与水準は欧米諸国に比べればまだまだ低いものの、ソフトウェアの技術力においてはかなりの水準を有しつつあり、特にアメリカのIT技術者の雇用を脅かす存在へと成長しつつある。ソフトウェア製作に関わる多くの技能は左脳の産物であり、論理的思考が重要なウェイトを示している。会計も同様であり、また法律関連の業務も同様であり、特に英語圏においては、IT、会計、法律関連の業務はインドにアウトソースすることが一種の流行となっている。この3つって、今日の日経報道も含めて、最近日本で大学院を作った分野じゃない???Daniel Pinkが右脳型ビジネスへの転換を説く時代に、日本ではようやく左脳型ビジネスの基盤となる大学院が出来上がったのである。で、私が「なんと時代錯誤な・・・」と嘆く訳である。
まあ、これは極端な感想であることは私は重々承知しているわけで、会計大学院、法科大学院、そして今回のソフトウェア専門大学院の果たすべき大きな役割が存在するというのも事実である。右脳時代に突入するからといって、左脳の論理思考が疎かにされるようなことがあってはならない。両者の思考が密接に連携されてこそ、21世紀型のビジネスが築けるというものである。例えばソフトウェアでいえば、魅力的な企画を打ち出す機能については右脳に依存する部分が大きい。あるいは、メンバーを効果的に動機付けるというのも、プロジェクト管理者の役目の一つであるはずで、PMBOKに記載されているのか否かは知らないが、こうした右脳型のスキルもプロジェクト管理には必須なのである。したがって、「日本語」という言語の壁に安心するのではなく、ソフトウェア開発におけるこうした右脳型スキルをカリキュラムに取り込むことも、日本のIT産業の国際的競争力を高めていくためには必須であろう。
このブログを長きに渡って読んでいただいている人は、私が「緻密に論理を構築する」タイプの人間ではなく、時折ロジックをすっ飛ばしてぶっ飛んだ主張をする「右脳型」人間であることは感づいていらっしゃるであろう。私自身はこうした右脳時代が来ることは当然ウェルカムなのだが、企業研修等を担当させていただいている経緯から、最近の私の関心は「いかに右脳を鍛えるか」にある。で、出会った本が「脳の右側で描け」なのである。この著作はDaniel Pinkの著作で引用されていたため知ったのだが、現在書店でベストセラーのブザン兄弟のマインドマップの著作も、引用こそしていなかったものの、立脚している部分が見られる。で、できればGW中に一通り自分でも体験してみたいなーと思っているのだが、時間がとれるかどうか。ちなみに、この『脳の右側で描け』に紹介されているメソッドは、どうやら私は中学生の時に包括的ではないものの、体験していたようなのである。その実体験のお話しも面白いと思われると思うので、そのうちご紹介しようと思っています。
中小企業に対する金利スワップの押し付け販売が原因で、三井住友銀行は『一部業務を半年停止』という事態にまで追い込まれてしまった。
(4月28日の日経新聞朝刊より引用始)
『営業現場では、担当者が上司とともに顧客を訪問し、「金利スワップの購入が融資の条件」と強くにじませた例もある。』
(引用終)
こうした記述を読むと、独占禁止法違反で業務停止に追い込まれるのはやむをえない気がする。
金融に疎い方のために若干解説しておくと、変動金利のローンに金利スワップを組み合わせて、固定金利のローンに変換するアイデア自体は全く問題はない。というより、中小企業の金利リスクを減じるという観点から、素晴らしい提案である。しかし、それは変動金利のローンを貸し付けた銀行と、金利スワップを提案した銀行が別であった場合に限って、「素晴らしい!」という賛辞がもたらされるのである。
変動金利建てのローンと金利スワップを抱き合わせで販売する・・・変動金利建てのローン自体も中小企業向けの高めの(信用)リスクプレミアムが上乗せされていると考えられるし、金利スワップ自体も中小企業向けに対しては、高めの手数料が課されているはずである。(この辺りは厳密な数値での実証をする暇がないので、推察に基づく議論であることをご承知を)ということは、この「デリバティブ商法」に屈した中小企業は、ダブルに暴利をむさぼられているということになる。本当に融資先のことを考えるのであれば、固定金利建てのローンで貸し付けを1本実行すれば済む話ではないか!奥頭取は「顧客第一という経営理念を再確認する(引用)」とコメントしているが、頭取の認識通り、三井住友銀行に欠けていたのは、顧客重視の姿勢である。
こうした社風が三井住友銀行内に形成されてしまった背景をたどると、やはり大企業向けのビジネスに旨味がなくなってきたからに他ならない。デリバティブの教科書の冒頭に必ず登場する、歴史的なIBMと世銀の通貨スワップでは、間に仲介した金融機関(ソロモンだっけ?)は、べらぼうなベーシスを懐に収めたそうであるが、現代では大企業向けの金利スワップは「コモディティ」に成り下がり、十分な手数料を確保することができない。そんな中で、交渉能力や知識を十分に持たない中小企業が「収益源」として標的にされたのである。
読者のみなさんが中小企業経営者でなかったとしても、この話は他人事ではない。個人も同様な理由から、金融機関の標的にされているのである。例えば、変なタイトルで恐縮だが、過去に書いた下記のエントリーでは、「銀行が満期を決めるタイプの定期預金」についてご紹介した。
一般的な定期預金に比べれば、随分と表面的な利率が高いことで人気を博している同タイプの預金だが、こうした預金を支えているのがやはり「デリバティブ」なのである。この場合はスワップではなく、オプションが使われている。
このタイプの定期預金を購入すると、必然的に銀行に対してオプションを売ることとなる。そのオプションを売ったプレミアム分だけ定期預金の表面金利が高くなるのだが、得られたプレミアム分だけ丸々金利が高くならず、かなりの手数料が抜かれているはずである。(これも実証していないため、推察に基づいた議論であることをご承知下さい)そりゃ~、プレーンな定期預金に比べたら金利が高くなるのは当たり前だけど、オプションを売って背負うことになるリスクに比べたら、その金利はまだまだ足りないのである。
しかし、こうしたタイプの預金は法律を犯しているわけでは決してない。が、これは私の主観的な意見だが、顧客重視の姿勢があるとは少しも思えない。個人客のマネーリテラシーの薄さと心理的な錯覚につけこんだビジネスであり、「良心的」という言葉からは程遠いといえよう。ただ、それだけのことであり法的に問題はなく、あとは個人がそうした商品から身を守るためにいかに賢くなるかが重要となるのだ。
本日の日経新聞朝刊はマックのセット商品の値上げを報じていた。昨年4月に原田CEOは100円メニューと500円セットの「分かりやすい」価格体系を打ち出したが、予想外の客数増とそれを打ち消す客単価減少により、3ヶ月弱で軌道修正を迫られることとなったのは、昨年にもお伝えしたとおり。
「百円メニューは集客効果が高いため5月以降も継続する(本日の日経新聞より引用)。」とあるものの、私自身マックヘビーユーザーなのだが、マックの店舗にあるメニューは「どうか百円メニューを注文しませんように!!」と祈念するかのごとく、メニューの隅っこに小さく書かれている。500円セットは早くも崩壊してしまったのだから、100円メニューを温存させるということは、原田CEOの面子を保つ以外に大きな意味をもっていないはず。価格戦略に限定していえば、マックジャパンの今回の一連の動きは「失敗例」としてケーススタディで語り継がれることになるのかもしれない。
そんな中で、マックに光が見出せるのは以下の記述だろう。
(引用始)
『一方、24時間化は全店の約5%に相当する約200点で5月下旬から今夏にかけて、順次実施する。』
『店舗運営効率が改善、昨年から進める早朝など営業時間拡大でコスト増を上回る効果が出ているため、一気に広げる。』
(引用終)
別に私は「24時間運営がマックを立て直す」と言いたいのではない。こうしたマーケティング上の施策を実施店舗を選別しながら、慎重に実施・拡大していくだけの規模を備えていることこそがマックの強みだと思う。小売業界の経験がない原田CEOが大胆な価格戦略を実施したこと自体が、思い上がりの産物であるといってもそれほど過言ではあるまい。原点に立ち返って、豊富な店舗網を活用してマーケティング上の「実験」を繰り返して、その効果を確かめることこそが、マック本来の姿といえるであろう。
2006年4月号の日本語版ハーバード・ビジネス・レビューは『「決断」の科学』と題され、その中に「エビデンス・マネジメント」と題された論文が掲載されている。今回のマックような現場実験を含めて、(直観等に過度に頼りすぎることはなく)エビデンスに基づいたマネジメントを実践することを、エビデンス・マネジメントと呼ぶ(あるいは、少なくとも執筆者はそう呼びたい)らしい。
EBMとはもともと医療の世界の概念であり、例えばこちらのサイトでは以下のように定義している。
(引用始)
『EBMはEvidence-Based Medicineの頭文字を取ったもの,日本語に訳すと,”根拠に基づく医療”です.簡単に言うと,現在利用可能な最も信頼できる情報を踏まえて,目の前の患者さんにとって最善の治療を行う,ということになります.』
(引用終)
「店舗での実験なんて、そんなこと昔から誰だってやってんるジャン!」と言いたければそう言えばよいが、私は医療の世界で発達したEBMの精神をマネジメントが学ぶことは大いに有意義であると思っている。
基本的にはEBMは典型的な「左脳経営」である。だって、データをきっちり分析して経営に活かすのだから。でもこれからは「右脳の時代」だと言う学者もいる。それがDaniel Pinkの"A Whole New Mind"であり、ダイヤモンドで大前研一が勧めていたので、昨日紀伊国屋でペーパーバックを購入してみた。そのうち大前研一氏監訳で日本でも発売されるらしいので、ご興味のある方は是非ご一読を。
本当のところは、これからは自分の脳内の中で左脳と右脳が自在にキャッチボールをできるようにすることこそが重要なのだろう。したがって、21世紀は両者をつなぐ脳梁の時代であるというのが、私の説である。「じゃ、脳梁ってどうやって鍛えられるの?」さあ、どうなんでしょうか。私は知りません(笑)。
ジューン・ポインターさん 52歳(米歌手、グループ「ポインター・シスターズ」メンバー)AP通信によると、11日、がんのため米カリフォルニア州の病院で死去。
上記のニュースは毎日新聞MSNのサイトより引用させていただきました。このニュースに気付き、そしてジューン・ポインターが誰であるかを知り、かつ心を痛めた方がどれほどこのブログを読んでいるかということになると、大いに疑問ではあるのですが、私にとってはポインターシスターズは大切な存在でした。彼女の訃報のアメリカのニュースは下記のサイトより動画を見ることができます。
The Insider: June Pointer Remembered
ポインター・シスターズという70年後半から80年にかけて一世を風靡した、姉妹のコーラスグループの末っ子で、結構リードボーカルとかもとっていた人です。いわゆるハッピーなダンスミュージックで、別に音楽的に高度だとかいったことは一切ないのですが、彼女達の音楽は元気を与えてくれるのです、少なくとも私には。昨年ipodを購入してからダンボール箱2箱分を超える音楽が私のipodには収められているのですが、仕事で疲れたときによく聴いていたのがポインター・シスターズです。
彼女が癌の末期の闘病生活を続ける中にあっても、彼女の歌声は遠く極東のオヤジの心を鼓舞し続けていたわけです。それは、彼女が命を落とした後も同じであって、音楽というものの永続性を改めて認識させられた次第です。
彼女達のヒット曲はたくさんありすぎるくらいなのですが、YouTuBeのサイトでは上記の"I'm So Excited"がアップされています。ポインターシスターズらしいナンバーでジューンの魅力がいかんなく発揮されている曲なので、このブログを機に興味を持たれた方はご覧になってみて下さい。
こんな見出しが本日の日経金融新聞に掲載されており驚いてしまった。見出しに掲載されている企業は私の古巣であるが、もちろん決して悪い企業ではないのだが、「急成長」という見出しはなんともしっくりこない、フランスの保守的な名門金融機関なのである。と、記事を読んでみると疑問は氷解する。
(引用始)
『全額出資子会社のカーディフが販売する住宅ローンの疾病保証特約が地方銀行などで人気を集めているためだ。カーディフの2006年のローン保障保険の収入保険料は前年比54%増の102億円となる見通しだ。』
(引用終)
つまり、「急成長」しているのは住宅ローンのいわゆる「団信」の疾病保障特約つきなのである。これがどんなものかを知りたければ、本日の日経新聞の11ページの広告をご覧いただければイメージがつかめると思う。中央三井信託の住宅ローンの広告だが、『「ガン」と診断された時点でローン残高が0円になります。(広告より引用)』とデカデカとコピーが掲載されている。そして、引受保険会社はといえば「カーディフ損害保険会社」と控え目に記述されている。
ここで興味深いのは、まずその商品性である。ガン保険なんて昔からある。団信だって昔からある。簡単に言えば、それら二つが「バンドリング」されただけのことである。つまりガン保険が住宅ローンとひもつきになったと考えれば遠くはない。住宅ローンとひもつきになった保険というのは、保障額が段階的に少なくなる逓減保険であるというのが重要なポイントである。フツーの生命保険会社が力を入れて販売するのは、保障額が5,000万円なら5,000万円でずっと変わることのないタイプの保険であり、こういった商品は当然のことながら、オーバー・インシュアランスといった不経済を引き起こす。しかし住宅ローンとひも付きとなることにより、保険料に無駄のない逓減保険へと生まれ変わることが可能となる。
しかも、より重要なのはそれが被保険者にとって分かりやすいということ。「逓増保険」「逓減保険」とかいわれたってよく分かんないけど、「ローン残高がゼロになります」というのは誇大広告でもなんでもない正当な広告である。つまり住宅ローンとひも付きになるということは、マーケティング上でも実に有効なことなのである。
またこうした住宅ローンとひも付きの商品が拡大することは、貸付金融機関のクレジット・リスクを抑える上で大いに有効に機能する。こうした保険商品が拡大することで、貸出金融機関はクレジット・リスクを抑えながら、新たなパイを獲得することが可能となる。
カーディフはこうした商品を自ら個人と接触する販売網をもたずとも、金融機関と提携するという、ただそれだけで急成長を遂げてしまった。つまり、ここで実に興味深いのは、ビジネスモデルが成功を収めたという点である。BNPパリバに限らずとも投資銀行部門というのは、「人」が全ての世界である。もし利益が急上昇するようなことがあれば、その裏にはどこかに「尊大さ」も急上昇してしまって扱いにくくなった「稼ぎ手」が存在していたということを意味していた。カーディフの営業マンだって投資銀行の営業マンと同様に法人を相手にしているものの、その裏にひしめく個人顧客の恩恵を直接的に与れるようなビジネスモデルを組むことで、扱いにくい「天狗」という副産物を産みだすことなく急成長を遂げることが可能となったのである。(ま、本当にいないかどうかは関知せざるところではあるが)まあ、こんなオイシイビジネスはないわけで、日経金融新聞でも締めくくっている通り、『他の生損保も追随する可能性があり、今後引き受け競争が激化しそうだ。(引用)』ということなのだろう。
それにしても、「カネをもらわないで書く」ということの自由さといったら、たまらない!!今まで3ヶ月弱、全く自由にならないレポートを書いていてフラストレーションがたまっていたが、久々に本当に自己表現ができた気がして、大満足です(笑)
まだ忙しさの山場は越えていないものの、4月に入って少しずつ時間ができるはず。で、今日はリハビリ的なエントリーで。
私が子供の頃から不思議に思っていた疑問の一つが、「なぜクラシックはクラシックなのか?」ということ。言い換えれば、シンフォニーというのは21世紀の現代においても、定番として聞き継がれるのはベートーベンやマーラーだったりする。でも20世紀にそれを凌ぐほどの名曲シンフォニーが誕生してもよかったはずなのに、1曲として生まれることはなかった。なぜ、シンフォニーやあるいはピアノソナタでもバイオリン協奏曲でもよいのだが、これらの音楽は早い段階で進歩を止めてしまったのか、ということ。
これに対して私が抱いていた仮説というのは、「音楽というのは12音階の並べ替えによって生まれるにすぎないのだから、もうシンフォニーやソナタという形式内においては、パターンが網羅しつくされてしまったのだ」といったもの。しかし、この仮説には釈然としない部分が大きかった。なぜなら、私の学生時代はナツカシの「イカテン(若くて知らない方はゴメンナサイ)」全盛期であり、私自身もバンドで作曲活動とかをしていたから。確かにベートーベンのクロイツェルソナタを上回る名曲なんて書けるわけはないが、「春」を超えるくらいのレベルのなら書けるんでない?みたいな・・・ま、これは若気の至りに過ぎんのですが・・・
そして、最近のアメリカにおける「ポピュラーミュージックの死」の状況。ラップの砂嵐により、あの80'sでの豊穣なポピュラーミュージック文化は一挙に荒廃してしまった。「サンプリング・ミュージック」を殊更崇め奉っている人々もいるようだが、私は、サンプリング・カルチャーは創造性の貧困による産物に過ぎないと決めつけている。アメリカン80'sは、正しく音楽界のバージェス頁岩である。グールドが『ワンダフルライフ』で紹介したような、奇妙奇天烈なオパビニアのような個性的な楽曲が、80年代には様々誕生した。例えばトーマス・ドルビーの"She Blinded Me With Science"なんて、正しくオパビニアって感じ(笑)。でも、そうした目まぐるしいまでの進化の末に残されたのは、ラップ砂漠とトランスとサンプリングの不毛の砂漠・・・
これもやっぱり「12音階のパターンが一通り終わってしまった」のかと思っていたのだが、最近電車に乗ってぼーっとしているときに、はたと気がついた。「これは12音階のパターンが埋め尽くされたからではない。時代が変わったから音楽も変わったのだ。」ということに。
ビジネス本は盛んに現在は「インフォメーション・エイジ」であると喧伝している。で、インフォメーション・エイジが実現したのが、マスマーケティングの終焉である。マスマーケティングが古臭い手法となってしまった21世紀において、ビルボードNO.1を目指すような誰にでも好かれる楽曲を作ろうとすることは、いわば逆説的でもある。インフォメーションエージがもたらしたワン・トゥ・ワン・マーケティングがアメリカのポピュラーミュージックに引導を渡したと考えるのは、それほど的を外していない仮説だと思う。
日本のポピュラーミュージックシーンを見ると、まだポピュラーミュージックシーンは死んでいない。というか、まだバージェス頁岩の真っ只中といった感じがする。デフ・テック、ケツメイシ、MIMMI、元ちとせ・・・なんたるオリジナリティー。なんたる多様性。そして、なんたる心地よさ。
では、なぜ日本ではまだポピュラーミュージックに対して死が宣告されていないかといえば、マスカルチャーが完全には死に絶えていないからだろう。確かに紅白の視聴率は50%を割った。でも、午後9時代のOLの脳みそを溶かすドラマの類はいずれも20%近くの視聴率を維持している。そして、翌日のOLの昼休みの会話はドラマの感想からスタートする。現に、売れている歌はドラマとのタイアップがほとんどである。
ワン・トゥ・ワン・マーケティング時代の音楽はやはりワン・トゥ・ワンが主流になるであろう。エリカ・バドゥやノラ・ジョーンズ。特にノラは確かに私も好きだが、何百万枚も売れるはずの音楽ではない。売れたのは時代の変化を予兆したからである。これらに共通するのは土臭さ、人間臭さ。単にピコピコ打ち込み音楽に対する反動かと思っていたが、根はもっと深いところにある気がする。エリカもノラもライブできいてこそ、真髄が分かる音楽である。ライブで聴かれることを主眼においた音楽がこれからは主流に立ち、そして実際にCD販売からライブへと音楽業界の収入の源泉もシフトしていくことだろう。
・・・てなことを、突然閃いたので書いてみました。最近「書きづめ」の毎日ですが、こういう「書く」は別腹ですね(笑)。気分がスッとしました。