2007年07月23日

エンパワーメントの語られぬ部分 ~赦し~

これからの約2ヶ月は暑さと忙しさで私の心はますます荒廃し(笑)、ブログ更新は今以上に滞ることが予想されます。でも、今日(7月23日月曜日)の日経新聞の19ページのディー・エヌ・エー社長の南場智子氏のインタビューが興味深かったので、それをネタに一説。
ここで南場社長は、自らの貴重な体験談を披露し、エンパワーメント・権限委譲の難しさを語っている。インタビューの内容をごくかいつまんで要約すれば、「一度任せてしまったCMを、自分のイメージと異なっていたため、駄目だしをした」といったところ。幸いにも、このCMがきっかけに会員がうなぎ登りに増えたというハッピーエンドがつくのだが、では結果も伴わなかった場合はどうすればよいのだろうか?もう、その担当者には重要な仕事を任せるのを控えるべきなのか、一層のこと解雇してしまうべきなのか?
エンパワーメントというのも、多くの企業において重要とみなされるコンピテンシーの一つではある。部下育成というテーマにおいては、書店では「コーチング」ばかりが隆盛を極め、そもそも「エンパワーメント・権限委譲」をテーマにした書籍は多くはない。例えば金井教授お勧めの下記の著作。

まあ、リーダーシップ論の中の一つの部分として「エンパワーメント」を取り上げており、そもそも記述量もそれほど多くはないのだが、書いてあることは、どのようにして渡す仕事を選ぶべきだとか、エンパワーメント『前』の部分に記述は傾斜しがちである。
私が思うに、エンパワーメントにおいて、もっと語られるべきは、M&Aと同様に、「Pre」ではなく「Post」の部分であると思う。エンパワーメントが成功裏に終われば、それは「シャンシャン」で結構である。(まあ、成功時の場合も考えることは多くありそうだが、ここでは触れない。)最重要事項は、権限委譲が失敗してしまった場合に、いかにその部下との関係を修復するか、いいかえれば、その部下を心の底から赦せるか、ということであろう。赦しなきエンパワーメントは、上司の中に強烈な失敗体験を植え付け、反動的な「管理者」として逆行してしまうことであろう。強烈な体験があるがゆえに、これを戻すことは厄介である。
立ち読みをしていたときに目に留まった一説なので、出典はまったく思い出せないが、確かトヨタのレベルの高い階層に求められる資質の一つに「寛容」という要素があったと記憶している。「寛容」という言葉が出てくる自体、「Post-エンパワーメント」に目が向いている証拠だと考えることができる。
実は「赦し」というのは、私の最も苦手とする行為でもある、公私ともどもにおいて(笑)。そんなこともあって、例えばこんな著書をアマゾンで取り寄せてみたりもした。

まあ、忙しくて「ツン読」になっているわけだが、経営学の隣接分野から「赦し」をテーマにした本が出版されてもよい気がする。
ちなみに、スピノザが人間の自由意志を否定するのは、それにより他者を「赦す」ことが可能となるから、といった類のことを、哲学の入門書の類で読んだ記憶がある。これだけ書くと、ものすごく浅薄な思想に聞こえてしまうが、そんなことはないはず。やっぱ『エチカ』もいつか読まなあかんのかなー。かなり読みずらそうだけど。
ディー・エヌ・エーの南場社長が、もしそのCMが鳴かず飛ばずに終わってしまったならば、どのような教訓を引き出していたのだろうか?興味深い。

Posted by Ken Kodama at 10:17 | Comments (0)

2007年07月11日

いくつか思ったこと【JR銀行、構造主義としてのポーター、年金徳政令】

1エントリーにある程度のボリュームを書こうと思ったり、「おち」らしきものまでつけようとすると、筆が一気に鈍くなる。ま、更新が滞っていたのは忙しかったのもあるのですが。で、思ったのは、これからは思いついたことを短文でいいから書きとめようと。「おち」を書こうと頭を痛めることはもうしない!どうせ大したおちでもなかったし(笑)

【JR銀行構想】
SUICAのことを考えて駅の改札口を眺めていて、はたと思った。「こいつら、もしや銀行始めようと考えてないか?」SUICAの限度額を大きくして、利息をつけて、時には引き出せるようにして、記録をつける冊子をつくれば、もうこれは預金口座と大差がない。色々法的な制約は多々あるのかもしれない。でも、SUICAが普及すればあの夥しい数の券売機の多くは余ることとなる。最近自らの駅ナカビジネス等で自らの持つ「不動産」の収益力に気づいたJRのことである。券売機もただで余らせておくはずはない。あまりクリエイティビティはないが、余った券売機を銀行のATMに変えることは非常に容易い。確か、東急も駅ナカにどっかの銀行のATMを設置しはじめたというニュースを最近読んだ記憶がある。
もっと本業で顧客満足を考えてくれ、といいたいところだが、最近のJRの企画力には目をみはるものがある。詳しい分析は全然していないが、JR株は上昇の余地が結構あるのかもしれない。

【ポーター = 構造主義】
全く恥ずかしいくらい遅れて、今更読んでいるブルーオーシャン。

で、のっけから興味深い記述があった。つい、一昨日「これからはマネジメントも哲学の時代だ」みたいなことを書いた直後に目に入ったのは、マイケル・ポーターの一連のフレームは構造主義に基づいているとの指摘。確かに言われてみればそのとおりである。で、哲学で「構造主義」と言えば、当然その次の波として来たのは、「De-construction(脱構築)」の流れである。で、ブルー・オーシャンの著者達は自分達は「Re-construction」であるという。まだ、4分の1程度読んだばかりだが、ん~、そこまでいえるかどうか疑問。
ただ、5フォースだの、SWOTだの、3Cだの、そうした決まりきったフレームを壊して、新たなフレームを作るくらいはしていいと思う。新たなストラクチャーを作るだけで構造主義の域を出ていないとは思うが、それだけでも結構斬新な戦略が構築できるように思う。私が書いたステークホルダー・リエンジニアリングなんかも、そんな流れにのる感じがする。

【年金徳政令】
今朝の日経新聞一面の『厚生年金支給へ特例法』の記事を読んで、「徳政令」の三文字が頭に浮かんだ。だって、年金保険料をねこばばした中小企業って、今回の一連の騒動と全然話が違うじゃん!これで「馬鹿をみた」と感じるのは、苦しいながらも真面目に厚生年金保険料を納めていた中小企業であろう。私の(有)エイムハイ・コンサルティングも真面目に収めていたりする。で、従業員一人で、会社負担と自己負担とあわせて収めなくちゃいけないから、たいした給料じゃないですけれども、保険料が口座から引き落とされる日は、さながら「ゴソッ」という音が聞こえるかと錯覚するほどである。従業員が数十人規模の中小企業であれば、本当に毎月末の苦労が私には手に取るように分かる。でも、今回の徳政令で、少なからぬ善良な中小企業経営者が「ああ、馬鹿を見た」なんて思うかもしれない。
悪徳中小企業のネコババ分を「見舞金」なんて名前で国民の血税を投入してよいのか?これももとをたどれば、社会保険庁の中小企業に対する、中途半場な態度に起因する。こんなことになるのなら、未加入の事業者に対してもう少し、厳しく対するべきだったであろう。

Posted by Ken Kodama at 16:30 | Comments (0)

2007年07月09日

哲学的経営の時代

全く私という人間は、自分がスピリチュアリティに入れ込めば「21世紀はスピリチュアリティの時代だ」といい、哲学書にはまりだせば「これからは哲学の時代だ」というエントリーを大げさに書いたりする・・・と、軽く自虐を交えつつ書き始めながらも、これからはスピリチュアリティも哲学も両者ともにマネジメントに大きな影響を及ぼすと真剣に考えている。

【思考面への影響】
このうち思考面に関しては、既にその萌芽が見られている。今年4月の日本語版HBRのテーマは「弁証法」だったではないか。

私が担当するような、というか世間一般に普及している企業研修で行う「ロジカルシンキング」のメインテーマは2つある。①MECEという、いわば集合論と、②帰納法、演繹法を積み重ねる論理学だ。しかし、哲学の分野から思考面で応用できるものは、これだけに留まるはずもない。上記の弁証法的思考もそうだし、あと野中先生の「暗黙知」の概念も、もとは哲学者ポランニーの提唱したものである。

何事も根底から覆そうとすれば、全て哲学的な課題にぶちあたる。我々が全てゼロから考えるのもよいが、先人のたどった道を活用しない手もない。
なお、余談だが、下記の著作を読んでいて面白い一節を見つけた。

(引用始)
「これは本当の話かどうかわからないけどね。トヨタがレクサスを開発するときに、300人のエンジニアを集めて『メルセデスがクールな理由をすべて分析しろ』と言ったそうなんだ。それで彼らはメルセデス・ベンツを研究し、言語化できない特徴を徹底的に洗い出した。たとえばドアを閉めるときの音とかね。でもその結果、そのドアの音を再現するには、ドアの枠全体が車のシャーシに『同時に』触れなければならないとわかったらしい。もしどこかの箇所が先にシャーシに当たったら、あの音は出ないんだそうだ。」
(引用終)

私も不勉強で上記の話が本当かどうか知らないし、本当であるとするなら既に「有名な」逸話なのかどうかも分からない。本当であると仮定するなら、既に「暗黙知」という哲学者ポランニーが唱えた概念は企業経営に根深く入り込んでいると言えるだろう。

【倫理面への影響】
リーダーシップにとってインテグリティ、モラルといった要素が重要であることは多くのマネジメント系の著作で指摘されている。しかし、これらの著作がその学問的基盤として主に依拠するには「心理学」である。たとえば、「モラルリーダーシップ」みたいな著作は、一章を「Emotion(感情)」にあてたりしている。思えば、前世紀においてはマネジメントは心理学の遺産をかなり引き継いで発展を遂げた。これから一歩先を行く深みのあるリーダーシップを発揮したいのであれば、哲学の遺産に学ぶことが有効であるような気がする。
例えば、自律性の重要性を説くカントの道徳形而上学。その一方で、自由意志を否定するスピノザのエチカ。こうした哲学的アンチノミーに悩み自分なりの答えを出すことが、深みのあるリーダーシップを発揮する上でも重要なのではないかと思う。というか、そう信じたい。私が今まさに悩んでいるところだから(笑)。

Posted by Ken Kodama at 11:37 | Comments (0)