久々に新聞記事をネタにしたエントリー。本日の日経新聞朝刊11ページの記事によれば、コンビニ大手の業績が明暗を分けたとのことで、規模ではセブンイレブンが依然として圧倒的に他を引き離すものの、増減益で見るとファミマ、ローソンが営業最高益で、セブンイレブンが営業益3%減とのこと。この原因に関しては以下の記述があり、部分的に引用したい。
(引用始)
『「顧客からみて品揃えに不満があったのだと思う。』
(セブン&アイ・ホールディングスの村田社長談)
(引用終)
(引用始)
『対照的にファミリーマートは生鮮食品を拡充した売り場展開や利益率の高いファストフードで新商品を投入するなど客層拡大策が奏功し、既存店がプラスに回復。』
(引用終)
実は、この辺り「いつまでも庶民派」を貫く私としては(というか、庶民派から抜け出るほど稼いでいないとう事情もあるがw)、数ヶ月前から肌で実感しており、このブログにアップしようかと考えていたほどである。書いときゃ、今頃「ほら見たことか」みたいなスタンスでエントリーを書けたのに、ちょっと悔しい(笑)。
まあ、いいとして、私が肌で感じていたのは例えばこんなこと。私は、研修の本番前に自らを奮い立たせるために、「あれ」をやる。「あれ」とはカフェインが濃縮されている「眠眠打破」のことなのだが、セブンイレブンではこれより100円程高い「強強打破」しか置いていないが、ファミマでは両者が置いてあり、チョイスできる。数字だけ考えて棚割りしているような印象を受け、セブンイレブンにはあまりいい感情を抱けなくなっていた。
それだけに留まらず、新聞記事の引用にあるファミマの「利益率の高いファストフード」だが、これは文句なしに美味い。最初はランチのおかずとして、コロッケやチキンを買っていただけだったが、最近は病みつきになり、スパイシーチキンをおやつ代わりに食ったりすることが多い。(・・・だから体系に変化が現われてきたのだがw)一方で、セブンイレブン。確かに、同様の棚がレジ台の近くに置いてあるが、フランクフルトやらホットドッグの類にもので、まあ嗜好の問題もあるが、こちらは一度たりとも買って食べたいという欲求が生じたことがない。
あと、ファミマの方が「あれ!」と思うような、商品が置いてあることがぽつぽつとある。例えば紙パックジュース。ファミマには「マンゴー&アップル」という独特の味でヘルシー志向のパックジュースが置いてあるが、セブンイレブンはドールの定番の、しかも売れ筋しか置いていない。だからグァバ味のドールのジュースなど、滅多にお目にかかれない。
この辺りの私の体験から、非常にチープな結論を帰納的に導くと、ファミマの方が顧客の繊細なニーズに反応して、商品を多様化させているということが言えよう。では、そうなってしまった要因を推察してみると、恐らくセブンイレブンの企業文化的なものに、端緒があるのではないかという気がする。思えば、セブンイレブンは常に「プロダクト・アウト」の姿勢でビジネスに臨んでいた。正しく「コンビニ」というコンセプトを体現すべく、我々があっと驚くようなサービスを先陣をきって導入して、いかにコンビニが便利な存在かを我々に教えてきてくれたのであった。おでんが登場したときのあの衝撃を、皆様は覚えてらっしゃるであろうか?ATMを置いたり、コピー機を設置したり、あまり「コンビニ史」を詳細に覚えておらず、全てがセブンイレブンが切り開いた訳ではないかもしれないが、主導的な役割を果たしてきたことは否定できまい。
商品の品揃えに置いても、売れ筋・死に筋の徹底的な把握は有名だが、その影で定性的なデータ、つまり顧客の声の収集はあまり行ってこなかったのではないか、というのが私の立てた仮説である。
もう「コンビニ」というコンセプトは固まった感があり、今後は微細な品揃えの差別化に焦点が移されると思う。そうした時代転換に、セブンイレブンがついていけるのか否かが、今後もコンビニ界の王者であり続けられるか否かの分け目になると思う。
先日、私が通うジムにて、なんと数年前に某資格受験予備校で私の講義を聴講いただいた方から声をかけていただきました。時折、このブログを見ていただいているとのこと、ありがたい限りです。思えば、研修関連の仕事を通して接した方は、正確にはカウントしていないものの、500人は軽く突破しているはずであり、いつ1,000人の大台にのるか、という辺りの人数の方と接したきたはず。で、気になるのは、こちらは気がつかないのに、再会していることが多々あるのではないか、ということ。私は普段はコンタクトも眼鏡も使用せず、かつそういうときはテリーさんほどの強度ではないものの、若干の「斜視」気味になってしまうため、極力他人と目を合わせないようにしているのです。加えて記憶力も極めて怪しく、従って、受講生の方と再会しても認識できるはずがない!!なので、もし街で遭遇したならば、そちらからお声をかけていただけると幸いです。
で、本題に入り、本日ご紹介するのは、一応『リーダーシップ』の枠内に収まった下記の本。
【リーダーシップの源泉は羅針盤にあり】
リーダーシップの源泉は自己の明確な羅針盤にあり、それに忠実に従うことである、というのがトータルのメッセージであり、言い換えれば自律性こそがリーダーシップ発揮において大切であるという一つのリーダーシップ「流派」であるといえる。シニカルに評せば、「静かなるリーダーシップがあって、サーバント・リーダーシップがあって、次はこれですか?」みたいなことが言えなくもないが、この本で私が大いに共感するのは、自らの機軸、羅針盤の見つけ方である。
【ライフストーリーが羅針盤を形成する】
自らの過去を振り返り、そこに物語を見出すことで、将来の困難を乗り切る深いモチベーションの源泉足り得る羅針盤を形作る、というのが、恐らくこの本の「ミソ」であり、私はこの部分に大いに共感する。なぜなら、私自身、自らのライフストーリーが研修講師として質の高い講義を提供し続ける上で、欠かせないものとなっているから。
この考え方は金井教授のキャリアの定義にある「回顧的意味づけ」という考え方と呼応する。したがって「リーダーシップ論」と「キャリア論」が正しく関連しあうのである。異なるのは、確か金井教授は「キャリア論」の範囲を学生生活を終えた後の職業生活に限定していたはずであるが、この著作は幼少期の体験がビジネスと密接に結びついている具体例を紹介する。たとえば、メルクの会長は、幼少期の闘病体験が医薬品業界のCEOとしてリーダーシップを発揮する上で、非常に大きな意味を持っているとしている。また、オプラ・ウィンフリーは現在の活動を展開する上で、幼少期のレイプ体験が意味を持つと語っている。私自身も、色々とあってこのブログ上で自らのライフストーリーを明らかにするには時期尚早と判断するので深くは語れないが(笑)、「職業生活」の外からの影響が「職業生活」のモチベーションの源泉を探る上で、非常に大切であるということは大いに共感する。
【前世の物語との違い】
さて、ライフストーリー、つまり「物語」ときいてぴんとこないだろうか?物語を与えて今後の生きる糧とするというのは、「オーラの泉」のやっていることと実は同じである。今の苦悩の原因を前世の物語として江原に語ってもらうと、芸能人はオヨヨと涙する。いや、この部分の意義は大きく、私も茶化すべきではない。これが物語りの持つパワーなのである。
「前世の物語」と「ライフストーリー」の決定的に異なるポイントは2つあると思う。一つは物語の検証可能性だが、これは、水掛論になるのでこれ以上は追わない。もう一点は、その物語を構築する主体である。かたや、丸々と太った霊媒師であり、ライフストーリーにおいては構築するのはあくまでも「自分」である。この違いは決定的である。というのはライフストーリーは諸々の人生のターニングポイントにおいて、変化しうるから。外から与えられた物語が通用しなくなれば、また、外から新たな物語を与えてもらわねばならない。こんな依存的な生き方ってなんなのか???「この間話したのはあなたの前世だが、今の苦悩は実は3代前の過去生に原因があるのですよ。」みたいなこと言われて、はいはいと大人しくべらぼうな金を払う人々の気がしれない!!!自分の人生なんだから、意味は自分で見つけ出そうぜ~!!
【良い羅針盤と悪い羅針盤を分かつもの】
さて、自己の内なる羅針盤が大切だというのはともかくとして、それが強すぎるがゆえに道を踏みはずす人も、後を絶たないのも事実である。「私が法である。」と豪語する円天の社長然り。そして「法に触れなければ何をしてもよい。お金で買えないものはない。」という強固な羅針盤で世間をお騒がせしたヒルズ在住の小太りなあの方の、羅針盤もその磁力の強さたるや、ただものではなかった。
で、良い羅針盤と悪い羅針盤を分かつものって何なのだろう?私なりに詩的に表現すれば、針の先が自分を向いているか他人を向いているかの差である。すなわち「自我中心性」に蝕まれているか否かの差が、羅針盤の良否に影響を与えるといえる。
しかし、偏差値競争、ブランド信奉という価値観を植えつけられた若き20代の人々に、他人を向いた羅針盤を持てというのも無理があるし、恐らく発達上の課題として、20代は同僚との競争に勝つという苦しい経験をせねばならないのかもしれない。20代をどう指導すべきか、という点について私は明確な答えをもてないでいる。
【人生のターニングポイントが針の向きを変える】
で、この著作は30代から40代あたりに「『私』から『われわれ』へのターニングポイント」が訪れると述べている。どうやって訪れるのか?それは、やはりウィルバーのたどりついた結論と近くターニングポイントが個々人の訪れるプロセスは「ミステリー」に近い。が、この本では様々な経営リーダーの、正しく「壮絶」と形容される生々しいターニングポイントの体験談が収集されている。解雇されたり、愛する人を失ったり、闘病生活を経たり・・・とまあ、誰しもこんな経験はしたくない(笑)と思う経験がてんこ盛りである。いくら優れたリーダーを生み出すためとはいえ、人事部が幹部候補生にこんな試練を与えていることが明るみになったら、それこそ大問題である(笑)。
【それでもターニングポイントは「発生させる」ことができないのか?】
さて、では優れたリーダーとして飛翔するためには、神から試練が与えられるのを待つしかないのか、といえば必ずしもそう言いきれないこともないみたいであり、それは私の研修講師としての体験とも一致する。
ターニングポイントを誘発する一つの試みは「厳しいフィードバックを受ける」というものであり、この著作では、360度フィードバックが紹介されている。私の体験を述べれば、特にD型に力点を置いたHA研修が、「『私』から『われわれ』への転換」をもたらした、ないしは後押ししたと感じられたことが、ごく少ない例であるものの存在した。ただし、本人に事後的なインタビューをしたわけでもなく、確証的な証拠があるわけでもない。
また、このあたりは想像の域を出ないのだが、幹部候補生を早期選抜するためのプログラムを実施している企業がいくつか存在する。様々な試練を与えることにより、将来の社長候補を振り分けていくのだが、当著作などの流れも受けると、振り落とされた側に逸材が存在するとの仮説をもって発掘に臨むことが、大いに有用であると考えられる。
与えられる試練を全てそつなくこなせた人というのは、自己否定を経験していない。自己否定をくぐらないままトップに立つとどうなるかといえば、それは「安倍ちゃん」で我々は痛感しなかっただろうか?また、鈴木大拙が『日本的霊性』の中で美文で述べていたことで、正確な文章を思い出せず残念だが、「自己否定を通してはじめて霊性が生まれる」的なことを語っていた。リーダー促成プログラムの勝者に、スピリチュアルの深みを期待することは間違いであろう。
なお、当著作はウィルバーも仏教の思想も全くリファレンスしておらず、著者が現場でのCEO体験をベースに、ハーバード大学の"Authentic Leadership"プログラムとして結実されたもので、怪しげなもの、胡散臭い思想は一切取り上げられていないので(笑)、是非ご安心してご一読されたい。
が、私個人的には、自己研鑽の一環として読んできた、哲学書・宗教書の思想の片鱗を見出すのであり、私の思想を集約する上でも意義深い読書体験であった。