2008年04月17日

ちと気になったので・・・

昨日晩飯を食べていて、昨日のエントリーで取り上げたEbony & Ivoryはいつ流行ったのだろうと気になり、ビルボード誌のサイトでチェックしてみました。1982年の年間シングルチャート第4位とのことです。

・・・ってことは今から26年前のヒット曲!今、新入社員研修で相手している新入社員の方々って、このヒット曲よりも後に産まれているって、かなりショックです・・・ジェネレーション・ギャップがないはずがない(笑)ということで、気が楽にもなりました(^_^;)

Posted by Ken Kodama at 10:14 | Comments (2)

2008年04月16日

他者の善悪に対する我々の態度

There is good and bad in everyone.

この中学生にも訳出できる平易な英語は、ご存知Paul McCartney & Stevie Wonderの往年の名曲"Ebony & Ivory"の一節である。「誰にでもいいところも悪いところもある」というのは、恐らく万人が納得する真ではなかろうか?しかし、我々の行動は概してこの真に従わず、どちらか一方しか見ようとしないのが人の常である。

①一点でも曇りを見出せば、「その人は悪人」と決め込む

これは我々から遠い人々、つまりマスコミを賑わすような人々に対して我々がとるスタンスである。一点でも法令違反を発見すれば、それまでの善行を「偽善」と断罪し、世間の表舞台から引き摺り下ろす。汚職で政治生命を絶たれた数々の政治家達。日本の産業界を変えようとし拍手喝采を浴びながら、国策操作によってそれまでの全てを否定されてしまったホリエモン。その例を数えだせば枚挙に暇がない。

②「悪」の部分を直視せず、「善」の部分だけを信じる

これは、逆に我々に近い人々に対してとるスタンスである。ここで言う「近い」は物理的な距離に限定されず、心理的な距離も含む。従って、スターに対してファンがとるスタンスも同様である。
鈴木宗男氏のように汚職で一敗地にまみれた政治家が、再び当選し政治の舞台に返り咲くことはよくあることである。そして、新聞やテレビニュースを通じてそのことを知った我々は、「随分と民度の低い地域だ」と嘆く。しかし、その感覚のずれは当該人物との距離感の大小に端を発しているのみであり、不思議なことは何もない。
また、未だにオウム真理教(現アーレフ)に帰依する信者を、我々は理解できない。あるいは「マインドコントロールによって催眠術にかかってしまっている人々」という形でしか理解できない。しかし、彼等は麻原彰晃の善き部分に接してきた時間の方が長い訳である。であるから、「麻原の全てが悪でありまやかしである」という一本調子の説得では、信者を我々の世界に引き戻すことは無理だと私は思う。

③「善」と「悪」を切り離した上で、誰にでも両面があるとするスタンス

①、②に見たように、我々は往々にして、他者の善悪の一方しか認識することができない。そうした認識を助長するのがマスコミの一方的な論調だが、マスコミが形成する世論を一段階高いところから客観視できるようになった「大人」は、ポール・マッカートニーが説くような、シンプルな真理に従って人を見ることが可能となる。
「鈴木宗男氏は、確かに高圧的に人に接するところもあったかもしれないが、外交に注ぐ情熱は並大抵ではなかった。」「ホリエモンは、『欺瞞』に頼ってしまった部分もあったが、日本を変革しようとする意欲は人一倍であったし、実際ビジネス界の認識を大きく変えた。」「麻原彰晃は何人もの人々の命を奪った極悪人だが、信者を惹きつけるに足る何らかの教えを有していたことは否定できない。」
こういった具合に、他者の善悪を切り離して認識をすることは、大人の階段を一歩登るための重要なステップであると思う。

④「善」と「悪」は切り離せない関係にある、とみるスタンス

こうした見方は、我々が芸術家を見るときに一般的な見方だと思う。例えば、マイケル・ジャクソンがあの奇怪な家で少年達に倒錯した性的衝動を発露させていたという報道を耳にしたとき、正直私はそれほど驚かなかったことを記憶している。「あれだけの高い音楽的な才能を持つマイケルなのだから、裏でこれだけ奇怪な行動をとっていたとしても驚かない。むしろ、彼の裏の歪んだ性衝動が、表の才能の源泉となっている、とすら感じられる。」
なぜ、我々が芸術家に対してはこのような見方を許容し、一般のビジネスマンや政治家に対してはこのような見方をしないかといえば、それは前者が「創造性」に関わるからであろう。全く新しいものを創り出すためには、一般人には理解し難い「源泉」に接していることが必要になるのではないか。だから、優れた芸術家は、想像を絶する裏の顔を持つのだ、と。
しかし、マイケルやプリンスとて、エンターテインメント・ビジネス界の住人である。「創造性」が必要とされるのはエンターテインメント・ビジネス界のみではない。分かりやすい例でいえば、アパレルのデザインや、工業製品のデザイン等々。もっと挙げれば、全く新規なビジネスモデルの考案等も、高度な創造性を必要とする。で、あればビジネスマンにも「裏の顔」が必要なのか?あるいは、創造性の源泉は、他のもっと「明るい場所」に求めるべきなのか?
こうした思考を経た後では、コービーが『第8の習慣』で語るように、「リーダーとなるには、他人から模範となるべく、一点の曇りもない人生を歩め」といった趣旨のアドバイスは、どこか白々しく聞こえる。が、当たり前のことだが、私とてコンプライアンスの重要性は人一倍認識しているつもりだ。

人間は知れば知るほど深い。

Posted by Ken Kodama at 09:41 | Comments (0)

2008年04月02日

サブプライム騒動から金融業界以外の人々が学ぶべき教訓

例年2、3月は忙しいのですが、nara様とsakura様にいただいたコメントへのレスポンスが出来ずじまいでした、ごめんなさいね。そうこうするうちに、新入社員研修のシーズンになってしまい、しばらくはゆっくり出来そうにはありません。
とはいえ、あまりこのブログをほったらかしにしておくのもなんなので、新しいエントリーを書いてみることにしました。それは、本日のUBSの追加損失1兆9000億円の報道がある、サブプライム問題に関してです。以前も昨年の8月20日のエントリーで取り上げましたが、まだまだこの問題、終わるところを見せません。どうして、こんなことになってしまったのか、そしてどうしてこんなに長引くのか?
私もかつて金融業界に身を置いていたため、著名な投資銀行各社の事情は、それとなくは知っています。で、彼等は金融リスクをとる(リスクテーク)ことによって生計を立てているため、リスク管理に対する投資額たるや、半端ではありません。その内訳はシステム投資と、人件費です。金融リスク管理の仕事は、かなりのテクニカルスキルがないと出来ず、リスク管理という裏方の仕事で高報酬を獲得している人々は結構います。にもかかわらず、サブプライム騒動は起きてしまい、そしてその余波はなお続いている。
その原因は私の考えによれば非常にシンプルであり、自らの能力で管理できないリスクを引き受けてしまった、ということにつきると思われます。この問題を考えることは、異業界の人々のリスクマネジメントを考える上でも有用であると思われるため、私なりの考えを以下に示しておきたいと思います。
「自らの能力で管理できないリスク」と私が言う場合に、以下の2つの要素に分解できます。

①リスクの大きさを早期に発見できない
②発見できたとしてもアクションが取れない

まず、前者からですが、投資銀行業界のスタンダードとして、日々ポジションの値洗いをしています。つまり、抱えている債権債務を日次ベースで時価評価しているわけです。(かつては私もこの仕事に忙殺されていました。)で、なぜ毎日時価評価ができるかといえば、時価が日々入手可能だからです。株であれば、それこそ日経新聞からでも東証の終値を入手することができます。つまり、取引所のマーケットプライスです。取引所で活発に取引されていない国債のような商品であってもマーケットメーカーを通じて流通市場は形成されているので、これもやはり日々時価を入手することができます。
一ひねりしないと、時価を入手できないものもあります。金利スワップやオプション等の店頭デリバティブ商品が、このカテゴリーに該当します。しかし、一般的に入手可能な時価を「加工」することで、簡単に時価を産出できます。「加工」とは具体的には、金利や残存期間といった値をブラック・ショールズ式に代入してやる、といった類のことです。
で、ようやく本題のサブプライムがらみの証券化商品ですが、私も詳しいプライシングの理論は知りませんが、サブプライムローンは、アメリカの低所得者層に向けた住宅ローンですから、彼等の延滞率、自己破産率といったファクターが、証券化商品のプライシングに影響を与えることは、容易に推測できます。しかし、こうした情報は、証券化商品保有者が、オリジネーターと余程の深いパイプでも築いていない限り「毎日」入手することは不可能です。
で、政府統計の発表だとか、業界の調査会社からの情報を買ったりするわけですが、彼らもそうそう暇ではないので、データの更新が月次とか、それ以上の頻度になってしまうのです。
他の金融商品は毎日値洗いできているのに、サブプライム関連商品は毎日の時価評価ができない、というのが、私が「管理不能」という厳しい用語を使う所以の一つです。
次に第二のポイントですが、仮に日々の時価評価ができたとしても、サブプライム関連商品に対して日次評価をしたところで、あまり意味がないと考えています。というのも、有効なリスクヘッジの手段がないからです。
よくありがちな「トレーダーが不正を起こして巨額損失を抱えてしまった」等の場合は、そのポジションを売却してしまうか、あるいは、先物等を活用して反対のポジションを形成してオフセットしてしまうことによって、発覚した時点以上の損失を食いとどめることは可能となります。
しかし、サブプライム関連商品に関しては、報道等から類推する限り、リスク回避のための有効な金融デリバティブは存在しないようです。では売却すれば、ということになりますが、このご時勢でサブプライム関連商品を買ってくれる人は、まず存在しません。もちろんやばい債権(Distressed Assets)を売買するハゲタカ的な人々も存在しますが、そうした人たちは足元を見て、徹底的に買い叩きます。
たとえリスク値が分かっても、ポジションを解消することもヘッジすることもできない、すなわちリスクをコントロールする手立てがないわけなのです。

ということで、我々一般人が学ぶべき教訓としては、コントロールできないリスクはテークすべきではない、というものが導出できるかと思われます。
私にとっては、サブプライム問題はこれほど単純な黄金律からの逸脱にしか見えないのですが、なぜ優秀な投資銀行の経営陣が逸脱してしまったのか、というのもなんとなく分かる気がします。その辺については、また別の機会にでも。

Posted by Ken Kodama at 12:34 | Comments (2)