まず、下記の著作。
上記の著作は、私のファイナンシャル上の哲学の礎とも呼ぶべき本である。アクティブファンドに対するインデックスファンドの優位をくどいくらいに説くこの著作。そのおかげで、現在の私のファイナンスがらみの仕事の割合は激減したが、自分の資産運用においては、著者ボーグルが設立したバンガード社のインデックスファンドを、某社のFOFを通じて間接的に所有している。そのボーグルの最近の著作が下記である。
2ヶ月くらい前だったか、日経新聞の書評で紹介されているのを目にして即座に購入し、その後読むタイミングを逸して、ツンドク状態・・・今日も、「そろそろ読んでみようかな」と手をとって何気なく目に入った一節から、私の頭の中で小さな稲妻が走った。
(引用始)
『まず次の分析から始めたい。株式会社アメリカはどこで道を誤り、伝統的なオーナー(株主)資本主義から、新種のマネジャー(経営者)資本主義へと、「病的突然変異」をきたしたのか?』
(引用終)
上記を読んで私の頭の中に走った稲妻とは、これから書く2つであり、これからその2つを書くが、予め予防線をはっておくと、最後に落ちがあるわけではないので、念のため(笑)
まず、船場吉兆問題。この問題は、「ブランド」ということを考える上で、いつかこのブログで取り上げてみたいと考えていたのだが、オーナー資本主義という観点からも興味深いと思う。
ここで読み手の方が想起される疑問はおそらく「オーナー資本主義を見直すとかタイトルつけときながら、船場吉兆はそもそもオーナー経営者が問題の元凶なのでは?」というもの。しかし、問題をおこした船場吉兆のオーナーとは、婿養子であったことを忘れてはいけない。船場吉兆というブランドを、正当な対価を支払って獲得したわけではない。また、苦労して創り上げたわけでもない。船場吉兆の問題の根源をたどれば、恐らくオーナーシップの移転のプロセスに元凶が求められるのであろう。
オーナー資本主義の見直されるべき点の体系的な分析は恐らくボーグルの著作に詳しいのであろう。ここでは私の体験談を通じて、オーナー資本主義を礼賛してみたい。
私自身、現在はどこかの会社の従業員として働いているわけではない。したがって、オーナーであるといえる。オーナーとなって働き出してから、私の仕事に対する打ち込み方は以前の比ではない。なぜって、私自身が「児玉健ブランド」の所有者であるから。会社員であったころは、週末を楽しみたくて、例えば金曜の夜に舞い込んできた案件には手を抜いて対処したかもしれない。でも今は、そのようなことは絶対できない。一度手を抜けば、自分のブランドを毀損してしまう。だから、金額の小さい案件に対しても、手を抜くようなことはできない。
オーナーであるということは、上記のような「緊張感」「プロ意識」といったストイックな面のみを醸成するだけではない。自分自身で築いたブランドに対する、正当な対価を受け取ることが可能となる。身を粉にして働けば、それなりの金銭が得られる。理由が病気であろうと、バケーションであろうと、寝ていれば金は入ってこない、当たり前のこと。
固定給をもらう会社従業員は、こうした「相応の収入」を得ているという実感が湧かない。だから、成果主義なる仕組みが見出された。しかし、成果主義のベースたる「成果」は、多くの場合「今年度の実績」である。だから、将来の資産価値を毀損するような形で「成果」を挙げたとしても、例えば部下に対する指導を一切行わず、「プレーイングマネジャー」が自身のプレーヤーとしての「成果」の極大化に専念しても、自身の収入を極大化できる。また、会社のブランドを一晩のうちに崩壊させる、「不正」に手を染めることを思いとどまらせるだけの、「資産価値」からの報酬に預かっていない。
・・・ということが思い浮かんだので、ブログ上にメモ書きしておきたかったまでのことです(^_^;)ちょっと、このブログの活用法も、そろそろ真剣に再考せねばなー、とも思っております。
例年2、3月は忙しいのですが、nara様とsakura様にいただいたコメントへのレスポンスが出来ずじまいでした、ごめんなさいね。そうこうするうちに、新入社員研修のシーズンになってしまい、しばらくはゆっくり出来そうにはありません。
とはいえ、あまりこのブログをほったらかしにしておくのもなんなので、新しいエントリーを書いてみることにしました。それは、本日のUBSの追加損失1兆9000億円の報道がある、サブプライム問題に関してです。以前も昨年の8月20日のエントリーで取り上げましたが、まだまだこの問題、終わるところを見せません。どうして、こんなことになってしまったのか、そしてどうしてこんなに長引くのか?
私もかつて金融業界に身を置いていたため、著名な投資銀行各社の事情は、それとなくは知っています。で、彼等は金融リスクをとる(リスクテーク)ことによって生計を立てているため、リスク管理に対する投資額たるや、半端ではありません。その内訳はシステム投資と、人件費です。金融リスク管理の仕事は、かなりのテクニカルスキルがないと出来ず、リスク管理という裏方の仕事で高報酬を獲得している人々は結構います。にもかかわらず、サブプライム騒動は起きてしまい、そしてその余波はなお続いている。
その原因は私の考えによれば非常にシンプルであり、自らの能力で管理できないリスクを引き受けてしまった、ということにつきると思われます。この問題を考えることは、異業界の人々のリスクマネジメントを考える上でも有用であると思われるため、私なりの考えを以下に示しておきたいと思います。
「自らの能力で管理できないリスク」と私が言う場合に、以下の2つの要素に分解できます。
①リスクの大きさを早期に発見できない
②発見できたとしてもアクションが取れない
まず、前者からですが、投資銀行業界のスタンダードとして、日々ポジションの値洗いをしています。つまり、抱えている債権債務を日次ベースで時価評価しているわけです。(かつては私もこの仕事に忙殺されていました。)で、なぜ毎日時価評価ができるかといえば、時価が日々入手可能だからです。株であれば、それこそ日経新聞からでも東証の終値を入手することができます。つまり、取引所のマーケットプライスです。取引所で活発に取引されていない国債のような商品であってもマーケットメーカーを通じて流通市場は形成されているので、これもやはり日々時価を入手することができます。
一ひねりしないと、時価を入手できないものもあります。金利スワップやオプション等の店頭デリバティブ商品が、このカテゴリーに該当します。しかし、一般的に入手可能な時価を「加工」することで、簡単に時価を産出できます。「加工」とは具体的には、金利や残存期間といった値をブラック・ショールズ式に代入してやる、といった類のことです。
で、ようやく本題のサブプライムがらみの証券化商品ですが、私も詳しいプライシングの理論は知りませんが、サブプライムローンは、アメリカの低所得者層に向けた住宅ローンですから、彼等の延滞率、自己破産率といったファクターが、証券化商品のプライシングに影響を与えることは、容易に推測できます。しかし、こうした情報は、証券化商品保有者が、オリジネーターと余程の深いパイプでも築いていない限り「毎日」入手することは不可能です。
で、政府統計の発表だとか、業界の調査会社からの情報を買ったりするわけですが、彼らもそうそう暇ではないので、データの更新が月次とか、それ以上の頻度になってしまうのです。
他の金融商品は毎日値洗いできているのに、サブプライム関連商品は毎日の時価評価ができない、というのが、私が「管理不能」という厳しい用語を使う所以の一つです。
次に第二のポイントですが、仮に日々の時価評価ができたとしても、サブプライム関連商品に対して日次評価をしたところで、あまり意味がないと考えています。というのも、有効なリスクヘッジの手段がないからです。
よくありがちな「トレーダーが不正を起こして巨額損失を抱えてしまった」等の場合は、そのポジションを売却してしまうか、あるいは、先物等を活用して反対のポジションを形成してオフセットしてしまうことによって、発覚した時点以上の損失を食いとどめることは可能となります。
しかし、サブプライム関連商品に関しては、報道等から類推する限り、リスク回避のための有効な金融デリバティブは存在しないようです。では売却すれば、ということになりますが、このご時勢でサブプライム関連商品を買ってくれる人は、まず存在しません。もちろんやばい債権(Distressed Assets)を売買するハゲタカ的な人々も存在しますが、そうした人たちは足元を見て、徹底的に買い叩きます。
たとえリスク値が分かっても、ポジションを解消することもヘッジすることもできない、すなわちリスクをコントロールする手立てがないわけなのです。
ということで、我々一般人が学ぶべき教訓としては、コントロールできないリスクはテークすべきではない、というものが導出できるかと思われます。
私にとっては、サブプライム問題はこれほど単純な黄金律からの逸脱にしか見えないのですが、なぜ優秀な投資銀行の経営陣が逸脱してしまったのか、というのもなんとなく分かる気がします。その辺については、また別の機会にでも。
テラメント騒動。当初は「大したことのない瑣事」と考えていたが、その後の金融庁の対応を見ていると、行政全般の特徴・問題点が見えてくる。
「虚偽」というものを考えるに、通常は「自分の利益のために誰かをだます」という意図が背後にある。しかし、話題になっている「虚偽」は、株式投資を少しでも考えようという人にとっては、あまりにも「嘘であることが明白」であり、したがって騙される人は皆無に近いはずであり、この騒動による株式市場への実害はゼロとみてよい。
にも関わらず佐藤隆文金融庁長官は「事の重大性は非常に大きい(本日の日経新聞朝刊より引用)」として刑事告発までも検討しているという。
これに比べて、上場企業であっても、胡散臭い開示情報のいかに多いことか。それらの開示情報の多くは、「無知な一般投資家を騙すこと」を目的としている。実際、かなり長きに渡ってMSCBという金融商品を使ったマジックにより、無知な一般投資家の損失が暴力団に近い筋に流れるという事態が続いていた。一般投資家の蒙った実害の額たるや、計り知れない。にも関わらず、金融庁は長きに渡って動こうとしなかった。ホリエモンというトリックスターという登場するまで。
この2つを比べてみるに、金融庁は「恒常的に動きが遅い組織ではない」ということが明確に分かる。なぜなら、テラメントの代表に対しては、職員が休日出勤までしてヒアリングをしたそうだから。では、どのようなときに国家は迅速に動くのか?これは、単純な応酬原則に基づくもので、「自分の頬を殴られたら動く」という、ただそれだけである。
テラメントの虚偽報告が、一般投資家を騙すことを目的としていないのであれば、それは妄想癖のあるオッサンの戯言か、あるいは国家に対する挑戦のいずれかである。恐らく、ヒアリングの結果、後者と受け取ったのであろう。で、自分に対して売られた喧嘩に対しては、休日を返上してでも、迅速に対応するのである。
次に、国家が早く動いてくれるのは、「自分の仲間の頬が殴られたとき」である。ホリエモンが殴ろうとしたのは、一部上場企業の経営陣であり、彼等は出身大学や様々なビジネス上の会合で、国家の役人とリアルに結びついている。「一般投資家を食い物にしている内はまだいいが、俺達のマブダチを殴ろうっていうんじゃ許さないぜ。」こうして検察は動いた。
で、実際のところ、金融庁職員の使命とは何なのか?それは、自分に売られた喧嘩を買うことなのか、それとも友情を大切にすることなのか?彼らの使命の中の一つには当然「一般投資家の保護」が掲げられているはずであり、その使命に従って行動できないのは、一般投資家が殴られた頬の痛みを共感できないから、に尽きる。
リアルに接していない人々の痛みを共感できるには、相当なスキルを要すると思う。このスキルを養うことが難しいと感ずるのであれば、リアルに一般投資家と接触する機会を設けるより他ない。万一このブログを読んでいただいている方の中に、国家の役人の方がいたならば、この共感能力の向上に努めていただきたい。
最後に、本日のような論調を展開した背景には、正月あたりからの一連の哲学書の読書、並びに、ムネオ事件で有名になった佐藤優氏の著作を今更ながら読んでいることが影響している。佐藤優氏は「人生のターニングポイント」を考える上で、格好の好例と考え読み始めたのだが、彼の逮捕後に書かれた著作は異色の輝きを放っており、最近私は彼の世界にはまりつつある。
でも、そんな自分を客観視できる健常さも兼ね備えているのでご安心を。今更マルクス主義に心酔するほど、ウブでもないので(笑)私今年40歳になってしまうので(笑)
「シンクロニシティ」だとか「スピリチュアル」だとか、そういうことばっか書いててもどうかなーと思い、『十牛図』の「牛を連れて村に帰ってくる」の精神で、再び我利我利亡者の集うファイナンス村を眺めたエントリーを書いてみたいと思います。とかいいつつ、「牛を連れて村に帰ってくる」段階にまで悟ったわけでは全然ないのですけど(笑)。
で、今日取り上げるのは、日経新聞社をご自身の「ワークライフバランス」を理由に退社され、フリーになってしまった牧野洋氏の下記の著作。
また、本日のエントリーではあまり触れないが、この本は恐らく、下記の本と合わせて読むと視点が偏らなくてよいと思う。
【スピンオフの効用】
なぜスピンオフの方が子会社上場に比べて望ましいのか?確か過去のエントリーでは、この点について「バシッ」と書けていなかった気がするのだが、牧野氏の著作の「富創造のAT&Tと富破壊のNTT」という物議を醸しそうなタイトルの章を読んで、私の頭の中はクリアになった。
両社とも規制緩和の波の中で、自社の意志に反して分割を余儀なくされた、という点では同じである。異なるのは企業分割の過程で、AT&Tはスピンオフを選択し、NTTは子会社上場という手段を選んだということ。で、その結果AT&Tでは富が創造され、NTTでは富が破壊された???
もう少しこの点を明瞭に記述すると、こういうことだ。もし1984年時点のAT&Tの株主がスピンオフによって分割された企業の株式を全て2005年まで持ち続けていたとしたら、株主価値は4倍強に膨れ上がっていたはずだ。対して、1987年時点のNTTの株主は、NTTが分割に際して「子会社上場」という手法を選択したため、ドコモ株もNTTデータ株も割り当てられなかったため、2005年のNTT株の価値は3分の1近くにまで下落してしまった。
ここまでが牧野氏の著作に書いてあることで、ここからは私なりの理解を書くが、要は子会社上場という手法は株主の再投資リスクを2つの過程で旧株主に負わせる手法なのだ。上場される子会社というのは、大抵の場合成長の途上にある企業であり、それが企業の外に出されれば、旧株主へのリターンは当然のことながら減少してしまう。
スピンオフによれば、旧株主は外出しする企業の株式を割り当てられるのだから、その企業の株式を売るも保有するも自由である。再投資リスクを考えたくなければ、保有し続ければよい。
ところが子会社上場の場合、2つのケースが考えられる。まず、株式売却益を記念配当という形で株主に返却した場合、単純な株主はその記念配当に大喜びし、経営陣に感謝してしまう。(残念ながらこのような株主がほとんどだが)しかし、上場された子会社並のリターンを今後も確保しようとすれば、また結構たくさんな時間を使って、掘り出しものの株式を発掘せねばならない。つまり、記念配当分の再投資リスクを株主が負うことになってしまうのだ。スピンオフの場合には手札としてあった、「成長株を売却して保持する」という選択肢は、株主には当然のことながらない。
加えて、記念配当に回る前段階で法人税と所得税課税のダブルパンチをくらうし、しかも売却益全額が記念配当に回ることはあまりない。
しかし、記念配当という選択をする経営陣というのは稀であり、多くの場合、子会社株の売却で得られたキャッシュは企業の現金預金として溜め込まれる。で、その場合は再投資リスクは経営陣が負うこととなる。この場合3つの方向性が考えられ、①得られたキャッシュで全く別の新規事業を創出する、か②本業に資源を集中投資する、か③M&Aにより成長企業を買収する、のいずれかである。まず、前者であるが、これは少しでもビジネスを学習・経験された方は理解できるように、ゼロから新規事業を立ち上げて成長軌道に乗せるのは容易ではない。新規事業の創出だけで、再投資リスクを回避するのは容易ではない。
また、次の本業への資源集中だが、一見至極真っ当で手堅く聞こえるが、この場合、売却した事業と本業とのリターンの大小が問題となる。もし、売却した事業の収益率が本業に比して圧倒的に高いのであれば、なんのための子会社上場か分からない。
また、最後のM&Aによる買収は、この牧野氏の著作のメインテーマでもある、被買収企業のプレミアムが問題となる。べらぼうなプレミアムを回収するほどのシナジーを発現する企業を発掘するのは、これまた容易ではない。
と、このように子会社上場によって、株主は結構な再投資リスクを負ってしまうわけだが、個人投資家は子会社上場に対しては寛容なのである。株式を保有する企業が巨額の「株式売却益」を計上し、おまけに記念配当までもらえたら、もうホクホク顔で、文句を言うどころか大満足である。なぜ?個人投資家に長期投資のマインドが根付いていないからである。
日本企業がなぜスピンオフを実施しないかと言うと、牧野氏の著作でも触れられているように、税制の大きな壁があるからである。株式分割によって新株を交付されても、当然のことながら投資家が課税されることはないが、スピンオフで交付された株式は課税されてしまう。この税制のロジックは本当に「不思議」としか言う他はない。
牧野氏の著作の中で、経団連の小畑氏の言葉として「日本企業にスピンオフへの需要はありません。(引用)」とある。失礼ではあるが、「詭弁」というのが第一印象であったが、上記で見た個人投資家のマインドや税制の壁を考えると、「スピンオフへの需要がない」という意見も、情けないながら一理あるといわざるを得ない。
しかし、こんな低次元で日本の株式市場が留まっていていいはずがない。「貯蓄から投資」などという大それたスローガンを掲げるならば、こうした事項を正していかねばならない。具体的には、個人投資家に対して十分な投資教育がなされるべきだし、税制も当然改正されるべきだし、経団連も「経営者は株主に受託責任を負っている」との基本に立ち返れば、制約を株主のために改善する努力をしなければならない。
我々は、本当に「不思議の国」の投資家であることを、肝に命じておかねばならない。
【2つの「不思議」】
さて、牧野氏の著作を批判的に読むならば、それは彼が「不思議」と称するのはすなわち「経済原理に反する行為」に他ならない。しかし、経済原理に反する行為を全て「不思議」と称して揶揄するのも、いかがなものかと思う。私が思うに、牧野氏の言う「不思議」は2つに大別できると思う。一つは「低レベルの不思議」。経営者が自己保身のために敵対的M&Aに反対したり、自らは外国企業を積極的に買っておきながら海外からの買収に対して異常な反対をする、等の行為は、私に言わせれば「低レベルの不思議」であり、これは戒められねばならない。
次に「高レベルの不思議」だが、例えば最初に掲げた上村教授の対談では、「企業がミッションの実現に向けて活動することこそが、企業価値である」といったようなご意見が登場する。ここで教授の言う「企業価値」はファイナンス理論の「企業価値」の定義とは反するが、上村教授の意見は傾聴に値すると思う。
この私が言うレベルの「高低」は決して「知的なレベル」の高低ではなく、言わばスピリチュアルな次元(またここに来ちゃったよw)の高低である。したがって、自己保身しか考えていない経営陣であっても、彼らのIQをもってすれば、「自らのロジックがなんかしょぼいな~」とは感づいているはずであり、従って上村教授な説くような高邁な理論に触れれば、それを「高邁」であると判断する嗅覚は鋭敏で、したがって「高邁な理論で武装する」ということをやってくれるわけである。本気で高邁な企業と、高貴な衣をまとっただけの企業を見分けることは可能か?
根気はいるが可能であると思う、というのが私の意見。しかも、公開されている情報のみで、見分けることは可能だと思う。例えば、ライブドアの「悪意」はかなり初期から私は気づいていたつもりだが、その根拠は「有価証券報告書」という誰でも見ることができる公開情報である。バフェットが年間何百冊というアニュアルレポートを読んで見極めようとしているのも、多分この辺りだと私は推測する。
で、「そんな時間はありません」というサラリーマン諸氏は、ファイナンス理論を信じて大人しくインデックスファンドを買っていなさい、というのが私の意見です。今日は随分書いたな~、知恵熱出そうw
久々の更新で、かつ久々の時事ネタかつ金融ネタ。しかし、今年の夏は本当に忙しくてかつ暑くて、かなりバテ気味です。皆様も是非お体にお気をつけあれ。
【証券化→オリジネーターのモラルハザード→リスク総量の増大】
で、渦中のサブプライム問題だが、この問題がなぜこれほどまでに株式市場に影響を与えるかについては、正直よく分からない。本日の日経平均も急反発しているようだし、市場はヒステリックに反応しすぎたのかもしれない。しかし、問題の端緒となったアメリカのサブプライム融資については、私は問題は深刻であると考えている。
アメリカに限らずとも、日本の金融機関も住宅ローンの貸し出しにおいては、もはや証券化という仕組みを抜きにしては語れない。簡単に言えば、自社のローン債権をまとめて証券化して、リスクを負ってくれる誰かに転売するのである。
住宅ローンと20年、30年付き合わねばならないならば、オリジネーターである金融機関だって、そりゃあ慎重な融資姿勢で臨むこととなる。でも、バランスシートから切り落とせるのであれば、オリジネーションフィーの極大化を目指せばよいのであって、貸し倒れリスクにはそれほど神経をとがらせなくてよい。だって、奇特な他の誰かがそのリスクを喜んでとってくれるのだから。まあ、実際のところは劣後部分は完全に転売できなかったりして、オリジネーターが完全に貸倒リスクから逃れられることはないようだが、証券化が登場する前と後とでは、貸倒リスクに対する認識が甘くなったとする推論は成立するであろう。
その単純な帰結としては、オリジネーターはフィーの極大化を目指してローン商品を「売って、売って、売りまくる」ことを目指すこととなり、その結果として全世界レベルで見れば、金融リスクの総量は証券化誕生前に比べ、かなり増大しているはずである。
【オフバランスした積もりがオンバランス】
で、証券化により銀行から外されたと思っていた貸倒リスクは、やはり実は銀行が部分的に負っていた、というのが新聞報道から読み取れる事実である。高リスクの証券化商品を買い漁るファンドへの融資の担い手として、銀行はファンドに資金を供給する。この辺は銀行の内部事情に通じていないので憶測になるが、ファンドへの融資担当者が住宅ローン債権の質に対する分析が行いうるかどうかは、はなはだ疑問である。仮に行っていたとしても、定量的な分析のみしか行いえず、定性的な分析は不可能に等しいであろう。「ファンドマネージャーとしての実績」のようなものも、当然ファンドへの融資を考量する上でのキーファクターとなる。でも、住宅ローンが焦げ付けばみんなアウトなんだけどね。
ここで私が気になるのは、ローン債権が回りまわってファンドへの融資という形でB/Sにのっかって、しかもその融資担当部門はリテール部門からホールセール部門へと、およそ住宅ローン債権を管理するにふさわしくない部門に担当が鞍替えされている点である。
しかも、日本の金融機関もこの問題により評価損を計上するという。その根底の思想を探るには、過去に書いた下記のエントリーが参考になると思われる。
ここに書いたように、おそらく金融機関は究極的には『信用リスク全体のインデックスに連動したパッシブ運用のポートフォリオ』を組みたいのだろう。個人の資産運用としては、インデックスファンド信奉者である私も、もしこういうストラテジーを銀行が持っているとしたら、大いに疑問を抱く。だって、銀行は信用リスクのプロなのだから。地域差、業種、個人の所得別等々で強い分野、弱い分野があるはずである。そうした独特のリスクを手放して一般的なリスクを保有するようなことをしていたら、収益極大化の観点でも望ましくないはずだし、モラルハザードを推し進める恐れもある。
今回のサブプライム問題をもってしても証券化自体の善悪は新聞報道で見る限り問われていないようだが、これを気に一考してみてもよいのではないかという気がする。
(上場された)株式会社とは、その成長を目的とする組織である。成長こそが理論的には株価の上昇を可能にするが、最近新聞で目にすることが多くなったのは、「成長の限界」に関する報道である。最も分かりやすい「成長の限界」はグローバルウォーミングであろう。多くの産業にとって、成長のためには化石燃料の消費が不可欠である。しかし、これ以上化石燃料を消費し続けることは地球温暖化を増進させ、このままのペースでいけば小さな島国である日本が水没する日は遠くはない。また、増加しつつあるM&Aも、株主から受ける成長へのプレッシャーという側面も見逃せない。創造性の乏しい成熟産業の経営陣にとって、M&Aは成長のための起死回生のホームラン的な意味合いを持つ、もちろん実際そうなることは稀なのだが。
昨日NHKのクローズアップ現代のバイオ燃料に関する特集を途中から見て、一点よく分からないことがあった。それは、バイオ燃料と地球温暖化の関係なのだが、本日の日経新聞の13ページには私の疑問に対する一つの解が呈されていた。
(引用始)
『植物は大気中のCO2を吸収して育つ。バイオ燃料を燃やしてもCO2は出るが、生育中に吸収したCO2との差し引きで、エタノール相当分のCO2排出量はゼロと計算されるためだ。』
(引用終)
最初はなんとなく納得してしまったのだが、昨日のクローズアップ現代では、食用の大豆からバイオ燃料としてのトウモロコシへの転作が相次いでいると紹介されていた。ここからは推測だが、それならば、発展途上国などでは、森林・草原を焼き払ってトウモロコシ畑が作られるケースがあるかもしれない。その場合、永遠にCO2を吸収し続けるはずであった貴重な森が失われ、CO2を吸っては出し吸っては出し・・・のトウモロコシ畑がとってかわるわけだが、それでもこのバイオ燃料のCO2排出量はやはり「ゼロ」と計算されるのだろうか???
別に「自動車を捨てよ!文明を捨てよ!」とヒステリックに声高に叫ぶつもりは毛頭ないが、地球という有限性を意識し、そのために低成長へのソフトランディングを念頭に置いた行動をとることが我々に求められていることは、確実であろう。20世紀においては、別に難しいことを考えなくても、「市場」が自然に様々な難問を解決してくれたが、「低成長」へのソフトランディングという命題を「市場主義」に解決を委ねるというのは、はなから論理破綻を招いている感がある。
全く別の興味から読み始めているダニエル・ピンクの『フリーエージェント社会の到来』であるが、何のためらいもなく成長を放棄し、ダウンサイジングに踏み切る人々が現れているという。そう、フリーエージェント達だ。(ちなみに、この本の方が『ハイコンセプト』に比べ、ピンクの体験談が色濃く表出され、読み応えがある。『ハイコンセプト』は当ブログで若干絶賛しすぎてしまったが(笑)、知識が蓄積された今あの本を読み返すと、既によく知られていた事項を「右脳」というキーワードでつなげただけ、といった感が強い。)
(引用始)
『ベンソンは、不愉快な思いをしてまで収入を増やしたいとは思わなかった。(中略)従来の成功の指標だった「拡大」ではなく、従来は失敗の指標だった「縮小」を選択したのだ。しかしベンソンは、事業の縮小を失敗とは考えていなかった。(中略)「仕事はいいものでなくてはならない。楽しいものでなくてはならない。儲かるものでなくてはならない。楽しくなくなれば、仕事を変えたほうがいい」』
(引用終)
ここに登場するフリーエージェント達は、地球の有限性を意識して「縮小」の道を選択したのではない。その動機は、自らの内面の重視、ダニエル・ピンクの言葉に従えば、「自由」「自分らしさ」「責任」「自分なりの成功」の4つの価値観に従って行動した結果である。
「株式会社というのは最大の発明である」とも言われるが、それほどの「陽」があるものであれば必ず「陰」も随伴するのが常である。所有と経営が分離すれば、必然的に所有者たるはその金銭的価値の増大を経営陣に要求し、経営陣はその受託責任を全うせんと、「有限性」を突き抜けてまで「成長」を志向する。一方で、所有と経営が一致するフリーエージェント達は、金銭的価値の際限なき増大を、内面的な満足によってオフセットさせることができる。
昨今の株式非公開化の動きも、「株主からのノイズのシャットアウト」に本音があるようであり、そのノイズとは「絶え間ざる金銭的価値の成長の要求」に他ならない。MBOを推進する企業の経営陣の思想には、「地球という有限性への思いやり」等のものは微塵も見られないが、このような観点から非公開化ということを考えてみてもいいのかもしれない。
本日のエントリーはあまりにも大きなテーマに挑みすぎたため、普段に増して(笑)、考えがまとまっておらず失礼しました。
先日仕事の都合で成田空港第二ビルより東京までの乗車券を購入し、成田エキスプレスに乗ったときのこと。用あって、京浜東北線に乗り換え、蒲田駅まで足を伸ばし自動精算機にて精算しようとすると300円以上の表示が出る。記憶では東京-蒲田間は百数十円の運賃のはずで、「これは精算機のバグ」と意気込んで若そうな駅員に告げると「成田空港第二ビルから蒲田までの一括の運賃が、成田空港第二ビル-東京間と東京-蒲田間の合計より高くなることは全然おかしくないですよ」と一蹴されてしまった。
この駅員の言うことが全く納得できず、かつ腹立たしい物の言い方だったのでよっぽど粘ろうと思ったのだが、後ろには私が早く終わらないかと待つ乗客の行列ができており、100円程度でわめくのも大人気ないと想い、断腸の思い(笑)でその場を後にした。その後、鉄道に詳しい方に聞くと、確かにそのような料金体系のねじれのようなものは存在するらしく、毎日の通勤ともなると差額がばかにならないので、通勤定期を分割して購入して対策を講じているらしい。
JRのシステムに精通していれば、この料金体系のねじれは「おかしくない」と断言できるのかもしれない。しかし、途中下車した運賃の方が安くなるケースがあるという事象は、一般的な顧客の目からすれば、全く納得しがたい。
この体験談は本日話したいことの前フリにすぎず、本日のテーマは本日の日経新聞15ページに掲載されていた『企業価値を探る』に掲載されていた、以下の一節である。
(引用始)
『負ののれんは、買収先企業の資産に含み損があるなど、帳簿価格より安く取得した際に発生。固定負債に計上され、会計上は二十年以内で償却する。「負ののれん償却額」という営業外収益となる。』
(引用終)
「EX-ビーンカウンター(accounting professionalに対する軽い蔑視用語です(笑))」である私は、当然のことながら、この記述を何の違和感もなく読み飛ばせる。会計に疎い方に若干の解説をしておくと、なにか「わけあり」な企業の買収の値段は、その企業のB/S上の純資産額の金額よりも、安く上がることがある。その場合、買収側の企業が計上する仕訳は、イメージ的に以下のようになる。
(借)資産 XXX(貸)負債 XXX
現金 XXX
PLUG XXX
買収金額の方が純資産額よりも小さいので、貸借が一致するためには、何か貸方に入れ込まなくてはならない。それが「負ののれん」である。「負ののれん」は貸方の項目だから、それをP/Lに償却すれば、当然費用ではなく収益となる。
複式簿記というシステムに毒された私には、あまりにも明白な話であるが、一般人としての私に戻って考えると、収益が発生し続ける意味を理解するのは難しい。だって、PBRが1倍未満の「わけあり」企業を買収したんですよ。そんな危なっかしい企業を買ったら、数年間営業外利益が計上されるなんて、おかしいと思いません、フツーに考えれば?
とまあ、こういいつつも、自分の中では説明がついているんです。一人のりつっこみの様相を呈してきましたが(笑)、買収金額が純資産額よりも小さいということは、一つの可能性としては、被買収企業の現時点での損益がマイナスであり、それに基づいて計算されたフローの現在価値がマイナスになっているという事態が想定され得る。買収後も何の経営努力もしなければ、被買収企業からあがる損益はやっぱりマイナスのままで、「負ののれん償却」による収益とオフセットされる、ということ。
読者の皆様にこの説明がしっくり伝わったかは定かではないが、企業の儲けを知るという、ただそれだけの単純な目的のために作成された損益計算書に計上される項目を理解するために、これほどの手間がかかるのは、フツーの一般人から考えておかしい。「負ののれん」を訳知り顔で読み飛ばす私は、あの不親切な蒲田駅の駅員と、「システムの渦中にあって、一般人の心中が察することができない」という点において、なんら変わりはなかったのである。・・・ということで前フリとの関連性はご理解いただけたでしょうか?(笑)
では、どうして会計がこんなにややこしいことになるのかといえば、買収金額なるものは、将来のCFの現在価値をベースに計算されるためであり、会計は客観性を重視するために取得原価をベースに記帳が行われるためにある。その差異を複式簿記の世界で矛盾が生じないように処理しようとすると、まあ、この手の「?」な処理に、一般投資家が苦慮することとなるのである。
最近、物事の根本に疑問を抱くことが多いのだが、そもそも複式簿記が諸悪の根源なのではないかと思う今日この頃。内部統制的な観点からいえば、確かにあんな優れたシステムはないと思うが、財務諸表が複式簿記にひきづられていいのかとも思う。しかし、複式簿記と無関連の財務諸表が登場すると、今度は「外部監査」というものが実質的に不可能になるのかもしれない。
・・・といって、「どうのこうのせい」という結論があるわけではないのだが、時にはシステムの外に身をおいて思考することは大切なのではないかと、改めて思った次第である。
この~木何の木、気になる木~♪
私が物心ついたときから、日立グループのこのCMは継続されているはずだ。とてつもなくでかい木が画面いっぱいに表示され、日立グループ傘下の企業名が走馬灯のように流されれば、受け手としては「日立ってでっかい会社なんだな~」というメッセージを汲み取るのが普通だと思う。そして、その「でっかい」とは時価総額でも利益でも売上でもなく、「グループ会社に属する会社『数』」なのだ。
昨日の日経新聞朝刊によれば、そんな日立の経営方針の柱は「連結子会社数の約2割削減(引用)」であるらしい。一種のアイデンティティ・クライシスといった趣があり、今後もあのCMが継続されるのかどうか興味深い。
具体的には2010年までに、「2006年9月末で885社ある連結子会社を700社程度まで削減する(引用)」とのことであり、200社近くが撤退、売却の対象となるのだが、その際の基準となるのは「FIV」なるカスタマイズ化された、一種のEVAらしい。撤退・売却の判断に関する具体的なルールは下記の通りである。
(引用始)
『2年連続でFIV赤字事業を「要注意」に指定し、再建計画承認後2年以内に黒字化しない場合は撤退勧告をする撤退ルールを厳格に適用する。その事業に関係のない執行役を管理責任者に任命し、客観的な立場から構造改革を検討する。』
(引用終)
想像力を逞しくして、日立グループの子会社削減がどのように実施されるか考えてみたい。(あくまでも以下は私の想像というか、「妄想」の産物に近い。)まず、本社経営企画担当部門内に、10数名の少数精鋭からなるプロジェクトチームが結成される。彼らはなんの「精鋭」かといえば、「FIV」を駆使できるファイナンスの「精鋭」から構成されると予測される。ここで「FIV」だが、私は「FIV」自体については知りえないので、スターン・スチュワートの「EVA」ということで話を進めると、「EVA」の出発点となる「税引後利益」は公表財務諸表の「税引後利益」とはかなり異なり、私の記憶が正しければ、会計上の「税引後利益」からEVA上の「税引後利益」を算出するには100項目近くの調整が必要であるはずだ。最大の論点は「何を資産計上(Capitalize)と考えるか否か」であり、例えば研究開発費は会計上では原則的には費用であるが、EVAでは原則的にCapitalizeすべきアイテムと考える。
また、日立グループの子会社は800以上もあれば様々な事業を手がけているはずであり、当然それらの事業のリスクは異なり、その当然の帰結として、各子会社毎に適用される資本コストの値はまちまちになるはずである。で、最近のエントリーでも何度か書いてきたが、私自身この資本コストという概念がかなり「胡散臭い」と考えるようになるに至っている。「胡散臭い」とまでいわなくとも、「資産計上の可否」と「資本コスト」というのは、それほど客観的に信頼し得る指標ではない、とはいえるであろう。
で、子会社削減のために終結した日立の10数名のエリート達は、「日立グループのとしてのビジョン」や「各企業のコンピテンシー」といった定性的な情報に十分に時間を割くことができず、資本コストの大小や資産計上の可否といった不毛な哲学論争に身をやつしながら、売却すべき企業のリストを毎晩徹夜して作成する。担当取締役も社内の政治的な圧力に疲れ果て、最終的には「エイヤ!」で決断を下してしまう。
もちろん、このストーリーは私の「妄想」にすぎないのだが、幸田真音の経済小説と同等くらいの現実味はあると自負している(笑)。「とりあえずでかい」という以外に確たるアイデンティティーを持たない大きな木に、植木職人ロボットに機械的にはさみを入れさせれば、さぞかしポストモダンちっくな先鋭的な植木が完成するに違いない。幹にハサミを入れないようにさえプログラムしておけば、すぐに枯れることはないであろうが、はたから見ていて景観をそこねる植木ができあがることは、ほぼ必死であろう。
大丈夫か、日立グループ?私の書いたこのエントリーが、将来の笑い種と扱われるべく発奮して、真っ当な改革を推進していただければ幸いである。
お久しぶりでございます。まだ忙しさの余波は続いているのですが、そろそろ「別腹」で文章が書きたくなってきたので、デザートを食す感覚で久々にエントリーをアップしてみたいと思います。
今日の日経金融新聞の『理論株価が示す割高感』と題したスクランブル欄のコラムは、なんとなく私が過去に執筆した、下記のエントリーを思わせる内容であった。
一言でコラムを要約すると、「現在の株価水準は理論価格に比べて割高である」という、何の変哲もない陳腐な内容になってしまうが、コラムニストがこうした結論に行き着いた思考プロセスが興味深い。
まず、理論株価だがDCF法をベースに『現在の純資産に今後稼ぐ利益を加え、二十年後に株主へ分配する(引用)』との想定のもと計算された模様である。ここでまず、注目すべきは「20年」という期間を区切って理論株価を算出している点である。ファイナンスの教科書に登場するように、無限の未来へと続くCFは計算対象外としているのであり、したがってその分ここで計算される理論価値は教科書的な理論価格より低くなっているはずである。にもかかわらず、割引率を3%から5%と仮定した場合、現在の東証一部の株価から逆算した「今後20年間の純利益の成長率」は以下の通りになるという。
割引率 成長率
3% 4.01%
4% 6.36%
5% 8.35%
しかも、『割引率はDCF法で使う資本コストに近いので、実際はもっと高いかもしれない(引用)』とのことである。実際の割引率がもっと高いのであれば、現在の株価にはもっと高い成長率が織り込まれているということである。・・・もっと高い成長率って、例えば10%近い成長率で、東証1部に上場する企業の利益が増え続けるって、まぁ、子供の頭で考えてもありえない話である。
で、追い討ちをかけるように、元GS東京支店長の佐藤努氏の『21世紀に成長株は存在しない。一時的に伸びる会社はあるが、せいぜい続いて5年だ(引用)』とのコメントが紹介されている。で、このコラムを書いた磯道真氏も最後は、『M&Aのさらなる増加で、企業の「値段」を厳密に算定する時代が到来した時、果たして今の株価は通用するのだろうか。(引用)』と、さながら私の禅問答シリーズのような結び方をしている。
・・・一体、何がおかしいのか???磯道氏のロジックのどこかが破綻していて、現状と乖離した「杞憂」を展開しているというのか?あるいは、本当に現在の株価が、理論株価に比して高い水準にあるというのか?忙しさでただでさえ鈍い「冴え」が輪をかけて鈍っている私の頭で考えてみるに、おそらく、後者が正しいのであろう。つまり、このコラム通りに現在の株価は理論株価に照らしてみればやはり高いといわざるを得ないのであろう。
思えばこの辺りのファイナンスの理論が精緻化されたのは前世紀の後半に入ってからのことである。前世紀では、すくなくとも優良企業は「未来永劫続くエンティティーである」と考えても何もおかしくなく、その前提に立脚して作られたのが「永続価値」を前提にする理論株価モデルである。
前世紀の終盤から「経営環境は激変している」というのはいわば枕詞のごとく常識化している事実である。あのソニーとて10年後どうなっているかは、誰にも予想のつかない話である。そんな未来の話をしなくとも、今日の苦境に陥っているソニーを誰が1年前に予想できたというのか?
果たして象牙の塔で作られたファイナンス論は、昨今の経営環境の激変を受けて、なんらかの変化を遂げたのであろうか?恐らく答えは「否」であろう。「今日の経営環境の複雑化を反映してリスクとしての割引率を増やせばいいだけ」という意見もあろうが、ではここ10年間において実務的に割引率が引き上げられることはあったのであろうか?MBAコースを履修している学生は「戦略論」で経営環境の激変を教わりながら、片や「永続価値」などという悠長なモデルに乗っかっているファイナンスの講義を受けて、一体彼らの内面ではどうやって折り合いをつけているのであろうか???
まあ、こんなことを言ってしまっては、また批判を受けるかもしれないが、ファイナンスの株価モデルも一種の「信仰」に過ぎないといっても過言ではあるまい。「江原さんと美輪さんは絶対ホンモノ!」という人々と、DCF法の上にビジネスを展開する人々も、「信心深い人々」という点で両者は共通しているといえるのかもしれない。
ビジネスにおいては頑迷な信仰を打破することにより、イノベーションが生まれ、大きな富が創出される。しかし、このDCF法信仰については、打破されることがあってはならないのかもしれない。だって、クラッシュが来ちゃうじゃん。金融の世界に身をおいておく人々は、やはり頑なな信仰心を抱き続けてもらわねば、我々の年金がとばっちりを受けてしまうのである。
で、タイトルをリフレイン。
迷える金融マンよ、信ずる者は救われる
あらら、先週の日曜日にこのタイトルでエントリーを更新したんですが、なんだかデータが途切れてしまった模様です(泣)。家からはエアエッジでつないでいたのですが、やっぱりそれがいけなかったのでしょうか?書いた内容が保存すらされていないし、しかもまた同じ内容を書く気が起こらないので、また新ネタで出直したいと思います。
最初に断っておく。本日のエントリーは日航増資を題材にしたロジカル・シンキングのトレーニングである。日航増資の背後に黒いものがあるなどと糾弾する類のものでは当然なく、私にそのような情報網があるはずがない。論理的に思考を積み重ねると、後述するようなブラックな結論がでてきてしまうが、それは私の有する情報の絶対量が不足していることに起因する。
本日の日経金融新聞には『日航増資 4つの疑問』と題された囲み記事が掲載されていた。日経新聞を愛読されている方なら、日経新聞がさながらネガティブ・キャンペーンのごとくの断続的な批判を増資発表後から行ってきたことから、よもや日航株を買おうと思った方はいるまい。そこで、ごく素朴な疑問が私の頭の隅に引っかかっていた。この期に及んで日航の新株を引き受ける人々というには一体どんな人々なのか?一つの仮説として、マネーリテラシーが完全に欠落していながら、しかし株で一儲けしたいという、「卑しき無知善良の民」のような人々が日航株をそそのかされて「買わされた」というストーリーが考えられるだろう。しかし、本当にそんな馬鹿でお人よしがそれほどたくさんいるものなのかという素朴な疑問が依然として残る。
この疑問への解答の手がかりとして、本日の日経金融新聞には『最後は国内が2億7千万株、海外が4億3千万株になった(引用)』と、記述されていた。つまり、海外の投資家の方が圧倒的に多いわけである。となると、前段で建てた私の仮説である「卑しき無知善良の民」というのは、青い目の人々であると考えを修正せねばならない。例えば、ケンタッキー州在住の63歳の退役軍人ジョン・ドーン氏みたいな。あるいは、ユタ州在住の信心深いモルモン教徒のおばあちゃん、イザベル・モンロー未亡人74歳みたいな。まあ、想像力を逞しくしてこのように考えていけば、「青い目の卑しき無知善良の民」が日航新株を購入したという仮説は、いかに馬鹿げた仮説であるかが、容易に分かる。今までは「海外の投資家」といえば、二アリーイコール「ヘッジファンド」であった。だとすれば、今回日航新株を購入したのも、やはりヘッジファンドと考えるのが妥当ではないか?
と、考えると今度はまた素朴な疑問が湧く。ヘッジファンドとはみすみす損をするような人々ではなく、したがって希薄化により値下がりすることが事前に分かっている株を購入するはずがない。この文章は前段は正しいが、後段は必ずしも正しくない。希薄化により値下がりすることがわかっている株を購入しても、確実に儲かる方法は存在する。それは、事前に空売りしておくこと。
とここで、本日の日経金融新聞が「第一の疑問」として掲げているものを引用しておきたい。
(引用始)
『6月30日時点でモルガン・スタンレー証券グループ8社が日航の発行済み株式の5.78%を握る筆頭株主になった経緯だ。大半はヘッジファンドなどの貸株需要に応じるためとされるが、同日は日航が公募増資を発表した日。そんな急に集まるのか。』
(引用終)
結論めいたものを言うとすれば、いないとは思うが、このブログを読んで、今更ながら「希薄化」という言葉をググッているような人は、悪いことは言わないから、個別株投資はするな、ということである。
私がアマゾンのアフィリエイトに登録したから、という訳でもないのですが、今日はお薦め本の紹介。
もちろん全ての本を手にとって見た訳ではないが、書店に並ぶ日本株の本は私にとって「クズ」ばかりだった。もちろん、書いてある内容自体が「???」な本もあるにはあるが、それ以上に私が受けつけないのは、投資に対する価値観の違い。サラリーマンがデイトレードをやるのは反対なので、その類の入門書は受け付けないし、テクニカル分析なんて論外。インデックスファンドについてはボーグルの著作を凌駕するものは出ないであろうし、バリュー株についてもいまだにベンジャミン・グレアムやバフェットのレターが読み継がれる有様。そんな中見つけたこの本は中小型株を対象とするバリュー株投資がテーマである。
著者の方、実は中小型株部門のアナリストランキングで、毎年連続で1位の座にあったため、お名前だけは知っていた。で、そういう「権威」がある方が書いているということもお薦めする理由の一つなのだが、書いていることがこのブログと非常に似ている!実はまだ、ところどころつまみ読み程度なのだが、MSCB問題への批判は実に手厳しい。たとえば『自分の魂を売る企業、それで儲ける証券会社』なんてタイトルの章もあるくらい(笑)。私もここまでの表現は使えなかった・・・はず。このブログのファイナンス関係を読んで「うんうん」と頷くことが多い方は、絶対読んで損はしないと思う。
【追記】
やっぱり、私はもっとひどいこと書いとりました・・・
「悪魔に魂を売り渡す資金調達」だって・・・。口が悪いね~~(^_^;)
今の私はサラリーマンではなく、また必ずしも毎日顧客企業のもとに出向いたりするほどの売れっ子でもないため、忙しい時はそれこそ2ヶ月くらいろくに休めないくらいの日が続くのだが、暇なときは結構暇だったりする、全然自慢できる話ではないが(笑)。実は今週の後半から、忙しさの「嵐」が訪れることが分かっているのだが、さしずめ今日当たりは「嵐の前の静けさ」といった感じの「暇」な日なのだ。なので、本日のエントリーはちょっと趣向をこらして、本日の日経新聞17ページに取り上げられた、アサヒビールによる和光堂の買収を取り上げてみたい。私がこの記事に惹かれたのは、普段あまり明らかになることのない、買収価値の算定根拠が以下のように明確に記述されていたからである。
(引用始)
『和光堂の2006年3月期の連結営業利益は11億円。アサヒはコスト削減やグループの連携による相乗効果でこれが3年後に30億円、10年後に40億円になると想定し、フリーキャッシュフローを算定した。投下資本のコストの7%弱で割戻し企業価値を算出、投資採算に合うTOB価格を導き出した。』
(引用終)
上記の情報をもとに、和光堂の理論的な企業価値を自分のスプレッドシート上で再計算する作業をしてみた。まず、運転資本の増減等の情報がないため、FCFは1・2年目が10億円、3~9年目が30億円、10年目以降が40億円とし割引率は一律7%を適用してみて再計算したところ、470億円という数値が出た。日経新聞を見る限り、もう少し理論値は高いはずなのだが、詳細な情報がないためこれで止むを得ない。以下は、この計算過程を巡って、私と禅師の間で交わされた、禅問答である。
禅師「児玉よ。和光堂の企業価値を自分で再計算したとのことだが。」
児玉「は、スプレッドシート操作は、私にとって朝飯前ですから。」
禅師「そんなことはどうでもよい。ところで、割引率は7%を適用したとのことじゃが。」
児玉「『投下資本のコストが7%弱』とありましたので従いましたが何か?」
禅師「この7%という数値は今の資本コストなのか、それとも買収後の資本コストなのか、どっちじゃ?」
児玉「新聞にははっきり書いていませんが、おそらく今の資本コストかと・・・でも今の資本コストを使うことに何か問題がありますか?」
禅師「お前ら『カネの亡者』達が組み立てた理論によれば、資本コストというのはリスクの大きさを反映しているそうじゃな。ならば和光堂という大型買収を終えたアサヒビール自体の経営リスクは増大し、従って資本コストも増加すると考えて企業価値を計算するのが妥当ではないのか?」
児玉「私は『カネの亡者』などではありませんが、そうですね、それなら2%ポイントくらい増やして、9%の割引率で再計算してみましょうか?・・・うわっ!!」
禅師「どうしたというのじゃ?」
児玉「割引率をたった2%ポイント増やしただけで企業価値が350億円、さっきの値より120億円も減少してしまいました!」
禅師「ホッ、ホッ、ホッ。どうせ、こんな割引率なんて浮ついた数字は、経営者の鶴の一声で数%動かすことは、それこそ『朝飯前』なんじゃろ。そんな適当な計算で、何百億という高い買い物をする奴らは、わしから見れば狂気の沙汰じゃな。」
児玉「まったく、お口が悪い。」
禅師「まあよい。ところで、さっきの7%の前提のもとでだが、10年目までのCFのもたらす価値と、それ以降のCFのもたらす価値の比率はどのくらいになるのかな?」
児玉「10年目までが180億で38%、それ以降が290億で62%になります。」
禅師「10年目以降の価値はどうやって計算したんじゃ?」
児玉「まず、割引率7%のもとでの40億円の永続価値が571億円と求めらます。そこから、1年目から10年目まで40億円が続くCFを現在価値に引き直したものの合計額である281億円を差し引いて、11年目以降の永続価値を計算しました。」
禅師「まったく、お前の数学は昔から力づくじゃな、エレガントさのかけらもない。」
児玉「余計なお世話です。」
禅師「まあよい。わしがお前に気付かせたかったことは、この500億円近くの高い買い物の大半の価値は11年目以降から未来永劫に渡るキャッシュフローからもたらされるということじゃ。お前らカネの亡者は流行に踊らされて、『ドッグ・イヤー』だの『アジャイル』だのと横文字を語ることで分かった気になっておる。まあ、それはよいとして、この万物が生々流転する変化の激しい現代においてじゃな、『11年目以降未来永劫まで』なんていう先のことを、誰が言い当てられるというのだ?」
児玉「我々は科学的に行動しますから、誰も未来のことなど言い当てるなどという、人智を超えたことを行うつもりはありません。」
禅師「しかし、少なくともアサヒビールの経営陣は、未来永劫までのキャッシュフローを算定に含めるというこの企業価値算定のフレームワークを『信じて』いないことには、株主様に対して、申し訳がたたんぞ。」
児玉「彼らが何を信じようが、私の関知するところではありません。」
禅師「聞けば、お前は中小企業診断士の受験予備校なんぞというところで、このDCF法なるフレームワークを教えておったそうではないか。信じてもいないことを、ぺらぺらと教えるほど、お前は軽い奴だったのか。」
児玉「・・・言葉をつつしんで下さい。私はこのDCF法のフレームワークを体得して信じた上で、教壇に立っておりました。私が信ずる根拠はこの本です。」
禅師「この本がなんだというんじゃ?」
児玉「この本は『マッキンゼー』というビジネスコンサルタントの最高峰と言われる人々が集う組織に属す人々が著した本で、今回の和光堂の企業価値算定方法も、この本の記述にのっとったものです。」
禅師「ホッ、ホッ、ホッ、普段威勢のいいことを書いているお前さんも、最後は権威に頼るんじゃな。」
児玉「・・・それだけではありません。多くの買収案件において、このフレームワークが使用され続けてきたこと自体、DCF法の有効性を物語っているといえます。また、証券アナリスト達が理論株価を算定するときに使用するフレームワークも、やはりDCF法です。」
禅師「今度は『時の流れに耐えてきた』から信じるというのか。証券アナリスト達という『多くの人々に支持されている』から信じるというのか。まあ、お前の底は知れとるわい。」
児玉「私、そしてDCF法を信奉する株式市場全体を馬鹿にするおつもりなのですか?」
禅師「落ち着け、落ち着け。そうではない。わしが分からんのは、お前らの心の中の矛盾じゃ。わしが宗教的な観点から『未来永劫』という言葉を一度口にしようものなら、嫌悪感で口を歪める。しかし、お前らの信奉する資本主義の象徴たる企業買収の理論価格算定のフレームワークにおいては、『未来永劫のFCF』なんていう化け物が内包されているのじゃぞ。」
児玉「でも、我々が『未来永劫のFCF』への信奉をやめてしまったとしたら、全ての企業の理論価値は半減近くの水準になり、株式市場は大暴落してしまいます。禅師はそんな結果をお望みなのですか?」
禅師「もちろん、わしはそんな悲惨な結末を望んでおらん。わしが言いたいことは、お前らの『信』の基盤を構成する『メンタルモデル』に目を開け、ということだけじゃ。そこで矛盾や不条理に気付きながらも、なおも他の人々の幸福のために悩み続けるのが人間というものじゃ。」
児玉「少々頭が混乱してまいりました。落ち着いて禅師の言われたことを、考えてみたいと思います。
禅師「それがよい。」
・・・ま、上記のエントリーで何が分かったかといえば、今日の私はこんな文章を執筆するために、1時間半を割くことができるほど暇である、ということだけかもしれません(笑)。
本日の日経新聞などを見ると、「いよいよゼロ金利解除か」といった感じだが、特に歴史の浅い企業の経理部の方は、短期的な資金運用という新たな業務に、ゼロ金利解除後に本格的と取り組まねばならない点に注意せねばならない。
「短期的な資金運用」とはなにかといえば、例えば一般的な企業では月末に給与やベンダーへの支払が集中し、月末に向けて徐々に売上入金等により預金残高が積みあがっていくような、資金サイクルになっていることと思われる。で、月末の支払の直前においては、かなりの額の資金が預金として蓄えられていることと思われるが、現在はこのかなりの金額のお金は「普通預金」に寝ていることと思われる。もちろん、当面は「普通預金」に寝かせておけばよい。しかし、短期金利が徐々に上昇するにつれて、「普通預金」の金利と、例えば「通知預金」や「MMF」等のその他の短期の資金運用のための金融商品の利回りが無視できない水準になってくる。こうなってくると、「普通預金」に資金を寝かせておくことによる機会損失は膨大になり、月中に小刻みに「普通預金」から他の短期金融商品への資金の移動をすることにより、「稼ぐトレジャリー(財務)」として経理部が機能することが不可欠となってくる。
10年前なら、そこそこの規模の会社の経理部なら、こんなことは当然の常識としてやっていたことと思う。しかし、私が仕事で色々な企業の経理業務を拝見させていただいている限りでは、長いゼロ金利時代でこうした「短期的な資金運用」業務を捨ててしまった企業がほとんどのような印象がある。金融機関とて例外ではなく、数ヶ月前の新聞でゼロ金利解除をにらんでコールマネーで資金調達をする練習を「試し借り」という形で、いくつかの金融機関で始めたという報道を目にした記憶がある。「試し借り」は必要ないが、一般事業法人の経理部も、きたるべき時代に備えておかねばならない。特に、設立して数年で急成長したような企業は、こうした業務を直接的には経験していないであろうから、なんらかの対策を事前に準備しておくべきであろう。
実は、個人的にはこの分野に対しては、かなりの「思い入れ」がある。(「スピリチュアリティ」ほどではないにせよ(笑))なぜかというと、某社で経理のBPRのコンサルティングをしていたときに、短期的な資金運用業務を完全自動化するシステムを作った経験があるからである。自画自賛させていただけば、いや~、あれは素晴らしいシステムだった(笑)。支払予定を完全に掌握することは当然として、入金予定についてもある程度の柔軟性をもたせながらシミュレーションして、短期的な運用に回すべき金額を「預貸率」をベースに銀行とのおつきあいも加味しながら自動計算する。しかも、運用指示のデータは自動的に作成されEBに接続され、人間が行うべきは生成されたデータに対して「承認」をかけるのみ。しかも資金移動の「仕訳」まで総勘定元帳にインターフェースされる。私のこのクリエイティブなソリューションが、クライアント企業に年間数億円の利益を継続的にもたらすはずだったのだが、その後のゼロ金利時代が長引いてしまったため、導入効果は激減してしまったはずである。しかも、メガバンクのマージャーの嵐で、その後にメンテナンスを担当された方は、いい加減嫌気がさしたことと思う(笑)。
2000年問題で、あの「化石」と馬鹿にされたCOBOLプログラマー(私もかつてはそうだったのですよ)が重宝されたように、ゼロ金利解除で、短期資金運用の経験者が再度桧舞台に立つことができるのかもしれない。私も昔とった杵柄で、再びお仕事ができるかもしれない(笑)というほのかな期待を抱きつつ、本日のエントリーを執筆した次第です。
本日の日経金融新聞では、2社の収益計画に対する「疑問の声」をとりあげる記事が掲載されていた。一社はMBOを発表したすかいらーくであり、もう一社はJAL。このような会社の作成する収益計画については、個人投資家はただだまって受けいれるしか手立てがないと考えられている方が多いと思う。しかし、極めてローテクな方法で、経営陣が作成するビジネスプランを批判的に検討することは可能である。アナリストと一般投資家のアクセスできる情報量については、その格差は10年前に比べれば格段に縮小している。大きく異なるのは、どれだけの時間を収集した情報の分析に費やせるかであり、もしこのブログをお読みの方にリタイアされた個人投資家の方がいらっしゃれば、保有する株式のビジネスプランを当エントリーを参考にしながら、詳細に検討されるのもよいと思われる。
①アサンプション(前提条件)を疑う
収益「計画」というくらいで未来のことを扱っているのだから、未来の数字を作り上げるには、当然のごとくなんらかの前提条件をしかねばならない。ビジネスプラン作成にあたって前提条件を開示している企業は少なくなく、例えば本日の日経金融新聞で槍玉に挙げられているJALの中期経営計画の前提条件は、以下のリンクの文書の34ページにまとめられている。
このアサンプションに対し、日経金融新聞では以下のような疑問を投げかけている。
(引用始)
『しかし燃油価格の指標となるシンガポールケロシンの前提は1バレル75ドル。足元は85ドルと高止まりしており、5億円の黒字など吹き飛びかねない。』
(引用終)
このように個々のアサンプションを現状のレベルと比較するだけでも、有意義な検討が加えられる。調べようとする過程で、マーケットに対して有意義な学習を得られることも期待できる。時間と興味さえあれば、お手持ちの株式の企業でチェックされてみるといいと思う。
②現在の収益と将来の目標額を比較する
すかいらーくの収益計画に対しては、現在の収益(CF)と将来の目標収益(CF)を比較する形で、以下のような疑問が投げかけられている。
(引用始)
『同社によると、店舗閉鎖などで200億円程度までいったん落ちる(前期は300億円程度)キャッシュフローを、最終年度には400億円程度に改善するというシナリオというが、アナリストの間には、「既存店の改装だけではさほど大きなキャッシュフローの改善は見込めない」(国内証券)との見方が優勢だ。』
(引用終)
また、営業利益ベースでは、4年後の目標値は前年度に対して2.7倍の水準に設定されているという。店舗改装だけで2.7倍にまで営業利益を増やせるのか?これが某国内証券のアナリストが呈している疑問である。一般的には、ビジネスプラン上の目標値は現時点よりもかなり上乗せがされているものだが、個人投資家としてはその上乗せ幅が新たな施策群によって裏打ちされているか、少なくともざっくりとは検討してみるべき余地はあるだろう。例えば、すかいらーくが「積極的な新規出店」のような施策を掲げていたとすれば、議論は別種のものとなっていたであろう。
もちろん多くの証券アナリストには深い業界知識が備わっており、それがゆえに高度な分析がなせるわけだが、その出発点は我々にもとっつきやすい上記のような一般常識をベースにしたアプローチだったりする。もちろん個別株への投資で継続的に利益を挙げるのは至難の業だが、このような「簡単にできることをやらず」して損失を被っているとすれば、それは投資などではなく博打に等しいのだ。
一連のホリエモン騒動、及び村上ファンドの行い、さらにはMBOによる非公開化の動きに関して、私は極めて散発的な形ではあるが日々考察を重ねてきたわけだが、これらの問題がこれほど大きく取り上げられる共通の根本的な原因は、会社法の基本原理にあるようだとの、個人的な認識が高まりつつあった。折しも本日の日経新聞の経済教室では、一橋大学教授の伊丹氏が同様の考えを呈しており、『会社法の一種の欠陥(引用)』とまで言い切っている。
伊丹教授の主張を私なりに要約すれば、会社法は『投資家保護』を念頭に株主に権利を与えているのに、その権利は『投機家』までにも付与されてしまうため、様々な問題が生じるとしている。で、前出の『会社法の一種の欠陥』とは何かといえば、『恐らく会社法自体に、株主にしか支配権力を与えていないという本質的欠陥があるのである。(引用)』と、学者の方にしてはかなりラジカルな意見を呈している。要約という行為自体もバイアスが不可避なものであるから、興味をもたれた方は、是非本日の日経新聞の経済教室に目を通すことをお勧めしたい。
会社法の根本に原因があるという点では私も共感するものの、他の多くの点では私は伊藤教授の意見には共感できない。私は、問題の根本を会社法の『欠陥』とみなすべきではなく、日本の経営層が会社法の基本原理を頭では分かってもハートで理解できていないと考えるべきだと思う。伊藤教授が指摘するように「株主にしか支配権力を与えていない」という点を欠陥とみなしてしまうと、会社法という論理体系は恐らく破綻する。ここに疑問を投げかけるというのは、資本主義そのものに疑問を投げかけるのと同義に見え、スピリチュアルに並々ならぬ関心を抱く私であっても、伊藤教授ほどのラジカルな意見を呈する気にはなれない(笑)。法の問題というよりは、法をとりまく我々のマインドの問題であると、私はとらえたい。
では、私が日本の経営層がハートで理解できていないと感じている、会社法の基本原理とは何かといえば、それは株主平等の原則である。種類株というものを抜きにすれば、会社法においては株主の権利は保有する株式数に応じて平等に取り扱われる。だから、村上ファンドはある夜突然大株主として浮上して、経営陣に「ものを申す」ことができる。大株主なのだから、株主平等の原則にたてば、経営陣は言うことを聞かねばならない。でも、ハートでは納得できない。「だって、あいつら株主になって一月も経ってないじゃん!俺なんか、社長になるまで苦節30年、どれほど努力したことか・・・こんな若造に好き勝手やらせてたまるか!」会社法には保有期間の短期長期の時間の概念が存在しない。一方で、会社とは組織である以上、時間が育む文化なり秩序がある。この会社法の冷徹なロジックと、経営陣の浪花節的なハートの相違が、これらの問題が大々的に取り上げられた根本にあるのであろう。
MBOにより非公開化するにいたった企業は、短期的に売買を繰り返す投機家をシャットアウトするというソリューションを選び取った。もちろん、これは一つの道ではあるが、投機家を好ましくないものとみなす考えは、恐らくは正しくない。経済学の基本が教えるように、投機家の存在があるからこそ、市場は厚みを増し、投資家は好きなときに保有株式を売却できる。小鬼のように見える投機家も流動性を与えるという意味において、社会的に貢献をしているのである。また、短期的なバッドニュースに過剰反応して、株を売り浴びせる投機家の行動も、経営陣にとっての規律として意義は深いと思う。「長期的には株主価値の増大に努めて経営しており、今期の減益は一時的なものにすぎません。」なんて説明されたって、細木数子じゃあるまいし、未来のことなんか分かる訳がない。もし経営陣の説明がホンモノであるならば、合理的な『投資家』からの買い注文が入るはずである。
私の主張は、会社法に不在の『時間』の概念を盛り込むようにすべきなどというものではない。株主には短期的保有を志向する投機家と長期的保有を志向する投資家の二種類は確かに存在する。確かに投機家は経営陣には五月蝿い存在だが、投機家なしには投資家の売買のための流動性は確保されず、日本の経営陣には投機家とも正面から向き合うべく、マインドチェンジをすべき必要がある。どんな?過去にも「『日本的』経営というアナクロ」というエントリーにおいても引用したが、下記のジャック・ウェルチのウィニングからの一節が恐らく参考になるのではないだろうか?
(引用始)
私はよく、「四半期ごとに成果を出しつつ、五年先のことを考えて行動するにはどうしたらいいのですか」という質問を受ける。
私の回答は「それに悩むようなら、あなたも経営者の仲間入りだ!」
そう、短期の業績を上げるのは誰にだったできる。ギリギリと絞り上げればいいのだから。長期経営だった簡単だ。夢をみつづければいいのだから。あなたがリーダーに選ばれたのは、ギリギリやりながら同時に夢を見られる人だと上司が見込んだからだ。
(引用終)
MBOによる非公開化というのは、今回が初めてではなく、「そういえばワールドでもなんか書いたな~」と思い出し、以前のエントリーを読み返してみた。
新聞とあえて異なる視点から物事を見ようとしているため、「非公開化」という問題に対してはあまり突っ込んで考えていない。唯一、私の当時の非公開化に関するスタンスとして明確な記述があるのは、以下の文章くらいであろうか?
(コピー始)
仮にこのMBOが買収防衛目的であったのなら、会社法とにらめっこした小手先だけの株式分割や新株発行権の付与といった防衛策と異なり堂々としたもので、私好みではある。
(コピー終り)
私のirrationalな右脳的には「MBOは堂々としていて好き」なのだが、正直なところこの感覚とフィットした論理的にも明晰な文章を書くことは、今もって自信がない。MBOという問題に対しては情報収集という基本的な段階すら未だ実施しておらず、まだ自らの信念が形成されていないのだ。したがって、当ブログを読んでいらっしゃる方からのご意見を賜れれば、非常に嬉しい限りです。
まあ、これで終わってしまっては元も子もないので、何かしらの足しにならないかと、すかいらーくの開示資料を見に行ったのだが、ここでは、「正々堂々」とは全く異なる「卑怯」に感じられる面を発見するにいたったのである。
すかいらーく社の資料の4ページには「従業員の参加も視野に入れたバイアウト」と称して、MBOにEmployeeをはさみこみMEBOなる用語を掲げている。短絡的に思考すれば、これはガチャガチャと五月蝿い株主を排除して、代わりに「物言えぬ株主」としての従業員を株主に据えようという、なんともご都合主義に見える施策に見えて仕方がないのだが、いかがなものか。同開示資料の3ページあたりまではしきりに危機感をあおっており、こうした会社の株式を半ば強制的に購入させられる従業員はたまったものではないだろう。私が忙しくて新聞をきちんと読んでいなかったからかもしれないが、今回のMBOがただのMBOではなく、従業員を巻き込んだMEBOである点に触れた新聞報道・解説を見た気がしない。
では、仮にこのMBOが従業員を巻き込まない形の、経営陣が100%株式を買い取る形のMBOなら、これは「良い側面」が多いのか「悪い側面」が多いのか?この良し悪しを「現株主」「経営陣」「会社」の3つの観点から考えてみることが有用であろう。
まず、現株主であるが、これほど危機感を醸成する開示資料を見せられた上で、十分なプレミアムを載せた価格で株式を買い取ってくれるという提案を聞いて、悪い気がする株主はいないだろう、今の日本には。しかし、経営陣が株式を買い取るからには、今後数年間はリストラ関連で決算が思わしくなかったとしても、将来的には再上場でキャピタルゲインを得る目算があるのであろうから、そうした長期的な利潤追求の場を奪ってしまうことに関して、違和感を拭えない。一度上場した子会社を親会社が非公開化する動きが最近多いが、そのときもマスコミ(や私)が批判する論調はまさしくここにあったはずであり、MBOでも同様の側面が議論されるべきではないかと思う。
次に「経営陣」だが、非公開化することにより、うるさ型の株主からの声に悩まされずに、長期的な経営に専念できるというメリットが大きい。しかも、そのようなメリットを享受するために、自らが株式を購入するという、大きなリスクを背負っているわけである。経営陣はMBOにより、リスクに見合ったリワードを手に入れられるのであり、従業員に転嫁したりすることなくリスクを引き受ける覚悟さえあれば、経営陣にとっては理想的なオプションの一つといえよう。
最後になったが、「会社」にとってはどうか?ここが恐らく最も難しいのではないか?短期的な決算発表に振り回される株主達の動向を「長期的な視野にたった経営を実践する上でのノイズ」と考えるのであれば、こうしたノイズを遮断するMBOは「会社」にとってプラスである。しかし、一見ノイズである「株主」と「経営陣」の相克こそがすなわち「ガバナンス」なのだ、と考えるならば、MBOにより「株主=経営陣」となってしまいガバナンスが機能しなくなってしまうため、「会社」にとってはプラスとはならない。その顕著な例が「コクド」であり、堤家の相続税の評価額を下げるという目的のもとに、株式会社であるにも関わらず大きな利潤を追求することが放棄され、結果として「あーなって」しまった。
・・・と、ここまで書いて上記を読み返してみると、私の「思考プロセス」を考える上で、実に興味深い。当初、なにがしかのものが書ける自信もないまま、このテーマで書き始めたのだが、まあ、それなりのものが書けてしまった。その助けとなったものは、一つは開示資料を実際に見たこと。これによりイメージが膨らみ、とっかかりができた。また、第二がより重要なのだが、「良し悪し」のような曖昧とした感情を、「誰にとって」という視点、すなわち「株主」「経営陣」「会社」という視点を自ら提示したら、とたんに筆が進みはじめた。本日のエントリーは極めてリアルな、「問題解決及びロジカルシンキング」の事例としても、鑑賞に値すると思います(笑)。
本日のエントリーは、「スピリチュアリティー」とかいう、ファイナンス系の方がドン引きしてしまうタームは抜きで、粛々と財務理論の枠組みの中で進めていきたいと思います(笑)。
本日の日経新聞では、『村上ファンドの功罪』と題した経営者アンケートの集計結果が記載されていた。まあ、全ての項目の値はそれなりに興味深いわけだが、私の目を引いたのは「株主価値向上に貢献」と題した項目で、これは20%に見たず、低い値を示していたのが印象的であった。で、本日の「日経金融新聞」の方は、同グループ紙からの「インサイダー情報」(笑)により、スクランブル欄であまりにもタイミングよく、村上ファンドと株主価値向上の問題を取り上げていた。同紙は、この問題に関しては下記のような2つの見方があると指摘している。
(引用始)
『多額の現預金を抱えるなどした企業の株主となって、大幅増配や自社株買いといった還元策を勝ち取ってきた。』
『長年の蓄えを吐き出させているだけ。総会屋やグリーン・メーラーと変わらない』
(引用終)
そこで、この2つの見方を検証すべく、村上ファンド保有銘柄と東証インデックスのパフォーマンスを比較し、圧倒的に村上ファンド保有銘柄のパフォーマンスが高いことから、「村上ファンドは株主価値の向上に貢献した」としている。
まあ、相変わらずタイムリーで面白いスクランブル欄なのだが、こうした対立的な見方が出てくるのは、株主価値という用語の定義が共有されていないからであろう。
株主価値を時価総額と同義であるとするのであれば、本日のスクランブル欄が検証したとおり、村上ファンドは株主価値の向上に確かに貢献したのであり、これは抗うことのできない「ファクト」である。一方で、村上ファンドは基本的にはバリュー株を投資対象とするわけだが、ここでバリュー株とは理論的な価値に比して時価総額が見劣りする株式のことである。で、村上ファンドのやることといえば、実際の時価総額が理論的な価値に収斂すべく、経営陣に圧力をかけるにすぎない。すなわち、村上ファンドが新たな付加価値を生み出しているわけではなく、理論的な価値の顕在化に尽力しただけの、ある意味アービトラージャーにすぎないのである。株主『価値』というと、どうしても付加価値を連想してしまうが、こう連想する方々は、村上ファンドは株主価値を向上させたかと問われれば、即「NO」と答えるのであろう。
ホリエモン騒動と村上ファンドの影響で、にわかに「企業価値」「株主価値」といった用語が新聞を埋め尽くすようになったが、学者の方々も含めて、これらの用語に対する定義が共有されていないように思われる。ましてや、経営者の間での認識の不一致たるや、甚だしいのであろう。こうしたアンケートの意義を向上させるためにも、定義の共有化が図られることが好ましいのであろう。
日経金融新聞の『スクランブル』欄は面白い。大抵の記事は、私の知的好奇心を満たすだけの新奇な切り口で市場を読んでいる。これはまた裏返せば、私レベルであっても理解できうる平易な語り口で記述されていることの証でもある。
本日のスクランブル欄は『益だし決算、続けますか』と題して、多額の特損を計上せねばならない企業が、ほぼ同額の含み益を吐き出してボトムの利益の帳尻を合わせている様を嘆いている。で、このような会計上のお化粧に投資家はだまされているのかといえば、「そんなに投資家は馬鹿ではない」というのが、本日のスクランブル欄のいわんするところである。特別利益を除けば赤字に転落してしまう企業を抽出して、その株価の「年初からの騰落率」を観察すると、ほぼ全ての企業の株価が日経平均に比して大幅に下落している。日本の投資家は、そんなお化粧はお見通しなのである。
と一方で、これは下記の先日の私のエントリーと部分的に矛盾が生じてしまうかのごとく見えてしまう。
ソフトバンクの『異例の財務手法』と孫正義の『モータリティ』の自覚と無垢な投資家達
(コピー始)
>日本の投資家達はどうであるかといえば、5月19日の日経金融新聞の『見かけの業績、株価撹乱』と題したスクランブル欄の記事によれば、私が想像した以上にマネーリテラシーに乏しいようである。同記事を要約すれば、新日鉄等の株価の観察に基づけば、投資家達は特殊な会計要因を読み解く力をもたず、ボトムの利益の増減で投資判断をしているらしい、というもの。
(コピー終)
上記の私のコメントも元ネタはやはり日経新聞のスクランブル欄である。こちらを読むと投資家はボトムの利益だけを見ているかのごとくであり、本日の日経金融新聞の記事とは矛盾する。
ここで、上記の引用中にある新日鉄の会計の特殊要因とは在庫評価益のことである。例えばこちらのニュース記事を参照されたい。在庫の評価益とは経常利益に至るまでの間に記載される項目である。したがって、5月19日のスクランブル欄と本日のスクランブル欄をあわせた矛盾のない仮説をたてるとすれば、以下のようになるのではないか?
日本の投資家は経常利益までについては、内訳の特殊要因等を詳細に検討せず、単純に前期との増減で投資判断をしている。ただし、経常利益の下の特別利益のお化粧については、お見通しである。
で更に一歩進めて、上記の仮説を信じて、投資行動に移すとなると、経常利益までに至る内訳項目を詳細に検討することにより、株式市場のアノマリーを発見し、利益につながる可能性があるといえるのかもしれない。しかし、くれぐれも断っているように、当ブログの記述がもとで、損失を被った方が出たとしても、当方では全く責任が負えませんので、その点はご了承をw
本日の日経新聞11ページでは、『ソフトバンクどこまで強いか』と題された連載コラムの中篇で、『異例の財務手法駆使』とサブタイトルを冠し、以下の「異例の財務手法」を紹介している。
● 営業部隊を移管したインボイスとの新会社への出資比率を15%未満に抑え、連結に含めないようにした。
● ADSLの新規営業を抑制し、営業損益を850億円改善。
● 内外の投資先の株式を処分して多額の売却益を計上。
● ADSLモデムのレンタル事業を売却。
● 2年前にコールセンターを売却
もちろん、記事が一定のスクリーンに基づいて事実を取捨選択している事実にも注意せねばならないが、これらに財務手法に共通する事項としては①手元のキャッシュの増加②収益の先取り③将来の成長の放棄の3点が挙げられる。
①は分かりやすいが、②の「収益の先取り」だが、一般に事業を売却すれば将来収益を先取りし、それがP/Lに反映されることとなる。ローン債権等の証券化も同様の効果をもたらし超過利潤が一括で計上される効果をもたらすが、会計の解釈上の誤解を嫌ってなのか、証券化の解説本ではオフバランスの効果を仕切りに説くものの、P/Lへの影響はあまり詳述されていない。では、なぜワンタイムで巨額の利益がP/L上に計上されているかといえば、それは上記③で記述したように、将来の成長を放棄したからに他ならない。
「いつでも黒字にできる」と豪語していた孫氏の会計戦略は、上記のような将来成長を犠牲に立脚した一過性の利益の上に成り立っているのに過ぎない。孫氏の戦略転換を説明する要因としては、ボーダフォン買収という外的要因のみが強調されるが、彼の内面からの説明をここで試みてみたい。先日も紹介した神戸大学の金井教授の『働くひとのためのキャリアデザイン』に啓蒙され、現在私は発達心理学に関する本を夢中で読んでいる。同著によれば、発達心理学の見地からすると、「45歳ぐらいになると、死から逆算できるようになる(同著より引用)」のであって、その逆算思考により夢の実現に向けて邁進するようになるのであるという。孫氏は私より11歳上であるから、現在48~9歳のはず。発達心理学から見た転機に差し掛かっており、彼の内面の変化がソフトバンクの戦略に重要な変化を与えているという仮説も考慮に値すると思う。しかし、一個人のモータリティ(やがて死すべき運命)の自覚が上場企業の企業戦略に重大な変化をもたらしているのだとすれば、株主としては今以上にコーシャスになる必要があろう。
で、日本の投資家達はどうであるかといえば、5月19日の日経金融新聞の『見かけの業績、株価撹乱』と題したスクランブル欄の記事によれば、私が想像した以上にマネーリテラシーに乏しいようである。同記事を要約すれば、新日鉄等の株価の観察に基づけば、投資家達は特殊な会計要因を読み解く力をもたず、ボトムの利益の増減で投資判断をしているらしい、というもの。まさに、この投資家にしてこの経営者ありといったところか。
なお、ソフトバンクの株価に関して過去に私が考察したエントリーは以下の2つ。お時間がある方は、特に前者はタイトルが面白いと思うので、読んでみて下さい。